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第55話 それぞれの視点3 デザイナーのモニカ  


 衣服関係の店を出したい。そう夫に一度だけ話したときがあった。

 幼い頃から刺繍が得意で、騎士団に所属していた夫も応援してくれていた。その夢が崩れたのは、ようやく資金が集まって店を立ち上げようとした時だった。

 リュート子爵と共に冤罪をかけられて、私の実家のリゾルート侯爵家は取り潰された。それによって国外追放か市井に落ちるかのどちらか。夫も巻き添えで騎士団を脱退させられ、冒険者に身を落としたが収入が不安定な日々が続いた。


 店を始めるための資金削って生活費に補填していたが、冤罪をかけられたときに借金を背負わされたことで、生活が厳しくなる。この借金は両親が私たち夫婦に押しつけたものだったことが後で分かった。「戦うことしかできない不器用な夫ですまない」と言った夫に私のほうが申し訳なかった。おそらく夫は闇ギルドにも所属している。

 匂いを消すため大衆浴場を使っているが、鉄の匂いはそう簡単には落とせない。


 夫の生き方を大きくねじ曲げてしまったのは私だ。針子の仕事をしても借金を返せたのは微々たるものだった。


「ねえ、アナタ。アナタだけだったら別の人生をやり直せるわ。離縁して騎士団に戻って、普通の家庭を作ることだってできる」

「俺は……。モニカ、お前だから結婚したんだ。他の女性を娶るつもりはない」

「でも……アナタ、騎士団長になるのが夢だって」

「お前だって店を出すのが夢だっただろう。大丈夫だ、次の仕事は実入りがいいんだ。それが片付いたら──きっと、もっとマシな生活ができる」


 嫌な予感がした。

 大きな仕事。誰か、王侯貴族を殺す依頼ではないか。

 その予感は的中した。


 住宅街──といっても、王都の集合住宅は治安も悪く、家も古い。そんな家に夫は血まみれで帰ってきた。

 死に神を連れて。


「アナタ!!」

「ああ、まだ生きていますよ。この手の相手はシリル殿のほうが適任ですが、彼は今私の大切な人を護衛中ですからね。仕方ありません」


 その男は高価な片眼鏡モノクルを付け柘榴の瞳、深緑色の少しウェーブのかかった前髪、後ろは一つに結っていて、常におろし立ての黒の燕尾服姿の美丈夫だった。どう見てもどこか上級貴族の執事の身なりだが、その鋭利な視線は人外の類いだ。


「ひっ……。夫を、私を殺すことが貴方様の主人の命令でしょうか?」

「私の主人はそのような命令をしません。今回の襲撃のことも知らないでしょう。さて、モニカ・ブレッド。今ここで夫と共に死ぬか、アナタからこの男を説得してレイチェル様に忠誠を誓って陣営に鞍替えするか」

「レイ……チェル様……」


 第五王女レイチェル。王位継承権第二位のお方を、夫は殺そうとして失敗したという。なんという恐ろしいことをしてしまったのか。

 しかしダレンと名乗った男は「こちらの陣営に入るのなら、暗殺部隊から護衛騎士あるいは街の騎士にすることは可能ですよ。それと借金の肩代わりもしましょう。アナタ、お店を出したかったのでしょう?」と、私たちの情報は全て筒抜けだった。


 でも理解できなかった。

 どうして好条件過ぎる。人外なのに人間らしい考え方を持っていることにも違和感を覚えた。


「どうして……そんな、好条件なのですか?」


 そう問いかけて、ダレン様は顎に手を当てて考え込んだ。その姿は哲学者のようで、絵になった。


「そうですね。少し昔ならこんな提案はせずに全て灰にして終わりでした。……レイチェル様がこのやり方のほうが、お喜びになると思ったのです。あの方はご自身がそこにいるだけで、周囲の空気を変えるのに、気づいていない。一生懸命で、それを見ていると胸が苦しくなると同時に温かくなる。あの方は抱えられるだけ、救えるだけ手を伸ばして救って、救った相手に助けを求める。そうやって繋がりを広げていく」


 ふいとレイチェル様を思い出したのか、その石榴色の瞳がキラリと輝いた。人外だというのに、その表情は誰よりも人間らしくて、「ああ、この人は心から好きな方を見つけたのね」と分かった。


「あの方が助ける度に、色んな輪が広がって、次々と色んな人たちがレイチェル様の元を訪れて、あの方のために動こうとする。なんとも摩訶不思議な現象です。魅了でも洗脳でもない。その魅力に私自身もやられてしまって、レイチェル様やシリル殿の真似事をしてみようと思ったのですよ」

「貴方様はレイチェル様をお慕いしているのですね」

「ええ。だから、誰かのために戦う者には多少温情をかけることにしたのですよ。殺すより恩を売るほうがいいと」


 人外は理解の及ばない存在で、理解できない。そう思っていたけれど、少なくとも眼前にいるダレン様という方は違うらしい。

 それに人外であるこの方を、ここまで変えてしまうレイチェル様に興味を持った。どんな方なのか。誰かを大切に思ってくださる方なのなら──。


 虫の息だった夫を治癒しに着たのは、カエルム領地の教会責任者セイレン枢機卿だった。こんな大物までいるというのだから驚くばかりだ。

 治療が終わって目が覚めた夫と相談して、レイチェル様陣営に加わることにした。決定打はマーサ・グレース子爵夫人がいたこと。あの《|淑女の鑑《レディ・エグザンプル》》がいるのなら、と。マーサ様は最後まで我が家の冤罪を訴えてくださった方だ。その方が仕える方なら信頼できる。


 そう思って承諾した際、不思議な約束をさせられた。


「ああ、そうそう。モニカ・ブレッド。グリム・ブレッド。今回の陣営に加わった経緯をもしレイチェル様に聞かれたら『夫は暗殺部隊の人間なのだけれど、奥方には秘密にしている。もっとも本人は薄々気づいているようだ』ということにして、あくまでシリル殿経由で鞍替えしたと言っておいてください」

「は、はい」

「わかり……ました。しかしどうして?」


 単に興味本位で聞いてみたのだが、ダレン様は少しだけ頬を染めて、


「私がこのような裏工作をしているとレイチェル様が心配なさるからです。怪我をしていないか、無理をしていないかなどなど、あの方は時々私を普通の人間と勘違いして心配しすぎるのですよ」


 それは盛大な惚気だった。まさか人外の惚気を聞かされることになるとは思わなかった。そしてその後、私はマーサ様経由で店を出したいことがレイチェル様に伝わり「このデザインなら、出資するから店を出してみては?」と打診が入ったのだ。


 今日はそんなレイチェル様の晴れ舞台。

 エイミーは本当に愚かだった。古くからカエルム領地の領地で商売をしていて、レイチェル様に援助して貰っていたというのに、恩を仇で返した。甘いレイチェル様ならさほど罰をくださいと思ったのだろう。けれどこの領地での営業停止と賠償金支払い、少し甘いけれど妥当な処罰を言い渡した。


 この方は確かに甘いのかもしれない。けれど私は知っている。その傍に居るダレン様の目が一切笑っていなかったことに。ゾッとするほど鋭く射貫くような目でエイミーを見ていたのだ。おそらく彼女は表舞台からも消えるだろう。

 少なくとも人外を怒らせれば、命をただ奪われるよりも酷い末路が待っている。


(それにしても、あのドレスの早替え衣装の考えは素晴らしかったわ。表裏両面使えるような衣服なんて面白そうだわ)


 レイチェル様といるとデザイナーとしても刺激を受ける素晴らしい方だ。たしかにダレン様が惹かれるのも分かる。

 舞台袖でレイチェル様の歌声に泣きそうになりながら、この方と縁を結べて良かったと心から思った。


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