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第89話


 城下町の至る所で黒煙が上り、人々の悲鳴が聞こえている。



 ハデスの魔法の障壁が貼られる前に広場を飛び出していった魔物や、広場に集まらずに城下町をうろついていたところ魔物になってしまった者たちが、叫び声をあげながら建物を破壊し、民衆の命を奪っていく。


「くそっ、冥界での仕事がふえるじゃねぇか!」

 ハデスは苛立っていた。魔物が城下町の民衆を殺せば殺すほど、冥界に人が押し寄せる。その手続きがとてつもなく面倒くさいのだ。


 決して人間を助けようという気持ちから王の間を離れ、魔物たちの蛮行を止めようとしたわけではない。


 冥王として魔族と人間、どちらの肩を持つつもりもなかった。どちらがどちらを支配するとかは彼女にとってはどうでもいい問題であり、大切なのは自分の仕事をいかに増やさないか、その一点だけだった。


 そして一刻も早くガルダールをぶっ倒し、さーたんの家に行って二人っきりでまったり過ごしたかった。



 魔物と彼女の実力差は明らかで、戦うまでもなく一撃を与えれば魔物は片付けることができた。しかしその数が多すぎる。ハデスは転移魔法を繰り返しながら魔物たちを次々と倒していった。


「か……神様が助けてくださった!」


 誰もが死を覚悟したそのときに突然現れては魔物を一撃で倒し、そしてすぐに姿を消してしまうハデスを、人々は神と崇めた。

 後にうろ覚えではあるが彼女を見たという者たちが「王都を救った女神様の像」を作る。それを見てから天寿を全うした者たちが冥界でハデスと会い、「女神様は本当にいらっしゃったのだ!」と大興奮して冥界が一時騒然とするのだが、それはまた別の話である。



 そうして、ハデスは城下町にいた最後の魔物を退治した。



 死んでしまったことにより、魔物の体から黒い気がすうっと抜け出して、魔物だったものが元の人間の姿に戻っていく。


 こいつらは騙されていたなんて思ってもいなかっただろうな……腕輪の中に魔物の気を貯めさせておいて最終的に魔物にする、か。国中の強いものをまとめて魔物にしてしまえば、魔族に抵抗する力のある人間はいなくなる。ガルダールとかやらもなかなかの策士じゃないか。

 そんなことを思いながら、ハデスは横たわった勇者を哀れみの目で見つめていた。


 死体の処理は城下町の兵士たちにさせればいいだろう。さて、早く戻ってやらんとガルシアが苦戦し始める頃かな、そう思ったときだった。



「動くな」



 ハデスの眉間に鋭く尖った槍が向けられ、目の前に一人の男が立っていた。それはあまりにも早く、そして完全に気配を消していて、流石のハデスも気付くことができなかった。


 ――早い! この人間は相当の手練れだな――


 見ると右腕に勇者の腕輪をつけている。しかも中心の球体が割れていない。どういうことだ、奴の魔法を逃れる術があったのか? ハデスが動きを止めたまま考えていると、再び男が口を開いた。


「この城下町にいた勇者全員を殺したのはお前か」


「……」


「答えろ、さもなくばこの槍がお前を貫く」


 どうやら魔物が死んで元に戻った姿だけを見て、私が勇者を殺した魔族か何かだと勘違いしているのだろう。

 はあ、説明して理解してもらうのも面倒くさい。いっそのことこいつも消してしまった方が早いか? いや、冥界に帰った後の仕事が増えるが……仕方ない。


 ハデスが頭の中で色々考えて、行動に移す。


「!!」


 男は槍を構え、少しでも女が変な動きを見せたら眉間に突き刺すつもりだった。しかし目の前の女は一瞬震えたように見えたあと、姿を消した。 

 次の瞬間にはハデスが男の右隣に迫り、拳を振りかざしていた。男はそれを間一髪で交わすと、恐ろしい速度で槍を薙ぎ払う。ハデスもその攻撃をすれすれでしゃがんで躱し、相手の顔面目掛けて回し蹴りを放つ。男はすかさず槍を立ててその攻撃を防御する。

 しかし蹴りの勢いに押され、男が数歩後ずさる。

 その隙を逃さずハデスが再び顔面目掛けて拳を伸ばす。男もなんとか槍を突き出す。



「……」「……」



 ハデスの拳が男の鼻の先で、男の槍もハデスの喉元近くでピタリと止まった。

 この間、わずか数秒。


「お前、人間のくせになかなかやるじゃないか。名は何という?」


「……ウルフだ。お前の名は?」



 ――うっ、しまった! 冥界の王の名をだすのは何かと面倒なことになりそうだよなぁ―― とハデスは悩み、答えた。


「私は……通りすがりのただのお姉さんだ」


 ウルフは眉間にシワを寄せて、名前を言おうとしないハデスのことを怪しい目で見た。


「……まあいい。それで、最初の質問に答えてもらおうか」

「ああ、わかったわかった。説明してやるから槍をしまえ! 人が集まってきたらなにかとマズイだろう」



 ハデスは面倒臭そうにこれまでの一部始終を話した。



「……そういうことだったのか、すまない。てっきり俺はあなたが――」


「いい、いい。ま、あの状況だけ見ればそうなるわな。ところで……」



 ハデスがウルフの右手 ――勇者の腕輪―― を指差しながら尋ねた。

「どうしてお前は魔物になっていないんだ? 何か特別な力を持っているのか?」


 ウルフはかぶりを振って答えた。

「俺は夕刻前に王都の外に出て、自分の村へと帰る途中だったんだ。そうしたら王都が騒がしく黒煙が上っていることに気づき、何事かと戻ってきたというわけだ。」


 そうか、やつの魔法は王都の中の勇者にしか作動しなかったというわけか。なるほど、ガルダールの魔力の底が見えたぞ。魔法陣を使っても王都の広さが精一杯ってことだ。どうせするなら国中の勇者全員の腕輪を壊せばよかったのに、やつの力ではそれができなかったのだ。


 ハデスがそんなことを考えていると、突然ウルフが自身の勇者の腕輪に槍を突き刺し、中心にある球体を破壊した。


「何してるんだ!」


 彼女が驚いて止めようとしたが遅かった。ウルフの右腕にある球体から黒い気がシューッと音を立てて空へと消えていった。


「その偽国王が再び魔法を使ったら、俺が魔物になってしまうんだろう? そうなるまえに破壊しただけだ」

 と、ウルフは何事もなかったかのように冷静だった。


「馬鹿野郎! 破壊した時点で魔物になる可能性もあっただろうが!」


 ハデスが少し興奮気味にそう言うと、

「その時はあなたが俺を殺してくれていただろう?」

 ウルフはそう言ってにこりと笑って見せた。冷静でありながらもなんと大胆な男だ、とハデスは感心した。


 自身が魔物になる可能性がなくなったウルフは横たわっている勇者を見つめた。この男は……ついさっき王都を出ていく前に話をした男じゃないか。気を付けろと警告したが、やはりこうなってしまったか……さぞ無念だったろう。


 ウルフは動かなくなったアダムを拾い上げ、肩に乗せた。それを見たハデスが何をするつもりかと尋ねると、

「魔物になって死んでしまったとはいえ、彼らは共に戦った仲間だ。弔いくらいはさせてほしい」

 とのことだった。


 城下町に散らばった勇者たちの遺体を一箇所に集め、供養するつもりだという。さらにハデスが聞く。

「そのあとはどうするんだ」


「今日ここに集まっていない勇者が国中にまだまだいるはずだ。俺はそいつらの腕輪を破壊しに行こうと思う。偽国王とやらが再び魔法を使う前にな」


 あいつ、弱っちいから国中の勇者を魔物に変えてしまうほどの魔法は使えないぞ、とハデスは思ったが面倒くさかったから言わないでおいた。



 改めて、ウルフがハデスをしっかりと見つめて口を開いた。

「あなたの名前は……もし次会えたときにでも教えてくれないか?」


「ああ、約束しよう」


 ハデスは「次に会うのはおそらくお前が死んだときだ」とは言わず、心の中に留めておいた。



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