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第4話 沢田くんと消えた心の声


「そういえば、沢田とちゃんと話できた?」

 杏里ちゃんに言われて、私は屋上での出来事を思い出した。

 沢田くんが泣いちゃって、私が彼の後を追いかけていたことを。


「杏里ちゃん、沢田くん見なかった? 私より先にここを駆け降りていったはずなんだけど」

「さあ。見なかったな。あいつ忍者みたいだから」


 究極まで気配を消す沢田くんの奥義【おんみつ】を使ったのか。だとしたら杏里ちゃんが気づかないのもうなずける。


「沢田と何かあったの?」

「うん……ちょっと喧嘩になっちゃって」

 項垂れていると、杏里ちゃんがため息をついた。


「もしかして、前から沢田と二人で行く約束でもしてた?」

 顔を上げると、呆れ顔の杏里ちゃん。

「……うん」

「バカ。だったら迷わず二人で行けよ。クラスの奴らなんかに気を遣う必要ないって」


 じゅっと目頭が熱くなった。溢れてきた涙を手の甲でこする。


「うん。そうだね。本当にそう」

 どうして二人で行くのが絶望的だなんて思ってしまったんだろう。

 沢田くんを無駄に不安にさせてしまった。


「沢田くんに謝らなくちゃ」


 ついでにおはぎをつぶしちゃったことも謝ろう。泣きながらひっくり返ったお弁当箱におはぎを戻そうとした時だった。



「沢田」



 杏里ちゃんの声がしたから驚いて振り向くと、そこに無表情の沢田くんが立っていた。



「あたし、教室戻るわ」

 気を利かせてくれたのか、杏里ちゃんが髪をなびかせながら早足で去る。私たちの周りにはちょうど誰もいなくなった。



「あの……ごめんね、沢田くん! 沢田くんのおはぎ、うっかりつぶしちゃって……!」


 私は急いで潰れたおはぎを拾ってお弁当箱につめ直した。


「はい」

「……」


 お弁当を差し出したけど、沢田くんはしゃべらない。表情も変わらない。


 あれ?


 何か変。

 忘れかけていた違和感が蘇る。


「……沢田くん?」



 沢田くんは無言で私からお弁当箱を受け取った。そして、暗い顔つきで私をただじっと見つめる。



 ……あれ?

 あれあれ? あれ?

 どうしちゃったんだろ、沢田くん。いつもならこんな時、



【俺のお昼ごはんがおはぎだって佐藤さんにバレてしまった!! やっベー!!((((;゚Д゚))))))) しかもぺちゃんこになってますますブサイクに! まあ元々見た目はあんまり良くなかったけどね⁉︎ あああ、どうしよう。母ちゃんに怒られる。ダンプカーに轢かれたって嘘ついとく? いやダメだ、タイヤの跡がない!!!:(;゙゚'ω゚'): そ、そうだ! 通りすがりのお相撲さん集団がすり足稽古で踏んでいったことにすれば……いやダメだ、土ついてない!!!:(;゙゚'ω゚'):】



 くらいのことを言いそうなのに。

 それとも──やっぱり怒っているのかな?



「沢田くん……それと、さっきのことだけど」

 ごめんねと言いかけた瞬間、沢田くんはくるっと私に背を向けた。

 そのまま何も言わず、逃げるように走り去る沢田くん。


 ……どうしちゃったの、沢田くん⁉︎

 なんで何も言わないの?


 叫ぼうとしたら、ズキッと頭が痛んだ。ぶつけたところを触って、そこでようやく私は気づく。



 違う。

 沢田くんが変なんじゃない。

 変なのは私だ。




「……聞こえない……?」


 沢田くんの心の声が……聞こえなくなってる──。




 その日、私は学校を早退してすぐに病院に向かった。

 沢田くんの心の声が聞こえなくなったのは一時的なもので、頭の怪我さえ治れば元に戻ると思ったからだ。

 それは半分願望で、もう半分はただの楽観で、どちらも何の根拠もないものだった。ただ絶望と諦観に心を明け渡すのが怖かっただけだった。


 頭の怪我自体は思ったより軽く、レントゲンと触診を受けただけで治療はすぐに終わってしまった。念の為聴覚テストも受けたけど異常なし。薬も痛み止めの抗生物質が出ただけだった。


「異常なしで良かったわね。まったく、景子がものすごい声ですぐ病院に行きたいなんて言うからどんなひどい怪我なのかと思ったら」


 パート中に無理を言ってついてきてもらった母親が、タクシーの車内で笑いながらため息をつく。


 異常ありまくりだよ。お母さんの本音が聞こえないの。

 今朝までちゃんと聞こえていたのに。

 異常があるなら治すことができるのに、何もないなんてどうしたらいいの?


「それより、明日から四日間テストなんでしょ? 学校休んじゃったんだから、家でしっかり復習しないとね」

「あ……テストのこと忘れてた」


 しっかりしてよ、と背中を叩かれる。確かに、集中しないとまずい。4月に沢田くんの隣になってから、授業はほとんど上の空だった。

 沢田くんの面白すぎる心の声に、それほど夢中だったんだと気づいた。



 家に帰ると、私は机に向かい、何時間もかけて出汁を取るようにじわじわと勉強の感覚を取り戻していった。

 でも、集中しかけるとすぐに「このまま治らなかったらどうしよう」と不安が現れて邪魔をする。

 結局、はかどらないまま夜が来て、明日の朝にはきっと治ると祈りながらベッドに入った。



 そして、テスト当日。


 耳栓をしていないのに、みんなの声が聞こえない。

 隣にいる沢田くんの声も。

 私の力は、失われたままだった。







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