目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第73話 シリルの視点


 ロイヤルフェア開始一ヵ月前。

 花音様を探して夜の屋敷の庭園に向かうと、淡い紫色のクロッカスの咲く場所に彼女が佇んでいた。妖精の庭園フェアリー・ガーデンは時折、季節外れの花を夜にだけ咲かせるという。そんな幻想的な場所に佇む花音様は、神々しくも美しかった。

 まるで神話に出てくる一枚の絵のよう。


「花音様」

「あら、シリル。月が綺麗よ」

「ああ。だが、俺には花音様のほうが一層美しく見える」


 俺の返しに、花音様は「なるほど、そう来たか」と笑っていた。もしかして何か作法でもあったのだろうか。そう思ったが、今は確かめなければならないことがある。


「……ダレンから聞きました。レイチェル様に万が一のことがあったら、貴女様が真っ先に身代わりで消滅する──と」

「ダレンもシリルも強いけれど、それで防げないことだってあるでしょう。その時の保険よ。別に命を軽んじていないわ」


 まるで明日の天気を話しように、彼女は気楽に答えた。それが自分には嫌だった。俺の恩人で、生涯ただ一人、愛する人。

 気高くて、気品に溢れた、最高の女性。


「俺はそれでも……貴女にいなくなってほしくない」

「前にも言ったわ。私は既に死んでいる──亡霊のような存在。だから……なんて、いっても貴方は聞きやしない」


 華奢な体を抱き寄せた。当たり前だ。

 亡霊なら触れられない。

 亡霊なら体温も、心臓の鼓動も感じない。でも、花音様が他の者に姿が見える時──つまり、俺に触れて自分の意志で、この世界に立っている時は人間と変わらない。

 肌の温もりも、花のような甘い香りも、心音も全部、本物だ。


「最近、ハグが増えたわね」

「花音様が愛おしくて、堪らないからしょうがない」

「まあ」


 キスをする度に、顔を赤くする花音様が愛おしい。

 年相応の反応を見せる姿は、自分だけだ。その優越感が嬉しくて、調子に乗ってキスを何度もする。唇にも触れる程度のキスを。

 少なからず思ってくれていると、のぼせてしまう。


「シリル」

「すみませ──」

「あげるわ」


 調子に乗ったかと思ったけれど、花音様は私に分厚い魔導書を押しつけた。黒い艶のある表紙で、サファイアの宝石などが散りばめられている。


「これは? 魔導書の真作だろうか?」

「それはシリルだけしか中身が開けられないものよ。身内には触れることを許可しているけれど、それ以外が触れたら感電するわ」

「……また凄いものを」

「中身はもし私がいなくなったときの対処マニュアルと──」

「遺言じゃないか!? どうして……っ!」


 思わず花音様の言葉を被せてしまった。俺はそんなことを望んでいない。嘘でも、一緒に生きたいと言って欲しいのに、この方は──言ってはくれないのだ。

 気高くて、誇り高く、そして俺では無くレイチェルを第一に決めている。彼女が命を賭けるのはレイチェル様だけ。

 それが酷く羨ましくて、狡いと思ってしまう。

 なんとも不遜な考えだ。


「遺言って、……まあ、違わないけれど、じゃあ交換日記設定も不要?」


 悪戯っぽく彼女は笑った。悔しいほど、胸にグッときた。


「それは? 文通のような……?」

「そう。一方的じゃ無くて、ちゃんと返事をするわ。この体が崩れたら直截な干渉はほとんどできないだろうけれど、貴方の夢と文字ぐらいになら出張ってもいいかなって」

「夢、もし……花音様がこの世界から消えても、俺と会ってくれるのか? レイチェル様では無く?」

「レイチェルは私がいると成長しない部分があるもの。個人的に会いに行くのは貴方ぐらいよ」


 花音様がいなくなる未来は覆らないのかもしれない。もしかしたら回避ができるかもしれない──その結果、レイチェル様に厄災が降りかかるとしたら、花音様は迷わないのだろう。

 けれど、俺と一緒にいたいと思ってくれた。

 俺と未来を望もうとして、それができない可能性が高いと分かっていて──俺にも、ちゃんと俺だけの取り分を残してくれる。


 出会った頃なら、きっと花音様は選ばなかった。

 森で悪魔と出会ったあの時だって、そうだ。

 でも今は──、俺との別れを悲しんで、そこで終わりにならないように考えてくださった。


 もう一度、花音様を抱きしめる。

 ぎゅうっと、愛おしくて、気持ちが高ぶって収まらない。


「これは俺だけの特権ってことですか?」

「そうよ。ダレンとレイチェルには内緒よ。あの二人は私がこちらに残っていたら、きっと甘えるだろうから。これは私個人の、私の思いだから」


 重いモノを持たされたとは思わない。

 むしろやっとこの方に必要にされたことが、嬉しくて堪らない。


「花音様、愛しています」

「うん」

「唇にもう一度触れても?」

「そういうのは、口にしないものよ」


 そう微笑みながら、どちらとも無く唇を重ねた。



 ***



 たとえ、貴女の器が砕けてしまっても、俺は立っていられる。夢の中で、本を通じて花音様と再会できるのだから。

 それにあの方なら、レイチェル様がいざという時は姿を現す気がする。だからこれは一時的な、少しの間だけのサヨナラだと思えば、辛いけれど耐えられた。


(本当に何もかも、貴女の想定内ですよ。花音……)


 貴女の温もりがないと寂しいけれど、それでも任された仕事はしっかりとこなそう。貴女が命を賭けて守ったレイチェル様と、ダレンを。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?