夕刻が近づき、宮殿内の広場にだんだんと勇者たちが集まってきた。労せずして金貨三千枚がいただけるとあれば、帰らないものはいなかった。ただ一人、「孤高の槍使い」神速のウルフを除いて。
「なあなあ、またレイチェルちゃん顔を見せてくれるかな?」
「ったり前だろ! レイチェルちゃんから直接手渡しされるに決まってる!」
などと勇者たちが談笑しながら、その時を待っていた。
突然、ドン! という大きな音がして、勇者たちは空を見上げた。宮殿の上の方、ちょうど王の間あたりから聞こえたのか、そちらの方を見ている者が多かった。
しかし、これといって何が起きたわけでもなく、みんな「花火か何かか?」「大量の金貨を運んでいる時に落としたんじゃないの?」ぐらいにしか思わなかった。
実際には、ガルダールがサーシャとハデスに殴られて壁にめり込んだときの音だったのだが……。
「金貨三千枚か、なあお前はどう思う?」
同じく広場に集まっていたアダムが、レベル22の男に話しかけた。
「どう思うって、何が?」
「だって、金貨三千枚を千人弱の勇者に配るんだぜ、そんな大金が城の中にあると思うか?」
アダムの心のどこかに、数時間前「孤高の槍使い」神速のウルフと別れたときに言われた言葉が引っかかっていた。
――何か裏があるに違いない、気をつけてくれよ――
そんなアダムの思いを知らず、レベル22の男が適当に答える。
「なんか、三千枚分の証書みたいなのを配るんじゃねぇの? 知らんけど」
「……だよな。金貨三千枚とか直接渡されても持てるわけないもんな!」
「まあ、物理的に無理だろ。ここにいる全員分で三百万枚って、ありえねぇよ」
「だよな、そうだよな!」
アダムは自分に言い聞かせるように言った。
そろそろ約束の時間だ。
元騎士団長ルイスや狙撃手ダニエル、ホフマン姉妹の姿も確認できた。広場が勇者たちで溢れかえっている中、夕陽に照らされて金銀銅の鎧の輝きも見つけることができた。
ほぼ全員が金貨の使い道を考えて浮かれている中、アダムは期待半分、不安半分でそのときを迎えようとしていた。
◇◆◇
同じ頃、宮殿の最上階。
ガルダールが再び三人の前に立つ。
いよいよ最後の戦いが始まると、ガルシアとサーシャも戦う姿勢を見せる。ハデスは腕組みをしたままの姿勢を崩さず、何やら騒がしくなってきた窓の外を眺めている。
どうやら最後の戦いはサーシャに任せて、自分は見物を決め込んでいるようだ。
先ほど一撃を入れた時点で相手の力量を把握し、サーシャ一人でも十分に勝てる相手だと見込んでのことだった。
しかし、ガルダールは戦う構えをとらず、
「戦いの前に一つ、面白い魔法を見せてやるとしよう」
と言って、両手を広げ真下に伸ばした。
その言葉にはハデスも反応し、思わずガルダールの方を見る。
「本来なら、お前を倒した後でゆっくりと使うつもりだったんだがな!」
ガルダールの体から黒い気が吹き出る。それと同時に、先ほどのニクラスとガルシアの戦いでめちゃくちゃになった床に異様な文様の魔法陣が浮かび上がってきた。ガルシアが到着する前に、ニクラスが床に描いていたそれと同じものだった。
何やら嫌な予感がして、サーシャが間髪を入れずに右手を突き出し光の魔法を放出する。だがそれは魔法陣に弾かれて天井の壁を破壊した。
「なんじゃと!?」
これにはハデスも驚き、慌てて三人に魔法の障壁を張り未知の魔法に備えた。
「ふん!」
ガルダールが力を込めると、彼の体から出ていた黒い気が全て足元に浮かんでいた魔法陣の中へと吸い込まれていく。そして一瞬の静寂のあと、魔法陣が黒く光り輝いて消えた。
「!?」
サーシャをはじめ三人が衝撃に備え身構えたが、何も起こらなかった。
失敗か? とガルシアがガルダールの方を見るが、真っ黒い影のような男は特に残念がるような態度を見せておらず、表情は一切分からないが自信たっぷりなように感じられた。
ピシッ
何かがひび割れるような微かな音が聞こえた。
ピシッ
三人が音のする方を一斉に注目した。それはガルシアの左腕に装着されていた勇者の腕輪だった。腕輪の中心にはめ込まれていた球体にひびが入る。
パキン! と音を立ててその球体が割れて腕輪から離れ、地面に落ちた。
それだけだった。
「なんだぁ? 割れちまったぞ! これがあいつの魔法ってやつか? こけおどしかよ!」
「……これはやばいぞ」
ハデスが深刻な顔をして言った。彼女の視線は窓の外に向けられていた。
◇◆◇
アダムたち千人近い勇者たちが広場でレイチェルの登場を待っていると、突然王宮の最上階 ――ちょうど王の間辺り―― で何かが一瞬光ったように見えた。今度は先ほどのドンという音とは違い、勇者たちほぼ全員がその光に気づき、王宮の最上階に目を向けた。
ピシッ
すると、どこからともなく何かのひび割れる音が聞こえてきた。
ピシッ
それは広場にいる勇者たちの腕輪の中心にある球体からだった。一斉に彼らは自分の腕輪に注目する。音とともに球体にひびが入り、そして
パキン!
と、全員の腕輪の中心に埋め込まれてある球体が完全に割れた。
「腕輪が!」
「割れた?」
次の瞬間、割れた球体から黒い気が一気に噴き出し、勇者たちが腕輪に貯め込んだ魔物の気の量 ――レベル―― の分だけ、それぞれの鼻の中に強引に入っていく。
「うおおお! 何だこれは!?」
抵抗などできなかった。鼻を塞ごうとすれば口から、口も塞げば耳の穴から、とお構いなしに魔物の気は勇者たちの中へと取り込まれていった。
「逃げろ! これは何かの罠だ!」
顔全体を兜で覆っていた誰かが大声で叫んだが無駄だった。魔物の気は鎧の隙間から体の中へと入り込み、勇者が逃げるよりも早く口や鼻の中へと侵入した。
「うわあああ、やめろぉ!」
攻撃をしようとする勇者もいたが、魔物の気はそれらをすり抜けて他と同じように体の中へと入っていった。
そして、広場にいた約千人の勇者たち全員の体の中に魔物の気が入り込んで、静かになった。目は閉じ、手がだらんと垂れ下がり、まるで動きを止めた操り人形のように全員が同じポーズをとって動かずにいた。
ドクン!
と心臓が脈打ち、目が開かれる。その目は赤く輝き、身体中から黒い気が溢れ始めた。髪は逆立ち、そして「ガアアアアァァ!」と声にならない声を上げた。
勇者たちは全員、かつて「泥棒勇者」ジャスティンがそうなってしまったように魔物人間へと変貌してしまった。
これが広場だけでなく王都にいる勇者全員に対して、ガルダールが発動した魔法だった。