恐ろしいものは何だろうか。
人それぞれではあるけれど、
みんなが恐ろしいと思うものは何だろうか。
天変地異は恐ろしい。
恐ろしいし、理不尽だ。
善悪問わずにみんな壊していく。
壊れるのが恐ろしいのだろうか。
予兆がないのが恐ろしいのだろうか。
何も問わずにすべて巻き込んでしまうのが恐ろしいのだろうか。
恐ろしいと思われる要素が、
天変地異にはたくさん含まれている。
たとえば地震。
たとえば津波。
たとえば異常気象。
巨大な台風などもそうかもしれない。
それらの災害は、人ばどれだけ善い行いをしていたとしても、
すべてを破壊していく。
それが恐ろしいのかもしれない。
ここから考えられるのは、
理由なく巻き込まれて害になるものは恐ろしいということだ。
理由があるのならば、
そこから離れるようにすれば、
少なくとも巻き込まれにくいと思う。
たとえば犯罪に巻き込まれるのもいろいろだけど、
手っ取り早くお金をもうけようと、
犯罪に手を染めることがなければ、
そこから自身の身に害をなすようなことはないように思う。
犯罪に巻き込まれるのも、
時々、誰でもよかったと、
無差別に害する存在もいる。
そういった犯罪者は、見境がない故、
やはり恐ろしいと思う。
どんな生き方をしていても、
生き様を否定するように巻き込まれて害をなすものは、
やはり恐ろしいと思う。
また、話のつけようがない存在に害されること。
たとえば生きていない存在。
言葉に直すならば悪霊的なもの。
手あたり次第に呪うなどの害をなしている存在と仮定するならば、
話そのものが通じないであろうし、
どんな生き方をしていようとも、
生きているものが憎くて呪っている悪霊だとすれば、
これはやはり恐ろしい。
悪霊が見えるものとして描かれたものなどは、
話が通じるような見た目をしていない。
見た目から恐ろしいと感じるのは、
害をなす存在と見えているからかもしれない。
つまり、理不尽に害する存在は恐ろしい。
害される理由が見えず、また、それを防ぐ手立てがなく、
ただただ害されること。
それは恐ろしいと思う。
歴史の上でも、巻き込まれて害されて死んでいった者がいる。
戦争などもそうかもしれないけれど、
大きな戦とか戦争があれば、
戦いに赴くものばかりでなく、
暮らしているものも巻き込まれて害された。
それを防ぐ手立てとして、
人々は団結して暮らしを守ろうとしたけれど、
歴史の大きな流れの中で、
巻き込まれて消えていった者がたくさんいただろう。
人同士の戦争や戦ばかりでなく、
災害は世界のあちこちであった。
神様をどれだけ信じていようとも、
災害は人の命を容赦なく奪っていった。
それはやはり恐ろしいものとして、
歴史に刻まれていることだろう。
恐ろしいものはたくさんある。
個人では何かの恐怖症もある。
それらもおそらく、
対象がこちらを害するように感じられるということが、
恐怖症の根源にあるのかもしれない。
それが自分を害してくるように見える。
だからとても恐ろしい。
恐ろしいと思うことに、
命を守ろうという無意識が働いているのかもしれない。
あれから命を守ろうとしなければ。
あれから逃げなければ。
恐怖症の根源はそこにあるのかもしれない。
恐ろしいと思うこと。
それはきっと、命を守りたいと思うこと。
なんとか生きたいと思うこと。
理不尽に巻き込まれることなく、
平穏に生きていたいことの裏返し。
生きることを害するような存在は、
やはり恐ろしいのだと思う。
古来はそれを神のようなものとして、
祭ったりしたこともあったと聞く。
恐ろしいのは、結局人とは対話できない存在なのかもしれない。
それを神というか災害というかはわからないけれど、
人を超えた大きな力、また、理不尽な暴力。
それらはやはり、どの時代でも恐ろしいのだと思う。