一夜明けて、ついに枇杷島花火まつりの日がやってきた。
私はワクワク1%、不安99%の心境で、この日のために買ったばかりの浴衣に袖を通す。薄い水色地に朝顔をあしらった爽やかな綿麻の浴衣で、帯は赤だ。
沢田くんは来てくれるのだろうか。
小野田くんは、沢田くんを本当に連れてくるのだろうか。
心配だけど、二人を信じるしかない。
夕方の枇杷島駅はすでに浴衣姿で溢れていた。
「おーい、景子ちゃん!」
「あっ、麻由香ちゃんと杏里ちゃん……」
人混みの中で、偶然いつもの顔に出会う。麻由香ちゃんも杏里ちゃんも髪をアップにして、いつもより濃いメイクでバッチリ決めていた。
「沢田は?」
杏里ちゃんが尋ねる。
私と沢田くんが別行動を取ることはみんなに了承してもらっていた。それなのに、私一人でいることを杏里ちゃんは不思議に思ったのだろう。
「まだ、沢田くんが来るかどうか分かんないんだ……」
「そうなんだ」
杏里ちゃんは私を励ますように笑った。
「まあ、頑張れよ」
「うん」
杏里ちゃんと森島くんも、今日でうまく行くといいんだけど。
祈ることしかできない自分を責めながら、二人とはそこで別れた。
さて、白鳥橋で沢田くんを待とう。
決意を新たに駅を出ようとした時だった。
「あ、あ、あ、あ、あ、あの……」
突然、丸サングラスに大きめなマスクをした背の高いおじさんが、夏なのにぶ厚いコート姿で私の前に立ち塞がった。
「えっ⁉︎」
「あ、あ、あ、あ、あ、あの……」
それさっき聞いた。デジャヴ?
おじさんはマスクとサングラスで表情が見えない。
なんだか怖い!! 変質者かも⁉︎
「な、なんなんですかっ⁉︎」
「あ、あ、あ、あ、あ、あの……あっ、ごめんなさい、同じこと言っちゃって。お前は壊れたレコードかっ! って思いましたよね、すみません」
いや、変質者だと思いました。
とも言えず、私は叫ぶタイミングを失ってオロオロしてしまった。
するとおじさんは、ペコペコしながら言った。
「い、い、い、今、さ、さ、沢田って……言いましたよね。あっ、ごめんなさい、盗み聞きとかじゃないんです、通りすがりにちょっと小耳に挟んでしまったというか。え、え、え、えーと、ごめんなさい、怪しい者じゃありません」
め、め、名刺を出します、と言いながら、おじさんは大きなキャリーバッグの蓋を開けた。
熱湯で温められたアサリ貝のようにバッグはいきなり全開になり、中身が飛び散る。
怪しい粉や、怪しい草や、怪しい民族衣装のようなものが入っていて、思いっきり怪しい。怪しいというしかないほど怪しい。おじさんはアワアワしながら、飛び散ったものを拾い集めている。
仕方ないので私も手伝った。
怪しさ満点だけど、悪い人じゃなさそうだったから。
その時、私はおじさんの荷物の中に、怪しい木彫りのお面があることに気がついた。
こういうの、どこかで一度見たことがあるなあ。
どこだったっけ。
「あ、あ、あ、あ、あ、すいません……。それは、息子へのカムチャッカ土産でして……」
おじさんが私の視線に気がついてペコペコする。
息子。木彫りのお面。海外土産。沢田に反応。異常に腰の低い、怪しげな態度……。
その瞬間、私の頭の中でスパークが起きた。
勢いよくおじさんの方に顔を向けると、おじさんは小鹿のように震えた。
その態度が、どっかの誰かの心の声にそっくりなんですけど!!
「あなたは、もしかして……!」
その頃、小野田家では。
ジリリリリリ、ジリリリリリ。
レトロな黒電話を思わせる音がスマホから流れる。
「ううーん……」
小野田大輔はランニングにトランクスというだらしない格好で布団に寝転がったまま音を止めた。画面を見ると、17時00分という文字が光っていた。
「なんだ、まだ5時か……」
二度寝しかけて、小野田は思わず飛び起きる。
「んっ⁉︎ 17時⁉︎ 5時は5時でも夕方じゃねえかーーーっ!!」
隣のK市で行われる枇杷島花火まつりの白鳥橋で、6時に佐藤景子が沢田空と待ち合わせしている。自分はそこに嫌がる空を連れていかなければならないという使命があることを思い出し、小野田は慌てて服を着はじめた。だが、
「いって……!」
ズボンを履こうとした小野田は、突然肩や腕にひどい痛みを感じて動きを止める。
「くっそ……あいつらのせいか……」
小野田は今朝まで一緒にいた前工の連中を思い出し、顔を歪めた。
***
「待てやコラア! ここで会ったが百年目だコラア! 勝負せいやコラア!」
昨日の夕方のことだ。前田工業高校略してマエコーの連中と帰り際に遭遇した小野田は、逃走を図るも失敗。そのまま奴らに捕まった。
「ちくしょう、しつけえんだよお前ら! 俺の顔を見るたび絡んできやがって!」
「うっせえコラア! 勝負せいやコラア!」
こうして無理やり連れていかれた先は、前工のボス、小林の家だった。
「よく来たな、小野田……歓迎するぜ。オレンジジュースでいいか?」
小林はスキンヘッドに
「コーラにしてくれ」
「うるせえコラア! ナマ言ってんじゃねえぞコラア! 果汁100%だぞコラア!」
今のは前工の連中の声だ。外野が騒がしい。
他の選択肢がないなら疑問形で聞くなよ、と思いつつ、小野田は小林の母ちゃんが出してくれた氷入りのオレンジジュースをストローで飲んだ。
そんな小野田の目の前に、使い古されたスーパーファミコンのコントローラーが突き出される。
「今日はマリオカートで勝負だコラア!『ドーナツへいや』でガチバトルだコラア!」
「またドーナツへいやかよ! いいかげん、次の『おばけぬま』に行かせろよ!」
「ああん⁉︎ 小林さんナメんなよコラア! おばけが出てきたらビビるだろうがコラア! テレサ夢に見るほど繊細なんだよコラア!」
「じゃあ『クッパじょう』は?」
「ふざけんなコラア! 小林さんナメんなよコラア! マグマに落ちたら心臓キュってなんだろうがコラア!」
こいつらが一番小林ナメてんじゃねえか? と小野田は思ったが、小林は一言もしゃべらずに『ドーナツへいや』にノコノコ(初心者向け)でスタンバイしようとしている。
ノコノコかよ! どこまで安全策を取る気だ小林!!
でもピーチ姫じゃなくてよかった!!
そんなことを思いながらドンキーコングでエントリーした小野田は、激しいデッドヒートの末になんとかノコノコ小林を撃退した。
***
「まさか、マリオカート一択で朝まで監禁されるとは、な……いててて」
右腕が痛いのは、ボタンを押しすぎた故の筋肉痛だろう。
「あいつら、弱えクセにイキがりやがって……全員倒すのに苦労したぜ全く」
小野田はフッとクールに笑った。
「おっと、それどころじゃねえ。沢田を迎えに行かねえとな!」
たった十二時間の睡眠不足と筋肉痛がなんだとばかりに、小野田は己を奮い立たせ、歩いて五分の距離にある沢田家へと足を引きずりながら向かった。