それは懐かしい人の声だった。
聞き覚えのある歌声が、失っていた全ての記憶を呼び起こす。魔法で上書きされても、消されても、魂に刻まれた思いだけは消せない。
「『貴女に会えてよかったと 宵闇に向かって私は叫ぶ
貴女が手を伸ばし 私に託してくれた 願いを
ずっと手にしていたのに 目を瞑っていた』」
「『貴女の目が覚めて 孤独だと思っても
手の温もりも 声も願いも 覚えている
重ね合わせた 思いは 忘れない』」
涙がこぼれ落ちた。
そうたとえ姿が見えなくても、話ができなくても、もう会えなくても──カノン様が残してくれたものは、残っている。無くなりはしない。
「ダレン。私はカエルム領地に戻るわ」
「──なっ、レイチェル?」
顔を上げたダレンは息を呑んだ。目を大きく開けて、潤む瞳はどこか羨望を滲ませていた。
「
「駄目です。いやだ……」
「死ぬために行くわけじゃないです。勝てない戦いをしに行くのは下策中の下策でしょう」
こつん、とダレンと額を合わせた。
記憶を取り戻した今なら、ダレンが何に恐れていたのか分かる。そしてダレンの人間らしい感情を呼び起こしたのは、カノン様の死。
(ダレンは私とは違う意味で、カノン様のことを一目置いていた。ある意味対等だった関係なのかもしれない。二人で色々画策していたようだし、初めてできた友人のような関係だったとしたら、きっと悲しいと言う気持ちよりも、怖いと思ってしまったんだわ。自分が見送る側だと気づいてしまった)
ダレンの深紅の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「レイチェル……私は……」
「カノン様なら、また会えます。約束の地で」
「そんな場所など」
「
「──っ」
ダレンは下唇を噛みしめ、頬に涙をこぼす。
「無理です。私には権限がないと、カノン殿が言っていたではないですか」
「確かにあの時のダレンだったら、無理だった。でも今のダレンは違うでしょう。人の心を持って、私を愛してくれる。私は
ダレンの本来の目的は、
「さあ、帰りましょう。それでも、まだごねるのなら」
「ごねるのなら?」
「勝負をしましょう。いつものように。私たちの始まりのように」
ダレンは勝負という言葉に、生気を取り戻す。そう彼は、昔から人と賭け事をするのが好きだった。それはたぶん人を知ろうとしていたから。知りたがりで、狡猾だけれど筋は通す。怖がりで、優しい人。それが私の知っているダレン。
「私の愛しい人、ダレン。私はまだ自分の舞台を降りたくないの」
「……レイチェルが勝ったら……ですよ」
「ええ」
しょうがないといったような、困った顔でダレンは了承した。紺色の貴族服から黒の執事服に一瞬で着替えてしまう。それから恭しく一礼をした。
「それでは全身全霊を掛けて、勝負をしましょう」
***
ダレンと私は客間に場所を変えて、ソファに座った。ここから勝負──なのだが。
「ええっと、ダレン?」
「なんですか?」
「これ勝負なのにどうして隣に座っているの? 普通向かい合って座るんじゃ無い?」
そうダレンは私の隣に座っているのだ。しかも近い。恋人や婚約者の距離感だ。そこの関係性は問題ないのだけれど、勝負をする立ち位置ではないと思う。
「そしたらレイチェルが遠くなるではないですか?」
(至極まっとうな感じに言われた!? え、これ私の認識がおかしいの!?)
早くも精神攻撃を仕掛けてきているのか、ダレンのペースに巻き込まれていく。隣にいたのに、いつの間にか膝の上に。どんどん可笑しい。
(駄目だ。カノン様というツッコミ役がいなくなったことで、私が今度はしっかりしなければ……!)
「ではお互いに質問を出し答えていく。一問でも答えられなかったら負けとなります」
「ダレン。やっぱりこの定位置、可笑しくない? 真剣味が足りないというか……」
「まったく」
(真顔で言い切った!?)
先ほど泣いたからか、なんだか吹っ切れている。そしてスキンシップが増えた。キスも沢山増えて、なんという心理戦。
「それでは私から『七つの聖カンパナがある場所は?』」
「『カエルム領地の教会』です」
「じゃあ、戻ったら七つの鐘が同時に鳴る
「ええ」
これは勝負じゃないとすぐに分かった。
これは約束だ。次があるのだから、それまでは「何が何でも約束を守って生きろ」と言いたいのだろう。失うことがとても怖いというのをダレンは知ったから、そうならないために楽しいことで予定を埋めていく。不安を埋めるため。
「次はレイチェルの番です」
「私の……番。『アストラ商店街の《木漏れ日カフェ》、今月限定スイーツを三つ答える』?」
「『ロイヤルチョコシフォンケーキ、ふわふわチョコアイス付きスフレパンケーキ、歌姫パフェ』でしょうか」
「正解。今月中に食べに行きたいので、付き合ってください」
「いくらでも」
それから勝負という約束をしていく。デートをする場所、旅行で行きたい場所、やってみたいこと。日が落ちて宵闇が迫るまで私たちは沢山の約束を交わす。
この日、初めて私たちの勝負は
「次は
「ふふっ、そうですね。途中退場したのですから、絶対に私たちで勝ちを取りに行きましょう」
私とダレンは笑い合い、そしてもう一度立ち上がる。
たとえカエルム領地の状況、王位継承権争いがどうなっているのか遅すぎたとしても、決着を付ける必要があるのだ。そう決意し、ダレンと話を詰めようとした矢先、家の呼び鈴が鳴った。