私もまた、罪人だ。
この世にはたくさんの罪がある。
法に基づくものから、
地域だけで通じるもの、
あるいは、個人の間だけで罪とされるもの。
大きなもの小さなもの。
罪とされるものはたくさんある。
昔々、この中で罪を犯していないものだけが石を投げなさいと、
誰かが言ったと聞く。
誰も石を投げなかったと聞く。
罪は、たくさんの価値観が作り出しているのかもしれないと私は思う。
価値観の統一をはかろうとするのが法なのかもしれない。
ある程度同じ価値観のもと、これはいけないというのが罪であり、
してはいけないことをすると罰がある。
また、価値観が違う集団同士では、
お互いの集団の価値観が違うものだから、
あちらは罪を犯しているということがあるだろう。
それが国レベルになると、悪ければ戦争になる。
罪とは、共有している法や正義が違うとコロコロ変わる。
何が罪で、何が正しいのか、
私たちは振り回されながら生きている。
私にとって、あなたは優しい人だ。
あなたは誰のことも悪く言わない。
助けを求めていれば手を差し伸べる。
いつも穏やかに微笑んでいて、
呼吸をするようにすべてを愛する人だ。
犯罪などとは無縁の人であり、
物事に関してはよく考えたうえで判断を下す。
思慮深い人でもある。
そんなあなたが罪人にされた。
罪人をかばった罪であるらしい。
あなたに助けられた人々も皆、
あなたを罪人だと罵った。
ひどい罵詈雑言があなたにたたきつけられた。
あなたはそれでも誰のことも悪く言わなかった。
かばったという罪人のことも、
あなたを罵る誰のことも、
法のことすら悪く言わなかった。
あなたのまわりは嵐が起きたように荒らされていって、
やがて、みんな飽きてそ知らぬふりして日常に戻っていった。
私は、あなたの荒らされた家の近くにやってきた。
あなたは静かに荒らされた家を片付けていた。
どうしてこんなにひどいことをして、
どうして誰も咎められないのだろうか。
罪人はどっちだと私は思った。
いや、止められなかった私も罪人なのだ。
あなたをひどい目に遭わせてしまったという点においては、
私も罪人なのだ。
私はあなたの家の片付けを手伝う。
この家を片付けることで罪人になるというならば、
私は喜んで罪人になろう。
困っている誰かを助けることが罪ならば、
私は喜んで罪人になろう。
あなたは罪人をかばったとしてこのような目に遭った。
私はそれ以上の罪を、
あなたに向けた悪意に見る。
罪人をかばったあなたを攻撃するのは正義かもしれない。
しかし、その正義は私には悪に見える。
みんな正義に酔いしれて、あなたを攻撃して、
飽きたら別の攻撃先を求める。
それのどこが正義なものか。
罪はそこにこそあると思うのに、
誰も咎められずに日常を送っている。
私はそれを、悲しいと思う。
怒りよりも、悲しい。
罪を犯していないものだけが石を投げなさい。
誰かはそう言ったけれど、
本当は石など投げるものではない。
個人に向けて、集団で石を投げるのは止めようということではないだろうか。
私はそう思うのだけれど、
きっと理解はされないだろう。
私たちはあなたの家を元に戻した。
あなたはありがとうと微笑んだ。
少しやつれたような気がする。
やはりあなたでも、つらい思いをしたのだろう。
憎しみがぶつけられて、つらい思いをしないものは多分いない。
あなたは、よく、耐えてくれた。
心優しいあなたが、ちゃんとここにいることを、
私は奇跡のように思った。
あなたは罪人とされたかもしれない。
それでも私はあなたを赦そうと思う。
私には何の権限もないけれど、
この世界で、少なくとも私は、
あなたを赦している。
あなたが罪人だというのならば、
私もその罪を共に背負おう。
そして、赦し合おう。
あなたが罪人なのならば、
私もまた罪人だ。
この世は罪にあふれている。
罪を犯していないものなどいない。
法に触れていないだけで、
悪いことをしたものはたくさんいる。
あなたは、みんなを赦そうといった。
私は深くうなずいた。
あなたは微笑み、私も微笑む。
私たちは罪人だ。
しかし、ここには確かに愛がある。