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57通目 花屋さんに宛てて

町の花屋さんへ


突然のお手紙で驚かれたかもしれません。

私は、こちらの花屋で花を購入している、

とある流派の華道をしているものです。

華道家というほど専門にしている訳ではありませんが、

こちらの花屋さんの花で、

どれほど華道が美しく仕上がっているか、

そのお礼のお手紙になります。


はじまりは、私の師匠が、

こちらの花屋さんを贔屓になされていたことです。

この花屋さんの花材は、市場から確かなものを仕入れている。

この地域で一番生きのいい花を間違いなく仕入れている。

これから華道の展覧会などにおいては、

この花屋さんの花材を使えば、

作品の見た目や鮮やかさ、生命力の表現などは、

格段に上がるだろう。

この花屋さんの花材に負けないような腕を磨きなさい。

師匠にそう言われたことが始まりでした。

当時は私もまだ若く、

花の良し悪しもよくわかりませんでした。

ただ、地域の他の花屋をのぞいてみた際に、

花の揃えが全然違うことに気が付きました。

花の顔が全然違うのです。

そして、花の数も全然比べ物にならないのです。

これほど違うのかと驚いたことを今でも覚えています。

師匠が贔屓にする花屋さんは、

それだけの理由があったのだなと、

若かりし頃に思い、今でもそう感じています。


師匠はお花のお稽古の際に、

この花屋さんから花を選んで教材にされます。

流派の研究会がある時などは、

研究に応じた花をしっかり選んできます。

流派の研究会に必要な花も、

この花屋さんにはちゃんと仕入れられており、

師匠が前もって流派の研究会対策を教えることができます。

おかげで華道の研究会の生け花において、

それなりに優秀な成績を取ることができます。

上を見ればきりがありませんし、

研究会の講師も同じではありません。

いろいろな対策をしても、なかなか結果が出ないかもしれません。

それでも、この花屋さんがちゃんと花材を仕入れてくれることにより、

事前対策がちゃんとできて、

自分の力を発揮できているなと感じています。

花は生きているものです。

それをどう輝かせられるか。

やはり、いつも輝いている花屋さんの仕入れた花が、

お手本になっているのだと感じています。

私の腕前は、その輝きに導かれているのだと思います。


この花屋さんの花は、

普段の華道のお稽古でも生きますが、

最も輝くのは、華道の展覧会だと思います。

いろいろな流派が集まって作品を展示する場において、

まずは花の質がよくないと、流派の作品自体がくすんでしまいます。

ここの花屋さんは、申し分ない花をいつも準備してくれます。

華道の展覧会において、

まずは作品と花を決めるために、

お弟子さんたちが集まって、

師匠の指導の下、花を決めていきます。

この花と作品をどうやって仕上げるか、

華道の展覧会の前に師匠の下で形を作ります。

そして華道展覧会の直前に、

会場で花を仕上げていきます。

そして、展覧会の会期の数日間、

花が生き生きとしていなくてはいけません。

このお花屋さんの花は、最後までしっかりと笑っています。

輝くばかりの生命力を表現していて、

展覧会の照明にも負けないほどです。

動きのある作品はあたかも動いているように、

静けさを表現した作品は、

静けさの中にも強さがあるように、

表現したいものに合わせた花が、

華道の展覧会の会期中、しっかり表現されています。

会期中にしおれることはありません。

最後まで堂々としています。

この花屋さんがしっかりした目利きで選んで仕入れた花だからだと思います。

これらの花でどれほど展覧会が華やかになったかしれません。

ありがとうございます。


華道を何年も続けてきますと、

花屋さんの花への愛が本物であることに気が付きます。

本当に、花が笑っているものを仕入れているのだと毎回感じています。

元気のない花でなく、

いじけている花でなく、

手に取った人を元気にする、

笑っている花を仕入れられています。

その花を生けることで、私たちもどれほど元気になったかしれません。

この花をどこで笑わせてあげようか、

流派の形としてはここで笑わせよう。

研究会の研究の形としては、ここで笑わせよう。

華道は形ではありますけれど、

笑っている花を生けながら、

笑顔になっている私がいます。

花屋さんというお仕事は、大変なお仕事とも聞きますが、

たくさんの笑顔を増やすお仕事でもあります。

この花屋さんから、たくさんの笑顔が生まれていったものと思います。


花というものは、人々に寄り添うものだと思います。

嬉しい時に花を贈り、

別れの際にも花を贈り、

誕生日にも花を贈り、

葬儀の際にも花が飾られます。

お金がかかるので、花は要らないと言われるかもしれません。

それでも人々の中から花が消えないのは、

花が愛の象徴だからだと思うのです。

人の間に愛が消えないように、

人と人の間に花も消えないのだと思います。

大切な誰かに花を贈り続けるのは、

花が愛そのものを表しているからだと思うのです。

花はお金がかかるという方もいるかもしれません。

どうせ枯れるのだからと言われることもあるかもしれません。

でも、花を贈る時、花は確かに笑っていて、

愛を表現しているのです。

人と人の間にはこんなにも美しい愛がある。

そのことを花は表しているのです。

なんと美しいことでしょう。

枯れるかもしれません、お金がかかるかもしれません、

それでもその時に花が笑っていた記憶は残り続けます。

大切な、輝いた記憶として残り続けます。

花の命は一瞬かもしれません。

しかし、表現した愛はずっと残り続けます。

語り継がれていけば、

一瞬の花の命は、それこそ永遠になるのです。

人の営みが続く限り、

花はずっとそばにいるものと思います。

その花を取り扱ってくださる、

花屋さんには頭が上がりません。

華道を嗜むものとして、

花屋さんの花には、いつも助けられています。


華道は長く続けられるものです。

いろいろな花を見てきて、

いろいろな形に生けてきました。

流行もありました。

新しい品種の花が出たこともありました。

時代の移り変わりと花はともにありました。

いつの時代にも、花はそばにいます。

過去もそうですし、未来もきっとそうでしょう。

人の間の愛の担い手として、

どんな時代においても花が贈られるのだと思います。

その時、花屋さんの仕入れられたような花が、

人の間で笑っていてほしいと思うのです。

この花屋さんの仕入れられた花の良さを、

皆様にもわかってもらうべく、

私は華道を通して花の良さを表現し続けます。

花は愛そのものです。

どうか、人の間に愛があり続けるように、

花屋さんのようなお店が続いていくことを願っています。


最後になりましたが、

いつも素晴らしい花を仕入れてくださり、ありがとうございます。

師匠の代からお世話になっていますが、

この花屋さんの良さを、華道の後輩にも伝えていこうと思っております。

末永くお店を続けられることを願っております。

大変なお仕事とは思いますが、

お身体には気を付けられてください。

それでは。


一介の華道を嗜む者より

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