急がば回れと言うけれど、
急いでいるときに回れる人なんているだろうか、
急いでいるときは、どうしても最短距離を行こうとする。
そこを回れる人なんているのだろうか。
だから急がば回れという言葉が生き続けているんだろうけど、
実際、急いでいるときに、
迂回ルートを取れる人なんているのだろうか。
幼い頃から、とにかく結果を出せと言われて育った。
何かをしたら結果が出る。
その結果が良いものでなければいけない。
親は結果が全てな人だった。
結果に至るまでの道のりを見ない人だった。
私は、結果に至るまでの最短距離を急ぐようになった。
急いで結果を出さなければ。
確実に結果を出さなければ。
結果のために走るような生活を送った。
そうして、私は心身を病んだ。
親は私を責めた。
怠けるなと詰った。
それでも私は何も言い返せなかったし、
疲れ果てていて、
結果が残せないなら死のうかなと薄ぼんやり考えていた。
ある時、心の方の医者が親の同伴を求めてきた。
ケンカになるのかなと思いつつ、
医者のもとに親を同伴させていった。
親はこの子は怠けているだけだと持論を展開した。
医者はそれを受け流しながら、
急がば回れと言いますよと涼やかに言った。
最短距離を走りすぎて疲れているんですよと医者は言う。
もっと無駄なことをさせなさい。
結果が出るのはずっと後であると思いなさい。
人生の最後に、幸せだったと答え合わせができれば、
それが人生の最良の結果なのです。
すぐに出る結果ばかり求めるのではありません。
親は呆気にとられた。
今まで考えたこともないことを言われたのかもしれない。
医者は微笑んで言った。
急がば回れですよと。
その日から親の対応が変わってきた。
最初は腫れ物に触るようだった。
今までの親の対応を変えるのだから、
どうしていいかわからなかったのかもしれない。
私としても疲れ果てていたから、
親にこうしてほしいとか、
私はこうしたいとも言えなかった。
親ももどかしかったのかもしれない。
対応をお互い探りながら時間が過ぎていった。
親は、私が好きになりそうなものを探そうとしていた。
今まで最短距離を走らせてきたから、
私が何か好きになる余裕がなかった。
そのことに親が気が付いたらしい。
私には好きがない。
何かが好きということが欠落している。
その上、結果だけを求められていることに気が付いたらしい。
どんなことが好きになるだろう。
親も悩んでいた。
私も疲れたなりに、
休みながら考えていた。
私は何のために生きているのだろう。
生きていて幸せを感じるときと言うのはどんなことだろう。
私なりに悩んでいた。
私は実家で休みながら、
趣味を探そうとした。
漫画を読んでも疲れる。
小説も疲れる。
ゲームも疲れる。
習い事を行こうとするのも疲れる。
人間関係も疲れる。
どこかに出かけるのも疲れる。
今まで何事も最短距離を走らされてきた私は、
とても弱ってしまっていた。
それでも何かを見つけたい。
結果でなくて好きでいられること。
何かを見つけたいと思った。
私が幸せだと思うこと。
それを見つけようとした。
とても遠回りをしている。
心身壊したのだから、最短距離はもう走れない。
結果はずっと出ないかもしれない。
それでも親は辛抱強く待っている。
結果はそうやすやすと出るものでないとわかってきた。
私の人生は私のものであるとわかってきた。
今は、私を支えるのが親の役目であるとわかってきた。
私は遠回りをしている。
親もまた、遠回りをしている。
最短距離を走らせようとしない。
私が回復するのを、
急ぐ気持ちもあると思う。
親もそうだし、私も早く回復しようと焦っている。
それでも、急がば回れと思った。
最短距離を行くのでなく、
迂回ルートをできるだけ走る。
無駄なことをたくさんする。
安全な道を行く。
本当に回復したい時こそ、
ゆっくり行くのが正しいんだと思った。
私はゆっくり回復をしていって、
いくつか好きなことを見つけた。
心身壊していた頃に失ったものを少しは取り戻して、
そろそろ実家を出て行こうと思っている。
親とは心地いい関係を築けた。
急がば回れ。
親も私も遠回りをした。
そうして得られたものは、
キラキラと輝いているのだなと思う。
すぐに得られる結果ではなくて、
いろいろな経験を経て得られたものは、
何物にも代えがたいのだなと思う。
この遠回りの経験が私を生かす。
親も私も、そう思っている。