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第84話 森の神の願いと暴挙

 ちょうどその日は満月だったので、月の魔力を使って解呪を行った。大きめな桶に井戸水を注ぎ、水晶とハーブを入れて祈りの言葉と鈴の音を鳴らす。最後に塩と葡萄酒を混ぜたのち、大釜で煮込む。最後に蜂蜜を垂らして完成。

 香辛料の入ったホットワインに近い味わいで、普通に飲み物としても結構美味しい。そんなことを考えつつ、リスティラ卿を始めに飲んで貰った。飲んですぐに痣は薄れて一時間もしない間にアッサリと解呪は成功。


「こんな……まさか!」

「では痣のある方にも配ってください」

「はい! レイチェル殿っ……感謝します!」


 そう、ここまではとても順調だった。ただダレンがいつになくソワソワしていたのが気になったのだ。解呪を急ぐあまり、ダレンと二人で話す時間が無かったのもあったと思う。

 寝室で話を聞こう。

 そう思っていた。

 森の神が私を連れて転移するまでは──。



 ***



「ヴィーについて話がしたい」


 唐突に森の神様は現れた。

 薄緑色の長い髪に、頭に苔を生やした人外──森の神様が現れたのは、分厚い雲が満月を隠した頃だった。全ての解呪が終わり、安堵した時でもあった。

 その人ならざる美しさを持った偉丈夫は音もなくその場に現れ、その纏う存在感に領民たちはぞくぞくと倒れていく。


 私とダレン、シリルを含めた護衛騎士は、その存在感に耐えて身構える。


「貴方が森の神様でしょうか?」

「そう。ヴィーについて君に聞きたい」


 そう告げた瞬間、彼は私の目の前に現れて、瞬きの間に森の中に居た。


「え」


 転移魔法に近いなにか。シリルもダレンもいない。私と森の神だけ。

 その状況にぞぞぞっと、震えた。


(今まで、シリルやダレンが離れることはなかったわ。なんだかんだ言っても二人が規格外の強さを持っていた……。でも神様の前では、通用しない)


 そのことに不安と恐怖でいっぱいになる。

 怖い。

 その感情は本当に久しぶりだった。死に戻りをして味方が無かったころに味わった恐怖が蘇り、体の震えが止まらない。


「──っ」


 自分を抱きしめるようにして、呼吸を整えて深呼吸を繰り返す。


 鬱蒼と生い茂る森の中で満月の明かりも無く暗闇の中で、森の神様そのものが微かに光り輝いていた。私の心情などお構いなしに聞きたいことを口にする。


「ヴィーの気持ちを、……アカシックレコードの運び手なら答えてくれるかもしれない。そう遙か昔この地の領主が提案した」

「……っ」


 本当に人外は、と心から思った。

 ダレンがいかに人間側に寄り添った提案や賭けをしてきたのかが分かる。同じテーブルについて交渉をしないこともあったけれど、でも私の心の準備ができるまでは待ってはくれていたし、譲歩してくれていた。

 でも森の神は違う。いやこれが普通なのだろう。一方的な会話。その中で相手の求めていることを整理する。


「(ヴィーとは、ヴァイオレットのことかしら?)ヴィーの気持ちとは、ヴァイオレットという貴方と恋仲だった娘のお名前でしょうか?」

「恋仲? 私とヴィーは伴侶じゃない。私は彼女に真名を告げていなかった」

「なるほど……? ヴィーの気持ちというと?」


 抽象的すぎて要領が得られない。

 森の神はヴィーの何が知りたいのだろうか。死者の声を聞きたいのなら死霊使いネクロマンサーの領分で私にはどうしようもないのだけれど、人生相談、あるいは精神治療メンタルケアを受け持つ気持ちで根気強く話を聞く。


「ヴィー以外に、こう心臓が動かない。ヴィーのことが忘れられない。ざわざわする。この気持ちや思いがなんだったのか、知りたい。死んだ後、精霊に転族させようとしたけれど、魂がすでにいなかった……。これはアカシックレコードの運び手のような特別な役割を持つ者に見られるらしい……。だから、同じアカシックレコードの運び手なら何かわかるかと思った」

(ガンガン喋るわね、この神様!!)


 まるで今まで堰き止めていた感情が爆発したかのように、自分の気持ちを言葉にする。抑揚が無く淡々としているけれど、その声や口調には強い思い入れがあるように感じられた。

 何より、誰かに聞いてほしいと思っていたのだろう。

 もしかしたら誰かに同じように話をしていたのかもしれない。でも答えが出なかったから、同じ特別な役目を持つ魂、アカシックレコードと接続が可能そうな者を呼んだ──というのなら、一応筋は通ると思う。


「その気持ちは森の神だけのものです。ヴィー様のことを大切に、特別に思っている貴方様の強い感情です。強烈なほど、忘れられない方。きっと貴方様が心を揺さぶられる特別な方だったのでしょう。これは私の主観ですが」

「特別……なのだろうか」

「少なくともどうでも良い人のことを、貴方様は長い時間覚えていますか?」

「……それはそうだ。ヴィーの笑顔も、声も、私は彼女だけは覚えている」

「ならそれは、貴方様にとって特別で、唯一なのでしょう。そこに当てはまる感情の名前を付けるのだとすれば、それは貴方様自身で答えを出すしかありません。傍から見て、アカシックレコードはありとあらゆるものの情報を引き出せます。でもそれは傍観者から見た見解、ヴィー様の魂の記憶による見解──ようは視点によって異なります。どれが正解などというのはありません。それぞれの見ていた視点で、思った感情による答えですのでどれも正解になります」


 できるだけ言葉を噛み砕いて伝える。

 この神様はダレンよりも、今まで出会ってきた人外の中でも純粋で、真っ新で、人を知らず、関わりも少ない、幼子のような精神年齢なのだろう。

 人間味が薄い、ある意味、人ならざる者そのもの。

 道理も、倫理観も、人間社会も知らない。理解していない。


「私の……気持ち? 私が決めること?」

「貴方様はヴィー様をどう思っているのですか?」

「分からない。一緒に居て心地よいと思った。もっと話がしたいと思っていた……でも、それが叶う前に彼女は殺された」


 怒り、けれどそれ以上に居なくなってしまったことへの喪失感と深い悲しみ。

 それが自分の中で未だに昇華できていないのだろう。その姿を見てダレンが泣いたのを思い出す。


(そうだわ。人外はこう言うとき、どこまでも純粋で、人一倍臆病で、怖がりだった)


 初めて大切なものだと気づくのが遅くて、過ちを繰り返して、自らの手で大切だった者を潰してしまう、あるいは失ってしまう。とても不器用で、愛情深い存在。


「ずっと傍に居たい、離れたくない、一緒に居て心地よいと思ったのなら、私たちはそれを『好き』と呼びます」


 愛という言葉を使っても良かったけれど、それがどのような愛なのか私自身上手く説明ができそうにない。だから好意を持っている、好いているという言葉を選んだ。


「好き……。特別」

「他の人と違うのなら、特別で、特別好きな人ということになるのでは?」

「……まだよく分からない。けれど、特別で好き、という言葉はしっくりきた」

「それは良かったです」


 森の神は納得したけれど、まだ何かあるかのように私をジッと見つめた。初めて神様と目が合ったと思う。私を見つめ、認識した。

 それは光栄なことだと思うのに、なぜだか嫌な予感がする。


「……君の名前は?」

「私はレイチェルと申します」

「そう。……レイチェルはヴィーのように私の傍に居て、笑ってくれる?」

「──っ!?」


 突拍子もない質問に頭が真っ白になった。

 それはどういう意味なのか、そう真意を尋ねたかったが、直感でそれを聞いたらいけないような気がした。

 神様の問いかけに答えたら最後、言霊によって何かが変えられ、歪められそうな予感があったからだ。


「今度こそ、奪われずに、損なわずに、君を傍に置けばこの気持ちも分かると思う。レイチェル、私の傍にいてくれるよね?」

「あっ……っ、が」


 紡がれた言葉に、視界が揺らいだ。

 酩酊状態のようなふわふわした感覚。

 何もかもが曖昧模糊になって、自分が立っているのか座っているのか不明な──眠りに落ちる寸前。


「いいえ。レイチェルの傍は私のものなので、それは無理ですよ」

「──っ!」


 唐突に眠気が消えて、覚醒する。

 耳に馴染みのある声。私を抱きしめる温もり。


「ダレン」

「遅くなりました、レイチェ」


 ターン、と乾いた発砲音が聞こえた。

 次の瞬間、ダレンの片腕が千切れて、その直後に彼の頭半分が吹き飛んだ。


「──っ!?」


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