俺はイヤホンで音楽をかけながら歩く。
外の音がキャンセルされた中、
前を見ると横断歩道に何かいる。
あれは何だ。
音楽が鳴りっぱなしなのでわからないけれど、
信号を見れば、横断歩道の信号は赤信号。
車道では車がビュンビュン走っている。
周りを見ればみんな信号が変わるのを待って立ち止まっている。
そうだよな、普通赤信号ならここで止まるはずだ。
でも、横断歩道の真ん中に何かいる。
その何かは、車がどれほど走っていても気にすることなく、
横断歩道の真ん中にいる。
人のような気もするけれど、
人によく似たものに見えなくもない。
影のように見えるのだけど、
なんだか笑っているようにも見える。
あれは多分見えてはいけないものだ。
見えていることを気づかれてはいけないものだ。
俺は音楽に集中する。
あれと目を合わせてはいけない。
音楽に集中していても、
横断歩道にいるあれが目に入ってくる。
あれは俺に気が付いた。
笑顔で手招きをしている。
あれの誘いに乗ってはいけない。
あれはよくないものだと俺は思う。
あれに誘われると、なんだか奈落に落ちてしまうような予感がする。
危険危険と頭の中で騒いでいる。
横断歩道の信号が変わって、歩行者が歩く音楽が流れる。
俺はほっとして歩こうとして、足を止めた。
俺のイヤホンは外の音が聞こえない。
なんで横断歩道の音楽が聞こえる。
聞こえるはずがない。
これは嘘だと俺は思う。
そんな俺の目の前を、大型トラックが走っていく。
嘘の音楽に気を取られて歩いていたら、
今頃俺は形がないほどの死体になっていた。
横断歩道の信号はまだ赤だ。
あれが何かしたに違いない。
横断歩道にいるあれは、
俺が嘘の音楽に気が付いたことを悟ると、
ビュンビュン走る車の流れの中にいつの間にか消えた。
どこかに行ったのか、
あるいはこの横断歩道に身を隠したのかはわからない。
あれはきっと通り魔みたいなものなのかもしれない。
魔が差してしまうようなことを誘っているのかもしれない。
音楽を聴いている俺の耳に悪さして、
嘘の音楽を聞かせて車に轢かれるように誘ったりしているような、
そんな、よくないものなのかもしれない。
あれから、よくないものをたびたび見る。
俺は慣れているから無視ができるけれど、
巻き込まれてしまう人を目撃することもあった。
線路に落ちてしまう人。
事故に遭う人。
そっちの方には行かないけれど、
海で流される人も、
山で遭難する人も、
そんなよくないものに誘われているのかもしれないと思う。
あれはよくないものだとわかるのだけど、
確たる何物かはよくわからない。
通り魔と思っているけれど、
それも正しいかはわからない。
わからないけれどあれらはあちこちにいる。
そして、誘えそうなものをあちら側に誘っている。
誘われた先は奈落の底だ。
光も届かないところに落ちて死ぬ。
今生きているということは、運がいいだけかもしれない。
あれの誘いに抗えるだけの運と力があるだけかもしれない。
ただ、ついているだけなんだ。
今日もイヤホンで音楽をかけながら俺は歩く。
周りの誰もが俺に無関心。
俺も適当に無関心。
外の音は聞こえない。
ただ人が歩いている。
音楽はイヤホンでガンガンなっている。
誰の声も聞こえないし、音は音楽しか聞こえない。
横断歩道で立ち止まると、あれがいる。
俺とは目を合わせようとしていない。
俺の隣あたりに視線を向けている気がする。
隣には学生がいる。
歩きスマホに夢中になっている。
学生が横断歩道を歩こうとして、
俺はとっさに肩をつかんだ。
横断歩道の信号はまだ赤だ。
学生の目の前を車が走っていった。
学生が何か言った気がしたが、
音楽で全く聞こえない。
適当にうなずいて返す。
あれが何なのかは全くわからない。
俺はあれに誘われないように、
なんとなく注意して歩く。
あれはどこにでもいる。
見えたら危険だ。
目を合わせたらいけない。
あれは見えないものとした方がいい。
その方がきっと平和だ。