リスティラ領に赴き、婚前旅行をダレンと一緒に楽しみつつ、教会支部に顔を出してバザーや慈善活動を行う──と言う目的は、森の神ウィティス様の乱入によって大きく変わった。領民は呪われているし、森の神様は一方通行な話し方をするし、一つ一つ解決していったら、今度はウィティス様が着いてきてしまった。結果、一日目は屋敷で宴会、翌日は領内でのお祭り騒ぎ。
その間、リスティラ侯爵家の書庫の閲覧権限が降りたことで、私とダレンは書庫に入り浸るという、実に私たちらしい時間を過ごした。
華やかな宴では、歌を披露してダレンともダンスを踊った。今回の婚前旅行に合わせて慈善活動を行う計画だったので、使用人や護衛騎士の中に音楽もできるメンバーを入れておいたのだ。即興だが歌と音楽を披露できたのは大きい。
カエルム領地は元々避暑地であり貿易都市に近かったが、リスティラ領地のような長閑かつ緑豊かで自然溢れる良い土地だった。元々ウィティス様が居ることで魔物の出現も少なく、森そのものも聖域扱いされて開拓されていなかったのもある。
だからかカードゲームや歌や踊りなどの娯楽に、興味津々だった。
***
今日はダレンと一緒の馬に乗って湖の散策に来ているが、思った以上に土地が広い。この分ならここでしかできない何ができそうな気がする。
緑豊かな場所はできるだけ残しておきたい。それはリスティラ領地の領民も同じなのだろう。
(自然に寄り添った娯楽として、カノン様が前に話してくださったドッジボォールと、ヤキューというのを教えてみるのも面白そうね。土地的にも広いし)
「レイチェル? また何か思いついたのですか?」
(ひゃう!?)
ダレンが耳元で囁くので、心臓がドキリとする。乗馬で体が密着していることもあり、いつも以上に意識してしまう。ダレンの良い香りもするので安心するけれど、でも甘い雰囲気のせいもある。
「(ダレンは一緒に居て落ち着くし、趣味も同じで……)すごく好き」
「それは私の……ことですか?」
優しくて、甘い声。
私はダレンの胸に身を委ねた。素直に「はい」と言うのは少し恥ずかしくて、むう、と頬を膨らませた。
「ほかに誰がいます?」
「……!」
ダレンは少しだけ驚いたのか一瞬だけ目を見開き、そして口元を綻ばせた。貼り付けた笑みとかではなく、心が蕩けるような柔らかな顔だ。
「言うようになりましたね」
そう言って仕返しと言わんばかりに、私の頬にキスをする。頬に熱が集まって胸がポカポカと温かい。ますます好きだという気持ちが膨れ上がる。
「ダレンと一緒に居るために、日々研鑽を積んでいるのですから」
「それは光栄ですね。私は人の機微にまだまだ疎いですから、そのあたりはレイチェルがこれからもたくさん教えてください」
「はい。あ、でも恋愛は私も初心者なので、お手柔らかにお願いいたします」
今まで生き残ることで、余裕がなかったのだ。シリルを初めとする護衛騎士、使用人も私が王位継承権争いで疲弊し、静養のためにカエルム領地に来た経緯は知られている。だからか温かな眼差しを向けてくる人たちが多い。
それはリスティラ領地の人たちもそうだ。「今まで苦労なさったのですね」と握手するだけで、泣く人たちまでいる。握手だけでどうして感動しているのか不明だったが、シリル曰く「その手が普通のご令嬢と違って、働き者の手だからじゃないでしょうか」と。
私は剣を握ったこともないのに。本を読むことが多く、メモや書類仕事ばかりでペンだこが少しあるぐらいだ。でも文官ならよくあるので、すごいことでもない。今は長時間、ペンを持って書き続けることもないし。
(それにしても木漏れ日に、頬に当たる風が心地良いわ。馬の背ってこんなに高いのね)
「馬車とは違って、これはこれで良いですね」
「ええ。一人で乗れるかは分からないけれど、ダレンと一緒ならどこまでも行けそうな気がするわ」
「もちろんです。貴女が望むのなら、どこにでも行きましょう」
いつかカノン様の居るアカシックレコードに行く。そう二人で約束した。そのことを思い出すと、何でもできそうな気持ちになる。
「ありがとう、ダレン」
ちょっとだけ背伸びをしてダレンにキスをする。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、ダレンの目がもの凄く柔らかくて、余計に嬉しくなった。
「……あれが『かっぷる』」
「ウィティス様。間違ってはいませんが、二人は少し特殊ですから参考にしないでくださいね。特に普通の婚約者同士はあそこまでスキンシップが高くないですし、それに」
「それに?」
「本好きでもありません」
「……そうか。ではお前と女神カノンとの場合は──」
「私と花音は純愛で超普通です」
((いや、そっちのほうが普通じゃないけれど))
私の護衛として一緒に来ているシリルと、なぜか着いてきたウィティス様。私とダレンの馬から少し離れているが、聞こえてくる会話に思わずツッコみたくなった。
「レイチェル、あのままではあの神は、『夜な夜な恋人であるカノン殿の置き土産の日記でやりとりしている』というのが普通の恋人という認識になってしまいます」
「それは不味いわ。……やっぱり先に戻ったマーサに頼めば良かったわね。一番の常識人、だもの」
「そうですね。しかしカエルム領地の仕事もありますし……」
(模範的な常識人って……他に誰かいたかしら。みんな良い人ではあるけれど癖が強いし……)
そんなことを考えつつ、ダレンと湖へ乗馬して散策していた時のことだった。セイレン枢機卿からの通信連絡が入った。
「チッ」とダレンが舌打ちしたのが、すぐ傍で聞こえた。もうセイエン枢機卿に対して、隠す気とかないらしい。デート中だからしょうがないのかもしれないけれど。
「──って、王都で疫病が発生している? カエルム領地は大丈夫なの!?」
『はい。カエルム領地は問題ありませんが……』
そう言ってセイエン枢機卿は言葉を濁した。