王女の護衛騎士として、戦力以前に荒っぽい口調を矯正して、品行方正かつ紳士的な振る舞いを叩き込まれた。叩き込んだのはダレン殿だ。
そのおかげで、花音様とレイチェル様に対しては主従関係らしい振る舞いが出来ている──と思う。
レイチェル様とダレン殿もとい侯爵家の次男坊のエドウィン様が、デートに赴くと言う話を聞いて、花音様に同じくデートを申し込んだのだが、即断られた。
『そんな暇ないわ。貴方は護衛でしょう』
「では一緒に二人を見守るのは、いかがでしょう」
そう簡単に諦められるものかと食い下がる。最初に断られるのは想定内だ。そもそもこの方の一番はいつだってレイチェル様であって、自分のことなど全く考えていない。
既に亡くなっているとか、いつ消えるか分からないとか。そんなことよりも今、花音様がここに居ることが重要で、一分一秒でも傍に居たいし思い出を作りたいと思うのは、ごくごく普通な感情だと思う。
『見守る、ね。まあ、私が隣に居てのデートは、レイチェルが気にするかもしれないわね』
「ええ。ですので──」
『それはそれで良いけれど、当日は大変だと思うわよ』
花音様の言葉の意味を知ったのは、夜明け前の襲撃でわかった。どうあっても二人のデートを邪魔したい誰かの差し金だ。それも今日はいつも以上に刺客の数が多い。
レイチェル様の拠点としている屋敷は敷地が広く、正面の門扉、分厚くて高い塀が屋敷裏の森の中枢まで続いている。森は広いがほとんどは花音様の知識を駆使したトラップが仕掛けられているので、侵入したらすぐに分かる仕様だ。
しかも一つのトラップが発動した瞬間、魔導具がドミノ式に展開するという高度な罠とかしている。正直、絶対に掛かりたくない。
一部だけ抜け穴を用意することで、誘い込めるようにしている。これは定期的にルートを変えているらしく、なかなかこだわっているのだろう。
ただ基本的にこの屋敷に訪れた場合、捕虜あるいは鞍替えするか、死ぬかしか選択肢がないので二度目の再チャレンジがない。ルートを変える必要はないのではないのかと少し思う。
森の中でも誘い込む場所は決まっているので、五人一組で対処に当たるように指示を出した。デートを楽しみにしていた魔導書の怪物がブチ切れていたのは言うまでも無く、そちらに当たった側は一瞬で跡形もなく消し炭にされていた。あれは不憫以外でもなんでもなかったと思う。
『あれでもまだ押さえていると思うわ。本気で国一つ分、滅ぼしそうな感じだもの』
「冗談でもそんなこと言わないでください」
「……シリル殿。解呪の影響なのか、見えない誰かに話しかけているようですが……。その……大丈夫でしょうか?」
「ん。ああ」
心配そうに声を掛けてきたのは、老兵のディルクだ。彼らには「麗しの女神に助けてもらい、口説き中だ」と説明したが、その反応はかわいそうな者を見るような、同情的なものがほとんどだったが、別に気にしない。一部は「精霊や妖精との交信している」と解釈しているようで、正直有り難い。まあ、他人にどう思われようとも花音様との会話は止めないし、アプローチも続ける。
『だから言ったのに』
「その程度で貴女様への気持ちは、揺るぎません」
『貴方も、今までの死に戻りの中で少し雰囲気が違うわね。……まあ、一番違うのはレイチェルとダレンだけれど』
最後のほうは、独り言のようなものなのだろう。
風が揺らぎ、彼女の長く美しい黒髪が靡く。その存在全てが尊く神々しい。そんな彼女の視界に少しでも入りたいと願うけれど、この方がいつも見ているのはレイチェル様ばかり。
花音様はこれまでの死に戻りで、レイチェル様の中で動けず、姿も声も出せず、今世の自分が嘆き、苦しみ、足掻きながらも最終的には、絶望に染まるのを見続けることしかできなかったという。
だからこそ何かと手を焼いて、レイチェル様を導こうとしている。そのお姿を見るたびに、自分も何か役に立ちたいと思うのだ。
「レイチェル様が前向きで少しずつ変わろうと学んでいるのも、ダレン殿が人間味を帯び始めたのも、花音様が間に入っているからなのでは?」
『買い被りすぎよ。それにしてもラグが情報を流しているから、ピンポイントの日にちで襲撃が来るわね。泳がせていたけれど、そろそろ第二フェーズに移行しようかしら』
「はい。もし動くのでしたら、俺に声を掛けてください」
そう言ったのだが花音様は『何事も適材適所よ』と流されてしまった。
蓮のような清く、儚げでありながら、知将に劣らぬ策謀と、あの魔導書の怪物すら超越する叡智の化身。人を魅了する存在感。正直、彼女が王族の出身だと言われれば、納得できただろう。けれど彼女自身はごくごく普通の家庭で育った平民に近い存在だったとか。
ただレイチェル様の話を聞くと人を癒やし、勇気と希望を与える職業に就いていたというので、おそらく大聖女的な何かなのだろう。【あぃどるぅ】という響きも、まさに彼女の為にあるようなものだ。そんなことをつらつらと考えつつ、早朝の襲撃は撃退に終わった。
ほとんどダレン殿のストレス解消だったようだが、本当にこの御仁が敵陣営でよかったと思う。数名は情報を聞くために、捕虜として捕らえておいたので服従か死を選択するまでだ。
俺が花音様と会話しているのを間近で見ているディルクは、何か言いたげな顔をしたまま今日も口を噤んだままだった。
「……なあ、ディルク。こうも配置通りに敵の襲撃が来るのは、おかしいと思わないか?」
「間者、いえ裏切り者が近くに居るということなのでしょう。フウガの話では、従者見習いのラグが一番怪しい、と」
「ああ。そちらは泳がしておくらしい。それ以外に気になる奴はいるか? あるいは……悩みを抱えているなどでもいい。俺に話すことは何かあるか?」
「……」
木々を揺らす強風がたわんだ。沈黙は数秒だっただろうが、ディルクは頭痛に悩まされた者のように苦悶を見せる。
長い付き合いだ、その表情で何か面倒ごとを抱えているのは察した。いやもっとずっと前からサインは出ていたのだ。でもそうではないと思いたかった。
おそらく
俺には「祖国は捨てて、家族は帝国に移り住んで暮らしている」と話していたが、それも嘘だった。裏切られたというショックは多少なりともあったが、取り乱すこともなくすんなりと受け入れられたのは、自分にとって優先順位が決定していたからだ。
既にこの命も、剣も花音様とレイチェル様に捧げた今、俺にとって二人の害となる存在はどんな相手だろうと冷徹に処理できる。
「シリル殿、生きる目的ができたのですな。それは重畳」
「ディルク。俺は真面目にだなぁ」
ディルクの口元が緩んだ。思えば彼はいつも無表情で感情の機微が薄かった。以前は前髪が長くて顔が隠れていたのもある。
「すみません。でも、生きる上で大事なことです。……吾輩はとある悪魔に敗れてから、ずっと」
バサバサと鳥が飛び立ったせいで、ディルクの声が聞こえなかった。不穏な空気と嫌な視線が一瞬だけ感じられたが、すぐに霧散して消える。
誰かが、こちらを目視した?
「か──」
『しぃ』
半透明な人差し指が、俺の唇に触れた──ように見えたが、実際にはすり抜けているので触れてはない。触れた触れてない以前に、花音様がすぐ目の前にいたことに、心臓が止まりそうになる。