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第207話 数分の神話

それはたった数分の神話。


高校生の陸上競技の全国大会。

高校生のスポーツと言うと、

高校野球や高校サッカーなどが花形で、

高校生の陸上競技の全国大会はテレビ中継などはさすがにない。

テレビ中継がないという点においては、

他のスポーツも似たり寄ったりかもしれない。

それでも、この全国大会に高校生活すべてをかけてきた猛者が集まっている。

それは、有名になりたいとか、そんなレベルでない。

全国一を取るためにすべてをかけてきた。

命をかけるに等しい努力をしてきたものが集まっている。


中距離走の予選が行われた。

数キロを走る長距離でもなく、

数秒で決着する短距離でもなく、

数分で決着がつく中距離走だ。

全国から集まった中距離走の猛者たちが走る。

その中で、ひときわ速い選手がいる。

この全国大会に向けて命を削ってきたであろうすべての選手を、

どんどん抜き去っていって独走だ。

ほぼ短距離のペースに等しい。

それでもペースは全く落ちない。

瞬発力と持久力の桁が違う。

走る能力においては化け物クラスだ。

いや、走ることに関して、走りの神に愛されたのかもしれない。

その選手は予選を桁違いのトップのタイムで通過した。


陸上競技の全国大会が行われている、

競技場がざわついている。

全く無名の選手が、中距離走でとんでもない記録を出した。

今までノーマークだったこともあり、

大学の陸上競技のスカウトも注目をし始めた。

高性能カメラを持ったカメラマンも選手を注目する。

あれは一体誰だ。

どこに一体隠れていたんだ。

誰に教えてもらったんだ。

競技場は桁外れの中距離走の選手の登場でざわついていた。


中距離走の決勝。

いろいろな競技が同時進行で行われている中、

中距離走の決勝には注目が集まっていた。

あの選手が高校の陸上競技の歴史を変える瞬間を見たい。

生きる伝説になる瞬間を見たい。

伝説の始まりを見届けたい。

そんな思いが競技場に渦巻く。


中距離走、スタート。

あの選手は最初からトップスピードで走り、

ペースを全く落とすことなく、

ペース配分など無視したように、

ただただ猛スピードで走る。

そのフォームは美しく、完成された美ですらある。

走るために生まれてきたような美しさ。

この瞬間、走ることの完成形がここにある。

これが伝説の始まり。

見守る皆がそう思った。


あの選手は数分間、トップで走り抜けて、

風のようにゴールして、

見たことのないタイムを出して、倒れた。

これは歴史に残るほどだと誰もが思った。

競技場が湧いた。

歴史が変わった瞬間だ。

ここから神話が始まる。

伝説の幕開けだ。

しかし、あの選手は起き上がってこない。

倒れたまま微動だにしない。

まずは審判が駆け寄り、

その後慌てて医療班が呼ばれた。

医療班がただ事でない反応をした。

大声で救急車を求めた。

ゴールした瞬間、あの選手の意識はなくなった。

そしてそのまま、鮮烈な記憶だけ残して旅立って行った。


あの選手のことは、記録にも残っていない。

それでも、あの競技場で、

確かに数分間の神話を残していった。

あの速さは神話に登場する英雄さながらであったし、

フォームは完成された美しさそのものだった。

もし生きていればと誰もが思ったけれど、

あの選手の神話はここで完結することで、

たくさんの皆の記憶に残り続ける。

そして、記録に残らない神話として語り継がれ続ける。

あの選手は間違いなく神話を作った。

たった数分の間に、魂を燃やし尽くして神話を作った。

大会のために命を削ってきたレベルでない。

すべてを燃やし尽くす流星のようですらあった。

あの選手は星になった。

神話の英雄が星座になるかのように、

その身を燃やした星になった。


あの選手の記録は非公式記録になった。

それでもその記録が破られたことはない。

あの選手の非公式記録という神話は、

語り継がれていく。

あの選手はそうして永遠になる。

たった数分の神話は永遠になる。

風のように駆け抜けた、

走りの神に愛された、

あの選手が生きた証は、

永遠に神話として残り続ける。


あの競技場は伝説の始まりだった。

神話の生まれた場所だった。

あの選手はいないけれど、

今でもその神話に届くように、

走り続ける高校生たちがいる。

伝説の選手は、いつまでもそんな高校生の前を走り続ける。

それはまるで皆を導く星のように輝いている。


伝説は終わらない。

いつまでも、いつまでも、走り続けている。

そんな、永遠の神話だ。

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