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第275話 横断歩道にいるあれは

俺はイヤホンで音楽をかけながら歩く。

外の音がキャンセルされた中、

前を見ると横断歩道に何かいる。

あれは何だ。


音楽が鳴りっぱなしなのでわからないけれど、

信号を見れば、横断歩道の信号は赤信号。

車道では車がビュンビュン走っている。

周りを見ればみんな信号が変わるのを待って立ち止まっている。

そうだよな、普通赤信号ならここで止まるはずだ。

でも、横断歩道の真ん中に何かいる。

その何かは、車がどれほど走っていても気にすることなく、

横断歩道の真ん中にいる。

人のような気もするけれど、

人によく似たものに見えなくもない。

影のように見えるのだけど、

なんだか笑っているようにも見える。

あれは多分見えてはいけないものだ。

見えていることを気づかれてはいけないものだ。

俺は音楽に集中する。

あれと目を合わせてはいけない。


音楽に集中していても、

横断歩道にいるあれが目に入ってくる。

あれは俺に気が付いた。

笑顔で手招きをしている。

あれの誘いに乗ってはいけない。

あれはよくないものだと俺は思う。

あれに誘われると、なんだか奈落に落ちてしまうような予感がする。

危険危険と頭の中で騒いでいる。


横断歩道の信号が変わって、歩行者が歩く音楽が流れる。

俺はほっとして歩こうとして、足を止めた。

俺のイヤホンは外の音が聞こえない。

なんで横断歩道の音楽が聞こえる。

聞こえるはずがない。

これは嘘だと俺は思う。

そんな俺の目の前を、大型トラックが走っていく。

嘘の音楽に気を取られて歩いていたら、

今頃俺は形がないほどの死体になっていた。

横断歩道の信号はまだ赤だ。

あれが何かしたに違いない。


横断歩道にいるあれは、

俺が嘘の音楽に気が付いたことを悟ると、

ビュンビュン走る車の流れの中にいつの間にか消えた。

どこかに行ったのか、

あるいはこの横断歩道に身を隠したのかはわからない。

あれはきっと通り魔みたいなものなのかもしれない。

魔が差してしまうようなことを誘っているのかもしれない。

音楽を聴いている俺の耳に悪さして、

嘘の音楽を聞かせて車に轢かれるように誘ったりしているような、

そんな、よくないものなのかもしれない。


あれから、よくないものをたびたび見る。

俺は慣れているから無視ができるけれど、

巻き込まれてしまう人を目撃することもあった。

線路に落ちてしまう人。

事故に遭う人。

そっちの方には行かないけれど、

海で流される人も、

山で遭難する人も、

そんなよくないものに誘われているのかもしれないと思う。


あれはよくないものだとわかるのだけど、

確たる何物かはよくわからない。

通り魔と思っているけれど、

それも正しいかはわからない。

わからないけれどあれらはあちこちにいる。

そして、誘えそうなものをあちら側に誘っている。

誘われた先は奈落の底だ。

光も届かないところに落ちて死ぬ。


今生きているということは、運がいいだけかもしれない。

あれの誘いに抗えるだけの運と力があるだけかもしれない。

ただ、ついているだけなんだ。


今日もイヤホンで音楽をかけながら俺は歩く。

周りの誰もが俺に無関心。

俺も適当に無関心。

外の音は聞こえない。

ただ人が歩いている。

音楽はイヤホンでガンガンなっている。

誰の声も聞こえないし、音は音楽しか聞こえない。

横断歩道で立ち止まると、あれがいる。

俺とは目を合わせようとしていない。

俺の隣あたりに視線を向けている気がする。

隣には学生がいる。

歩きスマホに夢中になっている。

学生が横断歩道を歩こうとして、

俺はとっさに肩をつかんだ。

横断歩道の信号はまだ赤だ。

学生の目の前を車が走っていった。

学生が何か言った気がしたが、

音楽で全く聞こえない。

適当にうなずいて返す。


あれが何なのかは全くわからない。

俺はあれに誘われないように、

なんとなく注意して歩く。

あれはどこにでもいる。

見えたら危険だ。

目を合わせたらいけない。

あれは見えないものとした方がいい。

その方がきっと平和だ。

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