華山道士の一団は、体調不良者が出たこともあり、滞在期間を予定より延長して長居するらしい。
その知らせが宮廷内に広まると、侍女たちの間には好奇的なざわめきが広がった。
華山派の道士たちは、その神秘的な雰囲気と武俠の技で知られている。普段は山奥にこもる彼らがこうして都に留まるのは珍しいことだった。
まして、直接「道士様の中でも偉い人」に護身術を習う機会なんて――すごいことなのだ。
道士一団の首魁である
白髪交じりの髪をゆるく束ね、道士服に身を包んだ彼の姿は、どこか仙人の風格を漂わせながらも、笑顔には人懐っこさが滲んでいる。初対面の堅苦しさはすぐに解け、宮廷の人々も彼に心を許し始めていた。
「
同情的に言う声音は穏やかで、まるで春の風がそっと頬を撫でるような温かみを帯びていた。
その声にホッとした様子で、侍女たちが「そうなのですわ」「怖かったですわ」と共感の言葉を返している。
「かような襲撃の際にわしらが格好良く駆け付けられればよかったのですがのう。悔しいですのう。こりゃ、指南する方もされる方も落ち着かなくていかん。本日は指南をお休みして、梅の木の下で花見をしましょうかの」
提案する口調は軽やかで、まるで重い空気を払拭しようとするかのようだ。
「よろしいですかの、
「え、……ええ」
こうしてこの日の指南はお休みとなり、
色鮮やかな紅梅の木が並ぶ庭園は、香る紅梅がひらひらと舞い落ちるさまが幻想的だ。
陽光に照らされた花びらが風に乗り、地面に敷かれた薄絹のように広がっていく。
侍女たちが卓を運び、茶会の準備を進める。
卓上の白磁の茶杯に
指南以外で
どんなことを話したものか――相手は皇帝の恩人であり、
敬意を持ち、楽しんでもらえる会話をしなければ。
しかし、しゃべるのがあまり得意ではない
「……ほ、本日は……お日柄もよく……」
無難すぎる言葉を選びながら、
指先がじんわりと温もりと、落ち着く。
茶の香りがふわりと立ち上り、菓子の優しい甘さが口に広がる。おいしい。
「
その目は細められ、まるで孫でも見るような温かさに満ちていた――見た目は若いけれど。
「いや~、それにしても、
「……えっ」
感嘆の声とともに、彼は茶杯を置いて手を叩いた。
その仕草には純粋な賞賛が込められているようだった。
しかし――
庇うまではいいとして、返り討ちにしたのは皇帝だ。
華凛は内心で首を傾げつつ、侍女たちの様子をちらりと窺った。
彼女たちは目を輝かせ、まるで自分たちが目撃した出来事を誇るように語り合っている。
「私の目の前で天女皇妃様が天に向かって手を差し伸べられたのです。すると、悪党が悲鳴を上げて倒れたのです!」
――
(な、なぜ? あなたたちは現場にいて、真相を知っていますのに……そんな事実は、ありませんでしょう?)
華凛の胸中に疑問が渦巻く。
彼女自身、襲撃の混乱の中で皇帝が現れ、敵を倒した瞬間をはっきりと覚えている。それなのに、侍女たちの話はどこか現実から逸れていくようだった。
一人の侍女が興奮気味に身を乗り出し、両手を広げてその場面を再現する。
「私は見ましたよ。皇妃様が手を差し伸べたあと、雲の間から光がキラキラと差して皇帝陛下が現れたのです」
もう一人が夢見心地に目を細め、からりと晴れた青空を拝んだ。
「私たちは奇跡を見たのですね!」
(????)
彼女たちの脳内で、事実とは違う「こんなことが起きました!」がどんどん膨らんでいくようだった。
しかし、皇帝が
「皇帝陛下には内密にお願いしますね、うふふ」
「そうですわぁっ。このお話はお花見の茶会だけの秘密ということで!」
華凛は思わず茶杯を持つ手を止め、目の前の侍女たちをまじまじと見つめた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
柳剣鋒は穏やかに笑っている。
「天女皇妃様は才能のある方ですからな。わしも指南していて常々、秘められた才能に驚いているのですぞい」
彼の言葉には確信が宿っており、まるで彼女の内面を見透かしているかのようだ。
「皇妃様というご身分がなければ弟子として育てたいくらいですのう」
「まあ」「すごい!」と侍女たちが喜んでいる。
彼女たちは自分たちがお仕えする女主人が褒められると自分のことのようにはしゃいでくれる。
一方、
「
「は……、い?」
柳剣鋒は声を潜め、周囲を軽く見回した後、人差し指を自分の唇の前で立てた。
すると、侍女たちの声や、自然の草木が立てるさやさやとした音が遠くなり、まるで二人だけになったような錯覚が湧く。
侍女たちは少し離れた場所で菓子をつまみながら談笑しており、こちらを気にする様子がない――不思議だ。
――これはもしかして、道士が使う「不思議な術」?
「さて、
その問いは静かだが、どこか深い意味を孕んでいるように聞こえた。
華凛の耳に届いた瞬間、彼女の心がわずかに波立った。
「もしお望みであれば、わしはあなた様をこの鳥籠から連れ出して広い世界をお見せすることもできますぞ」
その視線の先には、紅梅の枝越しに広がる青空がどこまでも続いている。
――心配してくださっているのかしら?
一国の皇妃にかける言葉としては危険すぎるが、武俠者の道士は国家をあまり気にしない。
彼らは生活の場も険しい山中だし、人の殻を破って不老不死の仙になろうとしているのだから。
彼女は柳剣鋒の横顔をそっと見つめ、彼の自由な生き方に一抹の憧れを感じた。
特に、この若々しい外見の
正派・華山派で仙境に一歩踏み入れてるような人物の心根は、清く正しいに決まっている。
そんな存在が「才能がある」と言い、「現状に不満があるなら助けてやる」と言ってくれる――光栄でありがたい厚意だ。
「あ……ありがとう……存じます、
ふと思いついたのは、
「あ、あ、あのう。し……心配というか、……気になることは、あります」
ほう、と
それに勇気をもらい、
「せ、せ、
思い切って口にし、
「ほう!
「――――えっ……?」
「
彼はそう言って手を振ると、まるで些細なことだとでも言うように肩をすくめた。
「そ、そうなのですか? 道士様の修行って、大変なのですね」
華凛は安堵の息をつきつつも、道士たちの世界の奥深さに改めて驚嘆した。
よくわからないが、あの影は修行の一環で、問題ないらしい……。