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第80話 罠かあるいは

 リスティラ侯爵の提案に、私は即答できなかった。恐怖の四騎士メトゥ・フォーホースメンの脅威が迫る中、自分の領地を離れること。なによりこのタイミングというのが引っかかる。どこか作為的な感じが否めない。


(ここで領地を離れることは最善?)


 ふと音楽の参神衆、歌の女神ミューズ様と目が合った。女装が板についた服装で、普通にこの場に居て神様なのにとても馴染んでいる。最近はスイーツ巡りに勤しんで、ストリーライブなどで一緒に歌ったり踊ったりと、カエルム領地を満喫しているようだ。


「ミューズ様、質問をしてもよろしいでしょうか?」

「なぁに?」


 確かカノン様曰く「モチはモチ屋」という言葉があり、その道の専門家に聞くことが一番だという。誰かを頼ること、聞くことは大事だ。


「森の男神について、何か知っていますか?」

「……噂ぐらいはね。そこの怪物とレイチェルの知っている以上のことは知らないわ。あの男神の性格が神話時代から変わっていないのなら、画策するような感じはないわよ。本気で困っているのかも」

「なるほど(とはいえ、侯爵領に向かうには表向きの理由があったほうが良いわよね。国潰し遊戯タワーオフェンスゲームのことも考えると、周囲にはどう見せるべきか)」


 一つは有休休暇の見本として侯爵領に向かい、婚約者とのラブラブ度をアピールと『王位継承権争いなんて眼中にありません』と見せつける。もう一つは聖女の活動の一環として、侯爵領に向かうという聖女のアピールだ。新しい商品や歌を歌うなどの催し物をすることで、領地復興や衛生面や疫病対策なども浸透させるに打って付けだ。


 どちらもお得だ。そう考えて唸っていると、リスティラ卿は死を覚悟した面持ちで声を掛けてきた。


「レイチェル殿、やはりこの時期には」

「あ、いえ! リスティラ領地に向かうことは私の中では決定しています」

「え。では」

「先日のロイヤルフェアによって、国王陛下や他の王子たちから色々注目されている身です。そのためリスティラ領地に向かうための理由をどのようにしようかと、考えていたのです。エドウィン様の実家がありますので婚約者として向かうには十分なのですが、せっかくなのでエドウィン様との婚前旅行として話題作りにするか、聖女の活動として復興支援に協力することを大々的にするかで悩んでいまして」

「婚前旅行……! さすがレイチェル様。素晴らしい提案です。特にこちらの婚前旅行とは特別なものだと聞き及んでいます」


 ダレンはすでに『婚前旅行』という単語にメロメロだ。恋愛小説でも特別に書かれていたものなので、思い入れもあるのだろう。私も個人的に『婚前旅行』というのは楽しみだったりするのだ。


「有休を使って、婚前旅行だと周りのアピールにもなるし、リスティラ領地で問題が起こっているのも隠せるでしょう」

「そこまでお考えだったとは……それに我が領地のことまで考えてくださって、慚愧に堪えません」


 ひとまずリスティラ領地に向かうことで話を詰めて、向かう理由はもう少し話し合って決めると言うことで落ち着いた。


「私たち音楽の神々いるのだから、悪魔だろうが疫病だろうが加護によってカエルム領地は安全よ。なにせ私たちの審判はまだ終わっていないのだから。レイチェルがカエルム領地で歌を披露するまで、私たちは見定める役目があるのだから」


 そう言い切るミューズ様は、カノン様の散り際に思うところがあるのだろう。そのあたり詳しいことは教えてくれないが、ミューズ様はカノン様に突っかかっていた。つまりはそれだけ期待していたのだ。

 音楽が好きな人に悪い人はいない。


(カエルム領地の守りはミューズ様たちにお願いできそうで良かった。それなら後は出発に向けて話を詰めるだけだわ!)



 ***



「絶対に『婚前旅行』です。それ一択しかありません!」

「いいえ! ここは聖女レイチェルとして、名を高める時です! 巡礼としてリスティラ領地だけではなく、レイチェル様を指示する領地には積極的に関わるべきでしょう」


 大会議はつつがなく終わり、客室に残っているのは護衛騎士シリル、私、ダレン、セイエン枢機卿、マーサである。

 せっかくなので、今月の限定スーツと紅茶を提供する。

 今日はフルールと抹茶のロールケーキだ。紅茶はダージリンをマーサに淹れて貰っている。リスティラ卿は、私たちを出迎える準備もあるので先に領地に戻るという。念のため護衛騎士シリルに頼んで、生え抜きのメンバーを護衛に頼んだ。

 何かあったら即時撤退、命は大事にと伝えていたので大丈夫だろう。そのための転移魔導具もしっかり渡している。


(見送りの時に騎士たちが泣いて喜んでいたけれど、なんだか大げさだったような?)


 死に戻りの中でも人から感謝されることはあまり多くなかったので、なんだかムズムズしたのは内緒だ。それに以前よりも私に話しかけてくれる人も増えた。ダレンが居るのでそこまで長くは話さないが、挨拶や一言二言など。


(ちょっとは領主代行としても認められているって感じかな? 聖女レイチェルとしてよりも歌姫としての知名度が上がっているのよね。だからセイエン枢機卿としては、聖女の名前を出したいのは分かるわ)


 マーサに淹れて貰った紅茶に口を付ける。


「ん~~、美味しい。ダレン、セイエン枢機卿も休憩になさっては?」

「レイチェル、レイチェルも婚前旅行が良いですよね?」

「うんうん、婚前旅行って言葉は特別だし、結婚したら新婚旅行というのもあるらしいわ」

「新婚旅行……!」


 ハッとしてダレンは目を輝かせた。そう恋愛小説の続編だと、結婚後の新婚旅行などの話が出てくる。ダレンはウットリした顔で新婚旅行似思いを馳せていた。


「レイチェル様も聖女として活動範囲を広げるのも良いと思うのですが、いかがでしょうか?」

「そうですね。私も色々考えたのですが」

「婚前旅行ですよね!」

「聖女の巡礼でしょう!」

「両方ともこなしてしまえば良いんじゃないかって思ったのです」

「「なっ!?」」

「まあ、さすがレイチェル様ですわ。そうですね。どちらか一つの理由では無くても良いと思いますわ」

「どちらも私にとっては大事なことですし、音楽の神様がいるのなら多少、リスティラ領地に滞在してもいいかと思ったのです」


 そう一つに決める必要などは無いのだ。そう視野を広げると選択肢がいくつも出てくる。ほんのちょっとだけ視点を変えると、新しい選択肢が出てくるのだから不思議だ。


(それもこうやって心に余裕ができたからかしら)


 ロールケーキを食べると、フルールの甘みとほどよい酸味がクリームとスポンジ生地と合う。幾らでも食べてしまいそうだ。


「レイチェル様」

「ダレンも一口、ほら、あーん」

「……ん、美味しい」


 不服そうだったけれど、ロールケーキを一口食べたら大人しくなった。食べ終わったら、ちらちらと私を見るので、もう一口食べさせる。満足そうな顔をしているので、ホッとした。


(やっぱり甘い物が足りなくて、イライラしていたんだわ)

「婚前旅行をしつつ聖女の巡礼ですか……」

「ええ。大々的にするよりもお忍び感のほうが、聖女として大々的にアピールするよりも、周囲の心象が良いのではないかと思うの。もちろん、旅行中でも仕事はしっかりするわ」

「……下手にアピールせずに、そうですね。そのほうが上っ面だけ聖女役をなさるよりもずっと良いでしょう。それに貴方様がどう動いてもその領地にとって、恩恵になるのですから。名声は実績の後から付いてくる……。私としたことがまだまだです」

(セイエン枢機卿もなんだか良い感じに納得して貰ってよかったわ!)


 こうして私のリスティラ領地はサクッと決まったのだった。

 この時、リスティラ領地で待ち続けていた男神の真意を、私たちは知るよしも無かったのだ。


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