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第37話 シリルの視点4 反撃

『……そう。実に愚かな選択だわ。撤退も捕縛も慈悲もなくて良いわね』

「──っ」


 ゾッとするほどの敵意と、殺意を込めた言葉に、鳥肌が立った。言葉だけで、ここまで震えるだろうか。

 感情の一切を削ぎ落とした彼女は、一瞬にして戦乙女のような冷徹で、研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせた。ここにダレン殿がいなくて本当に良かった。今の話を聞いていたら、さらに凄惨な戦場になっただろう。

 いや、前言撤回。花音様もなかなかに苛烈な性格だったと思う。音楽の神に喧嘩を売るとか言っていたし……。


『……検索完了サーチ……コンプリート。シリル。私と手を繋いだまま、あの悪魔の攻撃を10秒だけ防げる?』

「10秒……!? 今回のことを乗り越えた後、手を繋いで歩くことと、花音様とレイチェル様の騎士として認めていただけるのなら」


 振り返った花音様は、目を大きく見開いた次の瞬間、とびきりの笑みを浮かべた。ああ、こんな状況でも、貴女はこんなにも美しい。


『ふふっ、こんな状況で大きく出たわね』

「このところ、驚くべきことばかりでしたので、慣れたのかもしれない」

『いいわ。レイチェルと私の騎士様、あの愚かな悪魔を二人でやってしまいましょう』


 花音様と手を繋いだ瞬間、すさまじいエネルギーが全身を駆け巡り、不可視のベールに守られているかのような感覚を覚えた。

 流れ込んでくる感情、情報量に目眩を覚えたが、なんとか耐える。

 神経細胞の一つ一つまで力が漲ってくる。体も軽い。恐怖も消え去った。一体どんな魔法なのだか。

 悪魔は大きく目を見開き、俺と花音様を見比べた。花音様が見えている?


「おや? 半透明な……少女? いや精霊?」

『あら、シリルと魂の接続をすると、他者にも見えるようになるのね。まあ、レイチェルの体の主導権を時々借りることができるから、大丈夫だと思っていたけれど、他人でも問題ないのは重畳だわ』

「花音様、一発勝負すぎないだろうか……」

『そう? よく言うじゃない? 男は度胸、女も度胸って』

「初耳だ。だが良い言葉だと思う」


 俺と花音様の会話を聞いていた悪魔はわなわなと怒りに震えているかと思いきや、目を爛々と輝かせている。


「ああ、ああああああああああああああ! なんて瑞々しく、すさまじいエネルギーを持つ魂なんだろう。こんな魂、見たことがないやぁ。いや存在そのものが別次元のような……、ああ、食べたい。食べたい、食べたい!」

『残念だけれど、それは無理ね。そもそもアイドルは純粋無垢かつ誰もが憧れる存在だから、貴方のようなファンは迷惑だわ』


 花音様の片手に白銀の分厚い本が形成されていく。金の装飾が施され、紙特有のページを捲る音が耳に残る。


『序列39位、ディアヘルム伯爵。お前はこの世界の契約において、以下の違反を起こした。この世界において契約は、お互いの了承が必要となる。それを強要、恫喝し、過剰対価、魂の尊厳、保護されるべき者、契約者を搾取し続けた。ゆえに法の神の名の下に罰を与える』

「あはははっ、面白いことを言うねぇ。罰ぅ? 僕に罰を与えられるのは僕以上の序列の場合だけだよぉ! たかがエネルギー体の精霊崩れのくせに──」


 悪魔の顔色が変わった。笑みは消え、眉が釣り上がり、獰猛な牙がむき出しになる。十メートルの距離を一瞬で詰めてきた。

 10秒か。


 固まっていたディルクを森の傍まで放り投げ、素早く抜いた剣で悪魔の爪を弾く。きぃいいいいん、と金属音が火花を散らす。


「ぐっ……」


 すさまじい膂力だったが一撃を受け流し、花音様に向かう攻撃は剣技で捌き、残る全ては風圧で弾く。

 残り9秒。

 相手は剣の腕の天才ではないし、技術も駆け引きもない。

 ただ速いだけ。


「串刺しなれ!」

「花音様、失礼します」

『きゃっ』


 流石に広範囲攻撃を防ぐのは難しく、命令を忠実に守るためだという大義名分を得て、花音様を抱き上げる。

 愛くるしい声。花のような香りに、確かな温もりがあって、このままギュッと抱きしめてしまいたい。そんな衝撃に耐えながら、攻撃を躱していく。

 地面に突き刺さる槍の量を見てゾッとした。数千人の兵が一斉に放ったような物量。ああ、本当にこの実力差に腹が立つ。あまりにも理不尽な力。災害そのものだ。


「──っ」

『シリルは回避と防御に徹して。それさえできれば、こちらの勝ちだわ』


 ああ、本当に。こんな時に、そんなことを言われて燃えない奴なんていない。少なくとも、こちらには勝利の女神がいるのだ。

 たった数秒、それだけでも大量の汗が流れ落ちる。動け。躱せ。無様でもいい。この方をお守りすることだけに専念するんだ。

 8秒、7秒っ……。


「何もさせずに終わらせる、死ねぇえええええ!!!」


 この悪魔は花音様の詠唱がまずいと気づいている。だからこそ、単調で力業で押し切ろうとする。

 その程度なら、あと数秒は──。


「誰が正面だけと言ったぁ?」

「!」


 頭上、地面から同時に槍が迫る。同時攻撃を回避したが、悪魔からの一撃を対処する余力はなかった。

 花音様が無事から!

 ドスッと背中に槍が突き刺さる。


「かはっ」

『シリル!?』


 咄嗟に剣を投げる形で、悪魔の追撃を躱したが、ここで手詰まりとなった。膝の力が入らず、体から血が抜けていく。これでは1秒も無理か。


「逃げるのは終わり♪ この後はたのしい、たのしい、食事会だよぉ」

「──っ」


 悪魔の一撃を紙一重で躱しきれず、肩に激痛は走る。体勢を崩し花音様を庇う形で、その場に倒れ込んだ。

 あと数秒だったのに、花音様を抱えて走る力は残っていなかった。大口を叩いておきながら、なんとも情けない。


「花音様、申し訳……ありません」

『充分よ、シリルの傷は最初から負ってなかった。そうでしょう?』

「なに……を?」


 そう聞き返そうとしたが、ふと痛みが消えた。感覚が麻痺したのかと思ったが、違う。血も痛みも幻だったかのように、何もかも消えていた。これは一体?

 こんな神の御業まで、このお方は使えるのか。


「事象の書き換え──いや上書き? そんな……馬鹿な。だとしたら……お前は、いや貴女様は……」

『この本を開いる間で良かったわ。さあ、チェックメイトよ』

「その……本はなんだぁ!? 嫌な感じがする……ひぃっ!」

『逃すわけがないでしょう』


 じゃらじゃら、と白紙のページから白銀の鎖が一斉に悪魔を襲った。追尾型に特化していたらしく、距離を追った悪魔をすぐさま捕縛。何重にも巻き上げて、鎖そのものが徐々に大きくなっていく。


「──っ、こんなぁ鎖如きでぇえ!」

『お前はやり過ぎた。いやお前だけじゃない、悪魔も堕天使も人外は好き放題していたのでしょうね。でも増えた存在、慢心した存在は栄華を極めた後、必ず滅ぶようになっているのよ。この先の展開で待っているのは、天使と悪魔の壮絶な戦いじゃ無いわ。人間の法治国家による無法者な人外への断罪よ』

「離せぇえええ! 僕は悪魔序列、伯爵なのだ。僕が、七つの大罪あの方々以外に破れるなんてことは、あってはいけない」


 法の神そのもののように、彼女は堂々とした立ち振る舞いで、悪魔を白銀の書物の中に封印してしまった。あまりにもあっけなく、拍子抜けするほど簡単に悪魔を封じた。

 そう封じたのだ。

 夢でも見ているかのように実感がない。


『私とダレンが考えた悪魔封じ書グリモア。これで契約違反で奪っていたディルクの消えかけていた魂や心、感情も戻るはずよ』

「あなた……様が、シリル殿の言っていた……女神様」

『そうね。恐らく、そうなるわ』


 その意味深な言葉を本当の意味で理解するのは、もう少し先となる。



 ***



 朝から死闘を繰り広げて、できるならのんびりしたい気持ちでいっぱいだったが、このあと花音様とデートもといレイチェル様の護衛として、影ながら見守る任務がある。

 花音様と一緒という最高な展開だ!


 そしてディルクは恐れ多くも、花音様から悪魔封じ書グリモアを授かった。これによりディルクの感情や心、魂が徐々に戻ってくるという。

 ページを開いても今は空白のままらしく、悪魔の力を転用するには時間がかかるという。

 ひとまずディルクは休ませるとして、他のメンバーでソフトを組んだ。ちゃんと休むように指示を出し、ランファとフウガに世話を丸投げしておいた。これは俺が花音様とできる限り二人きりになりたいからなどの理由ではない。



 ***



 朝食を手早く済ませて、乗馬しながら王女の乗る馬車を護衛する。エドウィン様はいるなら護衛とか必要ない気がするが、外聞は大事なことだ。

 まあ、そんなことよりも、今は花音様と一緒に馬上している幸福を噛み締めよう。俺と触れている間、人外や勘の良い者には、花音様が見えるようになったらしい。それに合わせてか花音様は白いドレス姿で、いつになく神々しく見えた。


「本当に女神になっても、居なくなったりしないでくださいよ」

『ふふっ、そうね。今身罷られるのは困るわ』


 鈴を転がしたかのような声、そして機嫌が良いのか聞き慣れない歌が耳に届く。それは大きな声では無いけれど、風に乗ってアストラ商店通りの人々の耳を楽しませていた。

 馬車からレイチェル様と侯爵家が乗っていると気づき、幻想的な歌声に皆足を止めて注目している。これも花音様の狙いだとしたら、この方はどこまで先を見ているのだろう。


 その後、予定通りに中央公園のベンチで世間話をしていた。途中で二人の距離がぐっと縮まって、どこからどう見ても恋人同士だ。いや実際に恋人というか婚約者なのだが。

 今朝の悪魔、人外の恐ろしさを思い出した分、なんというかダレン殿は、やはり変わっているのだろう。

 一応護衛なので、近くの林の傍で待機しているのだが、花音様は二人の様子を微笑ましそうに眺めていた。


『やっとお互いに、恋人らしい感情が芽生えてよかったわ。ダレンなんて最初からレイチェルのことを気に入っていた癖に、その感情が理解できずにレイチェルを死なせてしまったの』


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