露が日差しに煌めく庭園で、皆が結んだ糸や布が揺れている。
天に祈願していた一団は、風流な景色を鑑賞しながら茶と菓子を楽しんだ。
皇帝、
もっとも、滄月は
「そなたの弟子が俺の妃に懸想している。道士は肉欲に抗い、清く正しく自身を向上させることのみ考えるのではなかったか。いくら
「ほっほっほ。どうぞ斬ってやってくだされ」
「弟子を庇ってやれ。冷たい道士だな。あやつ、ぼうっと阿呆みたいに口を開けて見惚れていたのだぞ。あまりにも間抜けで信じられぬ」
本人は正座して肩をすぼめて頭を垂らして縮こまり、顔を
以前から思っていたが、意外と弟子に厳しい様子――
「おかあさま、おかあさま」
道士たちを見ていると、袖が引かれる。
あら、と視線を我が子に向けると、陽奏は月餅が載った陶器の皿を両手で持っていた。
「どーじょ」
「……陽奏、ありがとう」
両手で皿を受け取ると、小さな手は母の肩をきゅっと掴んだ。
何事かと思っていると、首を伸ばすようにして右の頬に唇をちゅっと付ける。
さては、父親の真似をしたのだろう。
眉を吊り上げ、唇を三日月形でにんまりとしている三歳児のしたり顔を見て、夫は眉を上げた。
「なんだ、それぐらいで龍の首を落としたような顔をして」
「きゃっ」
対抗するように左耳に唇を寄せられ、華凛は声を上げてしまった。
「あー! こらー!」
陽奏が怒っている。
一瞬で離れた夫を見ると、彼は華凛が付けていた翡翠の耳飾りをくわえていた。
「そえ! おかあさまの、みみ!」
「耳ではない。耳飾りだ」
華凛は困り果てた。
どうしてこの二人、すぐ喧嘩してしまうのだろう。
相性が悪いのかしら……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
時間はゆったりと過ぎていく。
風が雲を軽やかに流し、賑やかな茶会の時間が静かに幕を下ろす。
陽奏は、騒ぎ疲れたのか、少し眠そうだ。まぶたが重たそうで、開けようとしても降りてくる様子。大きな目を細めて、両手で目を擦っているので、華凛は「眠ってもいいのよ」と頭を撫でた。
抱っこしてあげると、両手でしがみついて甘えてくる。
「んうー……」
「ね、眠いのですよね、陽奏? お……お部屋で、休みましょう……か……?」
華凛が声をかけると、睡魔に抗うように首を振り、むにゃむにゃと何かを伝えようとしてくる。
「ねええ」
「な、なあに」
「あのねえ、あのねえ」
「ええ、ええ」
「あのねー、せつくんとりーくんがねー」
「せ、せ、せつくんと、りーくん……っ?」
それは、学友の名前だろうか。
華凛は脳内で我が子の学友名簿を照会した。
代々武官を輩出し、忠誠心と武勇で皇帝に仕える宋家の次男、
夏国の名門文家である李家の嫡男、
そんな2人の学友が思い出せた。
「そ……、
確認すると、陽奏は頷いた。
どうもふわふわした風情だ。もしや、すでに半分夢の中なのだろうか。寝惚けている?
華凛は軽く首をかしげて、「お友だちがどうしましたの」と優しく訊いてみた。
「りーくんのおとうさま、そうくんのびょうきのおかあさまと、うわき」
「んんっ? う、うわき。……浮気?」
華凛は眉を寄せた。
三歳児から「うわき」という言葉が出てくるとは。
しかも「びょうきのおかあさまと」とは?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『陽奏のお話』
その日、陽奏は三人の学友と勉学の時間を過ごしていた。
雲英の身内でもある
「おれおれが、でーたーぞー!」
『おれおれ』というのは、妖怪や悪鬼の王様だ。陽奏が決めて、学友たちに浸透させた。皇子の言うことは絶対だ。
「わぁー!」
「おれおれだあー!」
おれおれ
悪しきおれおれがお姫様を襲おうとしている。そんな遊びだ。
ちびっこ勇士たちは手や脚でおれおれ
これがなんの勉学かというと、教育係いわく「心身を健やかにお育て申し上げる学び」だそうな。
運動のあとは、軽食を取ったりお昼寝をしたりする。
自然と雑談が盛り上がる。そこで、陽奏は自分の知らない世界を耳にした。
「ぼくのおとうさまとおかあさまは、いつもちゅっちゅしてる!」
桃饅を二つくっつけて「ちゅっちゅ」を伝える
なんだ、それ。
陽奏は自分の父と母を連想してむすりとした。
「ちゅっちゅ、やだっ!」
「えー」
「おとうさまとおかあさまがなかよしなのは、いいことなんだよ」
「だめ!」
だめ、だめ、ぜったいだめ。
おかあさまは、ぼくのなの。
みんな、わかれ。
ぼくがぜったいなの。
頭をぶんぶんと横に振る陽奏に、共感を示してくれる子がいた。
「でんか。わかります、でんか」
皇子を敬う心を見せている子どもは、
ただ敬うだけではない。そこから派生して、沸々と身の内から「物申したい!」という気配を見せている。
吊り目がちで太眉の「りーくん」は、桃饅頭をぐしゃっと握り潰した。
「そーくんのまま、めぎつね! ぱぱをゆうわく、するな」
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めぎつね? ゆうわく?
何を言ってるのか、わからない。
けれど、陽奏は言うべき言葉を口にした。大切なことだ。
「りーくん。食べもの、くしゃってしたら、めーなんだよ」
食べ物は粗末にしてはいけない。
天の恵み、働く国民の成果だ。
――これは、教育係の教えだ。陽奏の中には、しっかりと教えが根付いているのである。
「おお……殿下……」
壁際で見守っていた教育係の
なにせ語りが三歳児の「ぼくのきおく」なので、実は結構、当てにならない。
その当てにならない語りによると、陽奏は「だめだよー」と言ったのだが、学友たちは喧嘩したらしい。
「めぎつねって、なんだよう」
そーくん……
「ままは、めぎつねじゃないよう! りーくんのばかー!」
「そーくんのままのせいなんだ。うちのまま、いつも泣いてる」
そーくんが体当たりして、りーくんが倒れる。しかし、すぐにりーくんは頭突きして、やり返す。
「ままは、ぐあいがわるいんだよ!」
「うしょ! うしょつきっ!」
「うしょじゃなああい!」
どうして喧嘩しているんだろう。
よくわからないけど、喧嘩をやめてほしい。
陽奏はおろおろとしながら二人の間に割って入った。
「なかよくちて! なかよく!」