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第69話 忘れないもの

 それは懐かしい人の声だった。

 聞き覚えのある歌声が、失っていた全ての記憶を呼び起こす。魔法で上書きされても、消されても、魂に刻まれた思いだけは消せない。


「『貴女に会えてよかったと 宵闇に向かって私は叫ぶ

 貴女が手を伸ばし 私に託してくれた 願いを

 ずっと手にしていたのに 目を瞑っていた』」


「『貴女の目が覚めて 孤独だと思っても

 手の温もりも 声も願いも 覚えている

 重ね合わせた 思いは 忘れない』」


 涙がこぼれ落ちた。

 そうたとえ姿が見えなくても、話ができなくても、もう会えなくても──カノン様が残してくれたものは、残っている。無くなりはしない。


「ダレン。私はカエルム領地に戻るわ」

「──なっ、レイチェル?」


 顔を上げたダレンは息を呑んだ。目を大きく開けて、潤む瞳はどこか羨望を滲ませていた。


王位継承権争いこれは私が始めた戦いだもの。色んな人を巻き込んで、力を借りて、大切な人を失ってしまったけれど、それでも──私は戦って生き残るわ。だから、戻るの。私の戦場舞台へ」

「駄目です。いやだ……」

「死ぬために行くわけじゃないです。勝てない戦いをしに行くのは下策中の下策でしょう」


 こつん、とダレンと額を合わせた。

 記憶を取り戻した今なら、ダレンが何に恐れていたのか分かる。そしてダレンの人間らしい感情を呼び起こしたのは、カノン様の死。


(ダレンは私とは違う意味で、カノン様のことを一目置いていた。ある意味対等だった関係なのかもしれない。二人で色々画策していたようだし、初めてできた友人のような関係だったとしたら、きっと悲しいと言う気持ちよりも、怖いと思ってしまったんだわ。自分が見送る側だと気づいてしまった)


 ダレンの深紅の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「レイチェル……私は……」

「カノン様なら、また会えます。約束の地で」

「そんな場所など」

阿迦奢図書館アカシックレコード。私が王位継承権争いを生き残り、残りの人生を終えたとき、ダレンも一緒に連れて行ってあげます。そこでカノン様が待っていますから。貴方を一人にしないわ。絶対に」

「──っ」


 ダレンは下唇を噛みしめ、頬に涙をこぼす。


「無理です。私には権限がないと、カノン殿が言っていたではないですか」

「確かにあの時のダレンだったら、無理だった。でも今のダレンは違うでしょう。人の心を持って、私を愛してくれる。私は阿迦奢図書館アカシックレコードの鍵であり、そこにたどり着ける。ダレン一人ぐらい一緒に連れて行けますわ」


 ダレンの本来の目的は、阿迦奢図書館アカシックレコードに行くことだったはずだ。でも、その目的を違えても私に生きてほしいと願ったからこそ、ダレンは阿迦奢図書館アカシックレコードへの切符を手にする。


「さあ、帰りましょう。それでも、まだごねるのなら」

「ごねるのなら?」

「勝負をしましょう。いつものように。私たちの始まりのように」


 ダレンは勝負という言葉に、生気を取り戻す。そう彼は、昔から人と賭け事をするのが好きだった。それはたぶん人を知ろうとしていたから。知りたがりで、狡猾だけれど筋は通す。怖がりで、優しい人。それが私の知っているダレン。


「私の愛しい人、ダレン。私はまだ自分の舞台を降りたくないの」

「……レイチェルが勝ったら……ですよ」

「ええ」


 しょうがないといったような、困った顔でダレンは了承した。紺色の貴族服から黒の執事服に一瞬で着替えてしまう。それから恭しく一礼をした。


「それでは全身全霊を掛けて、勝負をしましょう」


 ***



 ダレンと私は客間に場所を変えて、ソファに座った。ここから勝負──なのだが。


「ええっと、ダレン?」

「なんですか?」

「これ勝負なのにどうして隣に座っているの? 普通向かい合って座るんじゃ無い?」


 そうダレンは私の隣に座っているのだ。しかも近い。恋人や婚約者の距離感だ。そこの関係性は問題ないのだけれど、勝負をする立ち位置ではないと思う。


「そしたらレイチェルが遠くなるではないですか?」

(至極まっとうな感じに言われた!? え、これ私の認識がおかしいの!?)


 早くも精神攻撃を仕掛けてきているのか、ダレンのペースに巻き込まれていく。隣にいたのに、いつの間にか膝の上に。どんどん可笑しい。


(駄目だ。カノン様というツッコミ役がいなくなったことで、私が今度はしっかりしなければ……!)

「ではお互いに質問を出し答えていく。一問でも答えられなかったら負けとなります」

「ダレン。やっぱりこの定位置、可笑しくない? 真剣味が足りないというか……」

「まったく」

(真顔で言い切った!?)


 先ほど泣いたからか、なんだか吹っ切れている。そしてスキンシップが増えた。キスも沢山増えて、なんという心理戦。


「それでは私から『七つの聖カンパナがある場所は?』」

「『カエルム領地の教会』です」

「じゃあ、戻ったら七つの鐘が同時に鳴る冬至ヴァイナハトを聞きに行きましょう」

「ええ」


 これは勝負じゃないとすぐに分かった。

 これは約束だ。次があるのだから、それまでは「何が何でも約束を守って生きろ」と言いたいのだろう。失うことがとても怖いというのをダレンは知ったから、そうならないために楽しいことで予定を埋めていく。不安を埋めるため。


「次はレイチェルの番です」

「私の……番。『アストラ商店街の《木漏れ日カフェ》、今月限定スイーツを三つ答える』?」

「『ロイヤルチョコシフォンケーキ、ふわふわチョコアイス付きスフレパンケーキ、歌姫パフェ』でしょうか」

「正解。今月中に食べに行きたいので、付き合ってください」

「いくらでも」


 それから勝負という約束をしていく。デートをする場所、旅行で行きたい場所、やってみたいこと。日が落ちて宵闇が迫るまで私たちは沢山の約束を交わす。

 この日、初めて私たちの勝負は引き分けドローになった。次の勝負をするため。


「次は阿迦奢図書館アカシックレコードの中ですれば良いでしょう。勝ち逃げした相手に、今度は私とレイチェルとタッグを組んで挑むのも面白くないですか」

「ふふっ、そうですね。途中退場したのですから、絶対に私たちで勝ちを取りに行きましょう」


 私とダレンは笑い合い、そしてもう一度立ち上がる。

 たとえカエルム領地の状況、王位継承権争いがどうなっているのか遅すぎたとしても、決着を付ける必要があるのだ。そう決意し、ダレンと話を詰めようとした矢先、家の呼び鈴が鳴った。



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