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28、道士様も体調を崩されるのですね

華凛かりん妃様。華山派のお客様の中に、体調を崩してしまった方がいるらしいですわ」

「まあ……道士様も、体調を崩されるのですね……」

「修行中の方ですし、仙人様みたいにはいかないのでしょうね」


 雲がふんわりと空を覆う朝。

 華凛かりん房室へやには、贈り物が届いた。


「こちらの白い羽扇と牡丹の花は、主上からの贈り物です。愛されておいでですね、華凛かりん妃様っ! はあんっ、素敵……♪」


 華凛かりんがゆったりとした薄紫の衣をまとい、女主人然として優雅に見つめる円卓の上に、純白の羽扇と陶器に活けられた牡丹が並ぶ。

 薄紅の牡丹の花弁は、中心に向かうほど深い紅を帯び、先端へ行くほど淡く透けるように色がほどけていく。

 柔らかく幾重にも重なる可憐な花は、陽の光を受けてふんわりと輝いていた。


 侍女の雲英うんえいのはしゃいだ声が響く。


「聞いてくださいまし。昨夜、華凛かりん様が主上とどれほど仲睦まじいかを夜通し侍女仲間と語り合っておりまして、意気投合しまして、書物として書き記して市井に広めてはどうかと……」

「しょ、書物?」

「はい!」


 侍女の雲英うんえいは、溌剌と答えた。

 好意でいっぱいの笑顔に、華凛かりんはつられて微笑んでしまう――自分を慕ってくれているのが嬉しい。

 明るく親しげに自分の心を伝えてくれるから、安心して「こちらも返そう」と思える。


「あ、あの……う、雲英うんえい。……恥ずかしい、ですわ」

「うふふっ、華凛かりん妃様は奥ゆかしくていらっしゃいますね。ですが、『やめなさい』と命令なさったりはしないので……やめませんっ」

「ええ……っ?」 


 雲英うんえいは大げさな仕草でふんぞり返ってみせた。

 その姿には愛嬌があって、憎めない。

 侍女たちが「まあ、雲英うんえいったら」と笑っていて、華凛かりんはつられて笑ってしまった。


 そんな和やかな雰囲気の中、声がかけられる。


「ご滞在中の華山派の道士殿から、華凛かりん妃様にお届けものでございます」

「まあ。ど、どちらかといえば、わたくしがお見舞いの品を届けるべきではないかしら……なにかしら?」


 侍女たちがひらひらと衣の裾を翻し、対応する。運ばれてきたのは、籠だった。


 贈り主は華山派の道士の中で目立っていた、あの石中流せきちゅうりゅうという男だと言う。ちなみに、体調を崩しているのも彼なのだとか。


(だ、大丈夫なのかしら……? わたくしが見たあのもやもやした影は、体調不良と関係ないのかしら?) 


 華凛かりんは思い当たることがあるだけに、気になって仕方ない。


 贈り物の文には、少し弱々しい筆致の文字が綴ってあった。


『先日の無礼のお詫びに、吉兆をもたらす画眉鳥がびちょうをお贈り申し上げます』


 雲英うんえいが眉を上げる。


「あら。お山の道士殿がどのような希少の品を贈ってくるかと思えば、小鳥さんですかっ?」


 侍女たちが袖を口元に当てて頷き、年かさの侍女が明るくとがめた。


雲英うんえい。お客様を悪く言ってはだめよ。でも、気持ちはわかるわ。ふふ」


 華凛かりんは少し迷ってからそっと声を挟めた。


「お……贈り物は、……お気持ちが大事、だと、思いますわ。わ、わたくしは……お詫びのお気持ちを、嬉しく……思いますの……」


 白い羽扇を手に取り、先端を籠に向けると、侍女が察した様子で蓋を開ける。


「ぴぃ、ぴぃ、ぴぴ!」


 すると、中から、小鳥が飛び出した。

 鮮やかな羽を持つその鳥は、最初は驚いたように羽を上下に羽ばたかせ、房室へや中を飛び回って侍女たちを慌てさせた。


「きゃあっ」

「窓を閉めて! 逃げてしまうわ」


 ぴいぴいと囀りながら飛び回った画眉鳥がびちょうは、やがて華凛の指先にとまり、愛らしく首をかしげる。つぶらな黒い瞳は、とても可愛い。


「まあ……可愛らしいわ」


 華凛かりんは微笑み、優しく指を動かして小鳥を撫でてみた。

 意外に人に懐いているようで、逃げる様子がない。

 それどころか、心地よさそうな顔をしているように見える。


「さすが華凛かりん妃様! あっという間に小鳥が懐きましたね!」

「これだけ人がいるのに、迷わずにお妃様に懐くのだからすごいわ」

「鳥にも高貴な方がわかるのね」


 侍女たちがきゃっきゃっとはしゃぐ中、ぱたぱたと息子の陽奏ようそう房室へやを訪れる。


「わああーー! とりだーー!」


 三歳の皇子が興奮で目をきらきらさせて房室へやを駆けまわると、小鳥はびっくりした様子で再び房室へや中を飛び回る。


「殿下っ、転んでしまいます。調度品にぶつかってしまいます。危ないですわ」

「よ、陽奏ようそう、こ、こちらへいらっしゃい。お、お母様の膝に座って……」


 侍女たちがあたふたと皇子を落ち着かせようとする。

 華凛かりんも慌てて自分の膝に我が子を呼び、よしよしと撫でてあげた。


 小鳥はしばらく幼児を警戒するように飛び回っていたが、しばらくしてパタパタと降りてきた。


 侍女たちは鳥と幼い皇子を刺激しないようにそろりそろりと動き、お茶とお菓子を差し入れてくれる。

 ほんわりとした湯気がいい香りを房室へや中に広げていく中、華凛は優しく囁いた。


「よ……陽奏ようそう。……大きな声を出したら、と、鳥さんが、……びっくりしてしまいますわ」 

「はぁーいっ! あのね! ぼくね!」


 息子の声は元気いっぱいだが、今度は鳥が逃げなかった。

 慣れてきたのかもしれない。順応力に優れた鳥だ。


「おなまえ、ちゅけう」


 陽奏ようそうはフンっと鼻息荒く言いのけて、鳥に手を伸ばした。

 鳥は賢そうな目で陽奏ようそうを見つめたまま、一歩後ろへと下がる。


「あ、あのね、陽奏ようそう。ゆっくり、優しく……優しくしてあげてほしいのですわ」

「はいっ、おかあさま~っ!」


 小さな手は人差し指だけをちょこんと出して握られた。

 そして、陽奏ようそうは人差し指をゆっくりと鳥に近付け、羽に触れた。


「さわっちゃ」

「触れましたわね、陽奏ようそう

「やーらかい」

「柔らかいですわね」


 よかった。優しく触ることができている。

 華凛かりんは心から安堵した。


「ぼく、このとり、おなまえ」

「ええ、ええ、お名前をつけますのね」

「しゅじゃく!」

「しゅじゃく……というお名前にしますのね」


 息子は嬉しそうに「うん!」と言い、何度も鳥の名を呼んだ。


 こうして贈り物の画眉鳥がびちょうは「しゅじゃく」という名前になったのだが。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「ほう。道士が贈り物を。そして、しゅじゃくと名付けたのか」


 皇帝滄月そうげつは、臣下からの報告に「ふむ」と首をかしげた。


「謝罪とは殊勝な心構えである。よいだろう。そして、名前は――俺が思うに、俺の子は『朱雀すざく』と名前を付けたかったのでは」


 皇帝の推理は妃の華凛かりんに届けられ、皇子の確認のもと、贈り物の画眉鳥がびちょうは最終的に「朱雀」という名前に落ち着いたのだった。


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