空がいきなり玄関から飛び出すと、庭の方から「あっ!」と声がした。
それはさっきのフランケンシュタイン──小野田だった。
浴衣が邪魔でちょっと走りにくいが構わず駅へと走り出した空を、小野田が追いかける。
「ちょっと待てよ沢田! どうしたんだよ、急に!」
追走する小野田を、空はうるさそうに睨み返した。
「……佐藤さんが、大変なんだ」
「何?」
「なんか……怪しい人にさらわれたって聞いたんだ……!」
すると小野田はさっと顔色を変えた。
「怪しい奴ってまさか──前工の奴らか⁉︎ あいつら、俺に飽き足らず佐藤さんまで……⁉︎」
「何か知ってるの⁉︎」
空は走りながら小野田を問いつめる。
「ああ……実は、昨日の夕方、俺と佐藤さんが一緒にいるところを前工のヤバい奴らに見つかっちまってな……。あの子は逃したんだが、俺は朝まで捕まって大変な目に遭ったんだ。今でもあちこち体がズキズキしやがる」
体が痛むのだろうか、小野田は顔を歪めた。その額には玉の汗が浮かんでいる。
「そんなにヤバい人たちが佐藤さんを……⁉︎」
「ああ、あいつらはマジでやべえ。特にボスの小林って野郎がイカれててな。執念深くて、絶対に自分が勝つまで勝負を挑んで来るんだ。俺の要求には一切応えず、テメエの主義主張を押し付けてくる……どこまでも頑固でワガママな暴君って感じのサイコ野郎だよ」
俺はコーラが飲みたかったのに、果汁100%のジュースの方が体にいいから飲めって押し付けてきやがって、てめーは俺のおかんか! などとブツブツ呟く小野田の声は空にはもう届いていなかった。
「俺のせいだ……! 俺が佐藤さんとの待ち合わせ場所に迷わず行っていたら、佐藤さんはそんな人に連れて行かれずに済んだのに……!」
悔しがる空の瞳に涙が浮かぶ。
「その人の家はどこ⁉︎」
「あ、あっちだ!」
小野田の誘導に従い、空は全力で道を曲がった。
***
……なんてことがあったとは、つゆ知らず。
私は沢田くんが全速力で右折していった道を、丸サングラスにマスクをかけた怪しい見た目のおじさんと一緒に駅から直進してきていた。
「へえ〜。それじゃ、日本へ帰って来るのは四年ぶりなんですね」
「え、え、え、まあ、はい。す、すっかり駅も見違えちゃって。空も大きくなったかなあ」
「えっ……沢田くんはそんなに変わらないと思いますよ?」
小さい子供じゃあるまいし、と私はクスクス笑った。
「それに、見違えるも何も、あの駅は隣の市の
「そ、そ、そうですか。どうりで見覚えがないと思いました……」
おじさんは照れくさそうに頭をかいた。
それにしても、驚いた。
枇杷島駅で迷子になっていたこの変質者のような見た目のおじさんが、まさか沢田くんのお父さんだったとは。
世の中、広いようで狭いよね。
「す、す、すみません、家まで案内してもらっちゃって」
「いえ、いいんです。私も沢田くんと会えるなら、好都合だったので」
沢田くんが「行けない」って言っていた理由もわかり、私の心は少し軽くなっていた。
四年ぶりの家族の集合だもんね。沢田くんがそっちを選ぶのは当然のことだ。私は毎日学校で会っているんだし──。
お父さんの顔見たら、沢田くん喜ぶだろうな。
今夜は、その顔を見るだけでいいか。
群青の空に浮かんだ星を見上げて、私は必死で自分にそう言い聞かせていた。
「さ、佐藤さんは、空のお友達と言っていましたね……」
「あ、はい」
歩きながら、沢田くんのお父さんがモゴモゴと話しかける。
まだ恋人関係だとは言えないから、私はさっき駅でそう説明していた。
「驚いたなあ……。空に友達ができるなんて」
沢田くんのお父さんはしみじみとつぶやいた。
「小学校も中学校も、全然友達ができなくて、あの子はもうずっと一生ひとりだと思っていたんですが……」
「そんなことないですよ」
私はそっと微笑んだ。
「沢田くんのこと、本当はクラスのみんなも大好きなんです。超人気者なんですよ。でも、沢田くんだけがそれに気づいていないんです」
「そ、そうなんですか? でもあの子、無表情でしょう」
「表情に出てないけど、感情は豊かですよ、沢田くんは」
びびったり、浮かれたり、沈んだり。私の言葉ですぐに一喜一憂する。
沢田くんの心の声がもう一度聞きたいな……。
「……どうしましたか?」
「え?」
「なんだか、急に暗くなっちゃったので……あっ、ごめんなさい。詮索するようなこと聞いちゃってごめんなさい。空と何かあったんですか? あっ、立ち入りすぎましたよね、ごめんなさい」
沢田くんが心の声を解放したら将来お父さんみたいになるのかなと思うと、私はつい笑ってしまった。
沢田くんのことが心配なんだろうな。いいお父さん。
まるで沢田くんと話しているみたいで、気持ちがほぐれる。
「……実は私、以前は沢田くんが黙っていても、沢田くんが何を考えているのかすぐに分かっていたんです」
気づいたら、私はそんなことをお父さんに語っていた。
「でも最近、急に沢田くんが何を考えているのかが分からなくなっちゃって……」
「……なるほど。空も思春期になったってことなんでしょうかね……? だから素直になれなくなった、とか……」
そういうじゃなくて、前はリアルに考えが聞こえていたんですよ。
とは言えず、私は黙ってうつむく。
「あっ、そうだ。いいものがあります」
沢田くんのお父さんはコートにたくさんついているポケットをひとつひとつまさぐり、最終的に小さなガラス瓶を取り出した。
「こ、こ、これ……どうぞ」