あり得ない。あり得ない。
一番下の第五王女レイチェル。残り滓の癖に王位継承権第二位を持つ血筋だけの末姫。わたくしの異母姉妹。旦那様にカエルム領地の領主交代、その領主代行がレイチェルだと聞いた時は、何かの間違いだと思った。有能な側近がいて、広告塔としてその座に居座っているだけの頭が空っぽな馬鹿妹。
そうじゃいとわたくしが困る。
わたくしよりも劣っていなければ、今度はわたくしがレイチェルのように陰口を叩かれるのだ。「もっと器量があれば他国と縁が結べたのに」とか「同じ侯爵でもオグレーン侯爵か。どうせならカエルム領地のリスティラ侯爵であれば、王家にとっても旨味があるというのに」
夫は夫でわたくしを王家の象徴として着飾り、表に出して自慢するアクセサリーとしか思っていない。打算と損得勘定と見栄っぱりで、愛も情もない。
惨めだった。
だからレイチェルの催し物が失敗してしまえば良いと思った。思い切り恥をかいて、馬鹿にされてしまえば──。
そうあの歌を聴くまでは思っていた。
(天上の歌声……っ、なんて、なんて素晴らしい歌声なの?)
あの歌を聴いて、その後の食事会でもレイチェルは姉様たちに対して堂々としていて驚いた。年功序列だと思っていたもの。ずっと上の姉様に逆らうなんて考えも及ばなかった、ううん考えたことすら無かったのだ。
ロイヤルフェアで、レイチェルに絡んだ。もう一度確かめるため──なんて、実際はカルメラ姉様が余計なことを、レジーナ姉様に言ったからだ。
会食で空気だったことでレジーナ姉様はわたくしたちに当たり散らした。レイチェルがいなくなってから、嫌がらせはわたくしかカルメラ姉様に変わったのだ。もう嫁いでいるのにも関わらず、屋敷に訪れて嫌がらせをする。
わたくしがこんな目に遭うのは、レイチェルが行けないのだ。だから鬱憤を晴らすためドレスや宝石を貰おうと思った。それが──あんな化物と出会うことになるなんて思ってもいなかった。
「──執事の分際で」
「そうよ、お前など主人に言って」
「ダレンは人外なのだから、言葉には気をつけた方が良いわよ」
人外。話には聞いていたけれど美しい外見とは裏腹に、わたくしたちを虫けらのように見る瞳に背筋がゾッとした。指を鳴らした次の瞬間、体が動かずに声を上げることもできない。
(ああ、どうして、どうしてこんなことに……!)
「もしや人外と相対するのは初めてでしたか。では出会ったら最後、運が悪かったと思うことですね」
「ダレン……」
「大丈夫です。
人外にとって王族も市民も関係ない、同じ人族という括りという認識だ。歯をカチカチ鳴らし、震えるわたくしたちに、この人外は慈悲など無い。一瞬で誰もいない客間に移動した。
(あ、ああ、あああああああ……)
確かに殺しはしなかったけれど「死んだ方がマシだ」という生き地獄を、何度も繰り返し追体験させられた。時には暗殺、疫病に寄るし、民衆の反乱での処刑、毒殺、事故死……わたくしとカルメラ姉様は今と似たような世界で、死を迎える体験を八回ほど繰り返した。
「私……ああっ、どうして私がこんな目に? 私は王族なのに。レジーナお姉様の頼み事さえしっかり完遂いていれば……私は……どうして、どうして……」
先に壊れたのは、カルメラ姉様だ。
しかしそこからがもっとエグかった。カルメラ姉様の頭に特別な術式を施す。
「レイチェル様に危害を加えるような言動した場合、頭に激痛が走ります。本当は手っ取り早く殺すか廃人にしたほうがいいのですが、レイチェル様は殺生を好みませんからね」
どうして人外がレイチェルに心酔しているのだろう。
血筋だけの存在──な訳がない。それだけであんな素晴らしい歌を、歌える訳がないのをわたくしは知っている。あの歌は素敵だった。
音楽の才能はわたくしには無かったけれど、あの歌がどれだけ素晴らしいのかだけは認めざるを得ない。
「さて、貴女は──」
『ダレン。その子は私に預けてくれないかしら?』
そこに降り立ったのは、亜人族の騎士を従えた──女神。艶やかな黒髪に、美しい顔立ち、たたずまいや風格はレジーナお姉様以上だ。レイチェルを愛し子に選んだ新たな女神の声は、可憐だった。
「カノン殿。私の楽しみを奪わないでいただきたいですね。それでなくとも今まで散々レイチェル様に嫌がらせをしてきたのですから、何度殺しても殺したりないというのに……」
『そう元の世界で人気だった『囚われの舞姫と臆病な魔王』というヤンデレ溺愛ものを用意したけれど、これはレイチェルに──』
「わかりました。お譲りしますよ」
『ふふっ、交渉成立ね』
あの人外をアッサリと退出させてしまった。カルメラ姉様も術式を施された後は解放されたのか、消えている。
どうしてこの女神様は、わたくしを引き取ってくださったのか。この方もレイチェルに嫌がらせをしたわたくしのことを疎んで、報復に来た一人なのだろうか。どうしてレイチェルだけ。
『さてジルベルタ、貴女昔から歌が好きだったわよね? 楽器は使える?』
「え、は、ええ?」
『私の歌を聴いて泣いていたから、てっきり音楽が好きだと思っていたのだけれど違った?』
あの歌っている中で、わたくしが泣いているのを──この方は気づいたのか。観客一人一人の顔を見ながら、あれだけの歌を歌い切った。
それを聞いて自分があまりにも情けなくて、惨めで、ちっぽけで、恥ずかしくなった。
「……王族は、国のために……生きるのが務めですから……」
『そうね。人の上に立つ存在だからそれなりの責務がある。でも心は自由でも良いと思うのだけれど? したいことの一つ二つあっても実績があれば良いと思わない?』
好きなことをするけれど、周りに文句を言われないだけの実績。そんなこと考えたこともなかった。いつだってわたくしは決められたレールが敷かれていて、それに少しでも外れたら陰口を叩かれて、他の兄姉妹と比べられる。常に気を張って、粗相しないように生きてきたのだ。
そういう生き方しか、わたくしは知らない。
わたくしは王家の、替えの利く駒だから。
それなのに、この方は唯のジルベルタとして尋ねた。どう思っているのか、と。
『私が聞きたいのは一つよ。貴女、歌うのは好き? 嫌い?』
その一言はわたくしの生き方を変えるのは、十分な質問だった。