披露会開催の挨拶は無事に終了した。といっても無難な挨拶をするだけなので、そこまで難しいことではない。問題はこの後の歌のお披露目のほうだ。
慌ただしくも舞台裏の控え室で、着替えを済ませる。次の衣装は、聖女をイメージした白のドレスだ。長袖で露出が少ない。しかしこのドレスは少しだけ特殊でそのために、《レディシュガー》、《ラピスリリー》のスタッフには、今回ギリギリまで頑張って貰ったのだ。
「レイチェル様、なんとか完成しました」
「これが私たちのできる今の最高傑作です」
二人とも髪はボサボサだし、目には隈がある。疲労困憊の中で、本当にギリギリまで頑張ってくれたのだろう。それが伝わってきた。
当初のドレスデザインよりも装飾は最小限で、一から作り直したとはいえ、見た目だけなら一着目のほうが、派手で見栄えも良かった。でもこの二着目こそが私とカノン様の望んだもの。
「ありがとう。私が今着るのに最高の仕上がりだわ」
「──っ、喜んでいただけて何よりです」
「ありがとうございます」
急いで着替えて、髪型もハーフアップに整える。生花を使った髪飾りはアレンジして使う。白いドレスを身に纏い、なんだか身が引き締まる。この国で真っ白なドレスを着こなすのは、聖女か花嫁だけだ。それだけ白のドレスを纏うのは覚悟がいる。
『私にとって白のドレスって、戦闘服だって思っているわ』
「カノン様? 異世界では女子どもが戦うような……?」
『違うわよ。まあ、物理的に戦うことはなくても、戦場はどこにだってあるわ。自分でその舞台に立って勝ち取りたいと思ったのなら、それは戦場と変わらないでしょう』
カノン様は今までどれだけ、戦場に立っていたのだろう。王位継承権争いも戦場という舞台だ。私は舞台に上がりたくないと、上がるしかない状態ばかりで、自分の意志で立ち向かったことなど数える程度だ。
でも今は違う。
私も自分の意志で、戦場に立つ。
『白は、祝福、信頼、平和、神聖のポジティブな意味合いが多いけれど、私としては《始まり》を象徴する意味が好きだわ』
「私も、カノン様と出会って白が好きになりました」
『そう』
着飾るのは苦手だった。
自分にはふさわしくないと思っていたから。
人に注目されるのが嫌だった。
嫌味や殺意、敵意、悪意の視線が怖くて下ばかり見てしまうから。
自分には何もないと思っていた。
味方もいないと思っていた。
血筋だけで序列第二位となったと、陰口を叩かれても、しょうがないと。
でも「違う」と言ってくれる人がいた。
私には可能性があると、私を見いだしてくれたのは
だから二人の期待を裏切りたくない、がっかりさせたくない。
怖くても、緊張して逃げ出したくても、私は舞台に立つ。
「大丈夫……大丈夫……」
震える指先を隠すようにギュッと拳を握って、下を向いて転ばないように控え室を出ようとした。次が本当の本番。
周囲の声が遠のいて、視界が、どこか息苦しくなる。でもここで倒れるわけにはいかない。
「──、レイチェル様」
ふと背中に手が触れて、振り返った。そこには侍女長のマーサがいた。いや彼女だけじゃない、《レディシュガー》のオーナー、エイミー様と、《ラピスリリー》のオーナーのモニカ様、護衛のシリル、ランファたち、スタッフたちの顔がハッキリと見えた。
全員、私に向けて目をキラキラさせて笑顔だった。
今まで気づかないほど、私の視界は狭まっていたようだ。
「え、あ」
不思議だった。その眼差しは私がカノン様にするようなものと似ていて、憧れに近い。まるで私に向けて──。
『あら、貴女に向けているので合っているわよ』
「!?」
『こういう時、何か言ったほうが、士気も上がると思うのだけれど』
「(士気って……ううん、ここは戦場だわ。私の戦うべき舞台。士気を高めるための
一瞬静まりかえった後で、場の空気がどっと盛り上がった。きっとカノン様やローレンツ兄様なら「自分についてきて欲しい」と言っただろう。でも私は一人ではできることは少ないし、周りを頼ることが多い。だから、これが私なりの、私が考えた思いだ。
「もちろんでございます!」
「レイチェル様!」
「どこまでも、お手伝いさせていただきます!」
***
『まだ
カノン様がそう言った意味が最初は分からなかった。でも舞台裏の控え室で皆に送り出されて、少し視界が変わった気がした。
舞台の上で幕が上がって観客の姿を見た瞬間、その答えが目の前に広がっていた。
(あ、そうだったのね)
舞台だけが美しく輝くように作られた空間。観客席は暗く、魔導具によるシャンデリアが舞台を美しく幻想的に照らす。空間作りで観客の目を楽しませる。
次に耳に聞こえてくるのは、ピアノとヴァイオリンの音色だ。最初に歌うのは、音楽の神々への挑戦権への感謝の賛美歌。
「我らの歌の神々に 唄を歌う喜びと 新たな若葉の音色 感謝を」
とても短い歌。普通ならここで一度音楽が切れて、新しい歌を披露する。
けれど──。
カッ、と眩い光、パーティークラッカーと呼ばれる花火の音と共に、細長く切断されたテープが勢いよく飛び出す。
音と光。そしてメロディーのテンポが一変する。
途中で地下から舞台に上がってくる者たち。
ギター弾きが二名、ベースが一人、ドラム演奏者が一人。計四名が登場し、音の層が深まる。
私は早替え衣装の紐を引くと、露出の高いドレスに早変わりする。それこそまさにウエディングドレスのように。カノン様曰くトランスフォームドレスというらしい。
もちろん、これは小細工で、場の空気の演出。
一番の隠し球。
それはただ単純に、カノン様の歌唱力──。
「LA――――」
一音。
魂に響く声。その音だけで、一瞬で全てを呑み込み、かっ攫う。
痺れるほど真っ向勝負で、力強い声音。
迷いも、疑いもない、自分の磨き上げた歌への絶対的な信頼感。最初はテンポの良いポップアップな曲で、カノン様の世界ではドラマやアニメのオープニング曲とかで歌っていたとか。
馴染みのある曲で、作詞作曲も自分で作ったというのだから本当にこの方は凄い。
言葉は言霊。
歌は国境どころか世界を超える。そう言っていたカノン様の言葉が実証される。
今までカノン様が生きてきた人生の集大成とも呼べる全てが音に乗って、観客全員の心を揺さぶる。これを最初に聞いたときに、涙が出た。
カノン様の生き方が断片的に流れてきて、やっと自分の戦上に戻ってきた──。そう魂が叫んでいたかのよう。
わずか四分未満の歌。
間奏を挟むことでピアノとヴァイオリンの演奏者レガートが参入して存在感と力強さを強調する。その間、早替えした衣装と光魔法によって、ドレスに縫い止めた白い宝石が美しく煌めく。
濃縮された歌の集合体。
耳に残りやすいメロディーに、同じリズムをピッチが徐々に変わるところもこの歌の特徴だった。まるで一つの曲がフルコースのように一つ一つ印象に残りやすいように作られている。
すごく難しい技術なのに、それを難しいことだと思わせない。
楽しい。
ああ、とても楽しくて、嬉しい。
そんな気持ちが心からあふれ出てくる。自然と笑顔で歌っていた。
これがカノン様の視点。カノン様の見ていた世界。
それは壮大で、どこまで長く続く水平線のよう。
この日、私は初めてカノン様の見ている世界を、視界を共有した気持ちになった。