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第282話 改札口で振り返る

いつもの駅。

改札口で振り返る。

あなたが手を振って見送っている。


私には将来を約束した男性がいた。

経済的には頼りない男性だった。

その分私が働くからと、

私はかなり無茶をして働いた。

ストレスもかなり抱えた。

男性は私の抱えたストレスを、

癒すのがとても上手だった。

将来を見据えて同棲しようとなったのは自然の流れだった。

男性が家事をするから、

私は働いてきてと言われた。

それくらいしかできることないからと、

男性は苦笑いしていた。

それができることでどれだけ私が助けられているか、

私はかなりの熱量で熱弁した。

男性はいつもお弁当を私に持たせてくれて、

最寄りの駅までやってきて、

改札口で私を見送った。

私の姿が見えなくなるまでそうしているのだろう。

振り返っても改札口で手を振っていた。

私は応援を受けるような気持ちで、

気合を入れて仕事に臨んだ。


同棲をして数ヶ月。

愛に満ちた日々が過ぎていった。

このまま結婚するのだろうなと、

結婚式の資金を考え始めた。

将来のことを本格的に話し合い始めた。

二人で働いた方がいいと、

男性も働き口を探そうとした。

家のことやってくれればいいと私は止めた。

家のことも手を抜かないし、仕事もできると、

男性は折れなかった。

私の方が折れて、

無理しない範囲のお仕事にしてと頼んだ。

男性は任せてと笑った。


それから、男性は近所のスーパーでパートの仕事を始めた。

改札口で私を見送った後、

自転車でスーパーに出かける。

晴れていても雨の日でも。

事故はそんな時に起きた。


ある日の仕事終わり。

その日は一日雨が降っていた。

今から帰るとラインを送っても、

既読がつかなかった。

いつもならば改札口まで迎えに行くねとすぐに返事が来るはずなのに。

胸騒ぎがした。

嫌な予感がした。

急いで職場を出て、列車に飛び乗って、

いつもの改札口まで向かう。

男性はいない。

走って同棲している部屋に向かう。

そこにも誰もいない。

どうしてと思った。

雨に濡れたまま絶望していると、着信。

見たことのない電話番号は、彼が事故に遭ったことを伝えた。

雨の中スーパーから退勤して、

その途中に前方不注意の車にはねられたと。

もう、心肺停止で意識はないと。

私はそれでも男性に会いたかった。

病院の場所を聞いて走った。

病院で、冷たくなった男性の手を取って、

私は慟哭した。


あれから数年の月日が過ぎた。

喪失感が薄れることはないけれど、

私は私なりに生きている。

同棲していた部屋にいまだに暮らしているけれど、

最近、私にアプローチをしてくる男性があらわれた。

無口で無愛想だけど、真面目で、

愛のアプローチがかなり重い。

最初は何だこいつと思ったほどだ。

知れば知るほどこの男性はいいなと思えた。

同棲していた男性のことも思い出す。

あの男性も真面目だったなと思う。

真面目で、優しく、愛が重い。

そのあたりが似ているなと思った。


アプローチをしてきた男性は、

結婚を前提にお付き合いしたいと、

しっかり交際を申し込んできた。

私は、その場で答えられずに、

少し時間をくださいと言って逃げてきた。

その夜、夢を見た。

事故で死んだはずの男性が、

改札口の向こうで手を振っている。


いってらっしゃい。

もう大丈夫だね。

がんばってね。

と言っている。


ああ、今度こそ私を見送るつもりなんだと私は悟った。

夢の中で泣きながら、

いってきますと大声で答えた。

事故で死んだはずの男性は、

満足そうに笑いながら手を振っている。

夢の中で私も手を振り返した。


アプローチをしてきた男性と、

私は正式にお付き合いを始めた。

結婚を前提にしたお付き合いをしばらく重ねて、

私たちは結婚することになった。

事故で亡くなった男性と暮らしていた部屋を引き払い、

私は新居に引っ越しして新婚生活を始めることになる。

荷物は運び出された。

生活の痕跡はなくなった。

部屋を引き払う手続きも終えて、

私は最寄りの駅の改札口に向かう。

何度も来た改札口。

改札から入って振り返る。

あなたが満面の笑顔で手を振っている。

あなたは人混みにかき消されるように消えてしまった。

きっとこれが最後。

最後まで私を応援し続けたあなただった。


いってきます。

心でそう言って、

私はホームへと向かう。

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