どうにもこの時代はスピードが速い。
懐古主義と言われようとも、
俺はゆっくりいろいろ味わいたい主義なんだ。
俺はカフェにいる。
旧時代の名残のようなこの店だけど、
旧時代のようにゆっくりコーヒーを楽しむ者は減ったようだ。
カフェのマスターも、どちらかと言うと旧時代の人間なのだろう。
コーヒーを古い機器で丁寧に入れてくれる。
俺はその手際を見るのも好きなんだが、
この時代に適応している連中は、
早くしろとイライラしていて、
コーヒーが提供されたら、
画像に残した上で、すぐに飲んで代金はらって、店を後にする。
旧時代の時間の流れが好きな俺からすると、
そんなに急いでいたら、なんにもわかんないだろうと思うんだが、
まぁ、彼らなりにわかることもあるんだろう。
旧時代の名残のようなカフェで、
この時代に適応しているものは、店に慌ただしく出たり入ったり。
俺は店の端っこの方でコーヒーを楽しむ。
ほどいい温度のコーヒーは、
香りでリラックスを誘ったあと、
口に広がる風味で緊張を溶かしてくれる。
みぞおちにわだかまっていたストレスや、
肩甲骨に澱んでいた疲れが、
コーヒーでふわりと溶けていく。
ああ、この感覚はいいなぁと思う。
俺は店の天井を眺める。
この時代の店というものは、
どこもかしこも広告が流れているものだが、
このカフェは旧時代の作りなので、
カフェの中に広告は流れていない。
視覚がうるさくないのも、このカフェが好きな理由だ。
とにかくこの時代は視覚にうるさい。
隙あらば視覚を奪って広告が入ってくる。
このカフェにいる間は、
味覚で限りなくリラックスできて、
視覚は静かで自分だけの視覚になったような気がする。
なんだか、自分の感覚が自分に戻ってきているような気がして、
やっぱりこのカフェにいるのがいいなと思う。
俺は紙の本を開く。
その近くに紙の手帳も開く。
この時代においては、本はデータで読むのが主流で、
データを要約して時間短縮するのが主流だ。
時間短縮をしたうえで、もっといろいろなことに時間を使うらしい。
俺はそれがどうにも苦手だ。
紙の本には様々のことがある。
データで要約された時にそぎ落とされた、雑多なこともあるし、
その雑多なことこそ俺は感じたいと思うんだ。
紙の手帳は、やっぱり俺の懐古主義的なところで、
俺が自分の手で書いた手帳を残したいと思うんだ。
紙の手帳には、紙の本を読んで感じたことも書く。
こまごました予定も書く。
飲んだコーヒーの感想も書く。
全てデータ管理すればいいというのがこの時代の風潮ではあるけれど、
どうにも俺はそのあたりが合わないんだな。
俺はコーヒーを楽しみながら、
ゆったりと本を読む。
周りではこの時代に適応したものが、
大急ぎでコーヒーを飲んでは去っていく。
時間の流れが違うんだなと思う。
俺はまだまだ旧時代の人間だから、
自分の感覚でいろいろなものを味わいたいし、
感覚や判断を外部化したくない。
俺が選んだものに責任を持ちたいし、
俺が選ぶものは、俺の判断で選びたい。
俺の感覚は俺がちゃんと感じたいし、
周りから余計な感覚が押し付けられるのは苦手だ。
俺は俺でありたい。
俺の時間で、俺の感じるように生きたい。
それも懐古主義と言われるんだろうなと思う。
人が、自分の感覚は自分のものとしていた旧時代。
感覚がわかり合えないから、
人は理解し合えなくて争いが起きたという。
だから、みんなでわかり合うために、
あらゆる感覚や知識をデータ共有して、
物事への理解速度を速めようとしているらしい。
みんながわかり合えれば争いはなくなって平和になる。
そんな名目らしい。
感覚がデータ共有されて、
知識が要約されて共有されて、
欲しい情報は一瞬で手に入る。
店の味が知りたければ、ダウンロードして味覚のデータを取ればいい。
観光地の風景が知りたければ、
観光地の視覚情報をダウンロードすればいい。
現地に行く必要もなく、時間は節約される。
全ての情報が外部化されて共有されている。
俺はそのあたりを共有していない懐古主義の人間だ。
だから、ゆっくりコーヒーを飲むし、
紙の本の感想を紙の手帳に書く。
時間を無駄にしていると言われそうだけど、
俺の時間はこうして使いたいんだ。
ああ、コーヒーが美味いなぁ。
飲み終えるのが惜しいと思いながら飲み干す。
本を読むのを中断するのも惜しいし、
もう少しこの時間を味わいたい。
俺はマスターにコーヒーのおかわりを注文する。
マスターは丁寧にコーヒーを入れてくれる。
マスターが少し微笑んでいるのは気のせいではないだろう。
この時代に馴染まない懐古主義の俺は、
旧時代のカフェで贅沢な時間を過ごす。
平和はこんなことだと俺は思うんだが、
それも多分懐古主義と切り捨てられるのかもしれない。
まぁ、俺は俺として、自分の時間の使い方をしようと思う。
他人は他人。俺は俺。
俺は好きなように生きるってことさ。