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第252話 がらんどうになった部屋

部屋から荷物を全部運びだして、

部屋はがらんどうになった。

もう、何にもない。

私は今日、この部屋を出て行く。


一人暮らし用の部屋だった。

大学への通学に何とか出来る程度の距離で、

治安のいいところを選んだ。

候補に出したほかの部屋で、あんまり家賃が安すぎると、

親がすごく不安になっていた。

その地域の治安は大丈夫なのとか、

近くに食材を買えるようなところはあるのかとか、

とにかく親はこの部屋に決まるまでとことん心配した。

大学生になって一人暮らしになるぞというところで、

ここまで親が口出ししてくるのかと、

私は最初げんなりした。

私は大人なんだからと突っぱねようとした。

それでも、大人と誇れるほどの経済力もなく、

まだまだ親のすねかじりでもあった。

そのくせ大学生になって大人になるんだという、

なんとも中途半端な年頃だった。

親といろいろな物件を見ながら、

ちょうどいい物件がこの部屋だった。

家賃も悪くない。周りの環境も比較的静かで、

少し自転車でも出せばスーパーがある。

駅までの距離も悪くない。

私と親は納得の上でこの部屋に決めた。


この部屋は、私のいろいろなことを受け止めてきた。

夜遅くまで講義をまとめようとしていたり、

一人暮らしの料理が上手く行かなくてげんなりしていたり、

成人したらお酒だと言って飲んでみたら、

あんまり美味しくなくてテンション下がったり、

恋をしたり、失恋したり、

いろいろなものを増やしてみたり、

いろいろな経験を増やしてみたり、

私のすべてを受け止めてきた部屋だった。

大学に通っている間、

私はずっとこの部屋に帰ってきていて、

この部屋という帰る場所があるから、

私はどんなことでも成し遂げられたし、がんばれた。

実家の親もこの部屋に私を預けていることで、

過剰に心配せずに見守っていてくれた。

最初にちゃんと部屋を選んでくれたのは、

親の愛だったのだなと後になって思った。

もうすぐ親の手を離れる私を、

最後まで守ってあげたいと思って、

この部屋を選んだのだなと、後になって思った。


大学も終わりの頃、

私は周りがそうであるように就職を決めた。

希望していた職種に就職ができて、

それはこの部屋からは通えないところだ。

引っ越しが必要になる。

就職先がしっかり決まったところで、

私は次の物件を探した。

親に相談もしたけれど、

もう大丈夫だから、好きなところを選びなさいと言われた。

大丈夫と言われたことで、

やっと大人になれたのだなと思った。


次の物件を見つけて、

引っ越しの段取りを決めた。

大学の間に増やしたものを、

処分するものと持って行くものに決めて荷造りをした。

いろいろなことが思い出されてきた。

たくさんの青春がそこにあった。

大人になろうともがいている私の思い出が詰まっていた。

この部屋はそのすべてを包み込んでくれていた。

そして、旅立ちを後押ししてくれている。

私は泣きながら荷造りをした。


引っ越し業者に荷物を預け、

私はがらんどうの部屋にいる。

手続きはもう終わった。

私の思い出を示すものは何もない。

それでもこの部屋はずっと私を守ってくれていた。

きっと、次に入ってくる誰かのことも、

この部屋はあたたかく迎えてくれるだろう。

大学からほど近い部屋だ。

大学の後輩が入るかもしれない。

大人になり切れなくて、もがいている誰かかもしれない。

この部屋はそんな誰かのことも守ってくれるだろう。


がらんどうの部屋に、

私はありがとうと言葉を投げる。

何ひとつ残っていない部屋だけど、

なんだか部屋が嬉しそうに感じられた。

私は居心地のいいこの部屋から旅立つ。

いままでありがとう。

この部屋はとても居心地がよかった。

巣から飛び立つ若鳥のような気持ちで、

私はがらんどうの部屋を出る。


これから何が待っていようとも、

きっと大丈夫だと、

あの部屋が言っているような気がした。

大丈夫。私も一人で繰り返す。

きっと、大丈夫。

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