越えられるか。
昨日の自分を。
書くたびに思う。
越えられているかを。
誰でもなく自分を越えているかを。
書いたものから何かを学んで、
生かしているかを。
そして、自分は成長しているかを、
考え、突き詰め、時々動けなくなる。
自分から自由になんてなれない。
自分自身が捕まえていないといけない。
自分を捕まえていて、なおかつ自分は昨日より早く走る。
少し休んでは、
昨日を越えんと走る。
何かをつかめているか。
明日の自分は、この自分より何かを越えているか。
変化がないわけじゃないはず。
小さくてもいい、何かは越えているか。
焦りがないわけじゃない。
焦りだらけかもしれない。
未熟だといえばそうなんだろう。
でも、自分を越えていきたい。
書き物は自分にもぐって何かを見つけて、
走るように書く行為。
何度も繰り返しているそれは、
果たして自分のためになっているのか。
過去の自分を越えて、
自分のためになっているのか。
何もかもわからない。
ただ、いくつも書いた言葉が、
自分を構成するもののひとつになっているんじゃないか。
そんなことを思う。