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第197話 おまじないをしよう

私の手をそっと包む。

母は、それが何でも上手くいくおまじないと言ってくれた。

私が緊張しているとき、

私が悲しんでいるとき、

母はその手で私の手をそっと包んだ。

これは何でも上手くいくおまじないだと言ってくれた。

母の手のぬくもりは、

そのおまじないが本当であるように思わせてくれた。

手から、心まであたたかくなり、

暗かった気持ちに光が差し込むようだった。

それは母の優しいおまじない。

私を包んでくれた母のおまじない。


私はそれから成長をして、

結婚して子どもができた。

子どももすくすくと成長していった。

何か失敗することがあっては、

子どもなりに落ち込んでしまったり、

泣いてしまうこともあった。

子どものその様子を見ていると、

私の幼い頃を思い出した。

あの頃の私も子どもなりにいろいろなことで悩んでいた。

大人になれば何でもできると思っていた。

小さな手であることが頼りなくて、

もっと何でもできるようになりたかった。

そこで、ふと、私は母を思い出す。

ああ、母は私のこの気持ちをよくわかっていたんだな。

この小さな手が何もできないと悔しい思いをしているのを、

理解していたんだなと思った。

だからおまじないをかけてくれたんだと、親になってようやくわかった。


私の子は、子どもなりに緊張をしている。

春から新しいことが始まるので、

そのことに対してとても緊張している。

だから私はおまじないをかける。

あの時の母のように。

何でも上手くいくおまじないだと言って、

子どもの手を包み込む。

小さなこの手はやがて何でもできるようになる。

大切なものを守れるほどの手になる。

やがて何でも上手くいく。

私はその祈りと願いを込めて、おまじないをする。

子どもの表情が和らぐ。

なんだかうまくいきそうな気がすると笑った。


子どもは新しい環境に飛び込むべく出かけていった。

緊張がすべてなくなったわけではないけれど、

なんだか吹っ切れた顔をしていた。

ああ、おまじないは効果があったんだなと思った。

私の母も、こんな思いをしていたのだろうか。

幼い私を見守りながら、

祈りや願いを込めておまじないをしていたのだろうか。

もしかしたら、おまじないのことなんて忘れてしまっているかもしれない。

母にとっては些細な出来事だったのかもしれない。

それでも私にとってはおまじないで救われたし、

おまじないで何でも上手くいった。

母のおまじないは素晴らしいものであったと今でも思っている。


私は母に連絡をする。

距離があるのでなかなか会えないけれど、

母は遠くの地で元気にしているようだ。

おまじないのことを伝えようとしてやめた。

その代わりに、休みになったら子供を連れて遊びに行くことを約束した。

母は喜んでくれた。

孫はかわいいからねと笑った。

そのあとで、

いくつになっても子どもは子どもだと言った。

あなたが何歳になろうとも、やっぱり私の子どもなのよと。

優しく母は言った。

かなわないなと私は思う。

おまじないとして私の手を包んだ母の手は、

あたたかく大きかった。

そのあたたかさや大きさを、やはり越えられないなと思った。

私は永遠に母の子だ。

私が子どもの親になろうとも、

それは決して越えられない。


せめて私はおまじないを続けていこうと思った。

母がしてくれたおまじないを、

子どもにもしてあげよう。

そして、母の願いや祈りの気持ちを、

つないでいければと思う。

母の愛は、そうやって受け継がれていく。

ささやかなおまじないとして。


私は我が子の手を包む。

何でも上手くいくおまじないだと言って。

きっと全て上手くいく。

この子の人生にたくさんの幸せが満ちるようになる。

私は願いを込めておまじないをする。

母がそうしてくれたように、

私は我が子の手を包む。

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