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第30話


ジャスティーナはその古い書物を片手に、固まってしまった。

 この世にはあらゆる分野において研究が進められているが、魔獣の研究など聞いたことがない。研究しようにも、その対象は遠い過去、魔王が滅んだと同時に姿を消してしまったのだから。


(これはロレッタ様の本なのかしら……)

 だとしたら、忘れ物に気づいてすぐに取りに戻ってくるだろう。だが、しばらく待っても誰も現れない。

(彼女の物ではないとしたら、ずっと以前から地中に埋まっていて、今回偶然掘り起こされた、とか?)

 だが、それにしては本も麻袋も保存状態は良いように思う。

(中身が身になるけど、勝手に読んじゃいけないわよね……持ち出すのもダメだわ)

 ジャスティーナはひとまず本を袋の中にしまうと、そっと地面に置いてその場を離れた。


 数分後。

 ジャスティーナがルシアンの約束の場所に戻ると、すでに彼は待っていた。

「ごめんなさい、遅れて」

「いや、大丈夫だよ。ジャスティーナも歩いてきたの? てっきり転移魔法で目の前に現れるかと」

「……なるほど。その手があったわね」

 ロレッタと別れた場所から、すぐにここへ戻るはずだったのだが、見渡す限り樹木の生い茂る森。同じ風景が目の前に広がり、自分がどこから来たのかわからず、軽く迷子になってしまったのだ。

 一瞬焦ったが、すぐに気持ちを落ち着かせ、まず不思議な声を聞いたあの石の埋められている場所に出た。そこからなんとかここに辿り着くことが出来たのだが、今思えばルシアンの言葉通り、転移魔法でここへ移動した方が早かったのではないか。

 次からはもっと冷静になってよく考えよう、とジャスティーナは自省した。


「お休みの日に私に付き合ってくれてありがとう。じゃあ、見ていてね」

 気を取り直し、手のひらを上に向け、魔法陣を出現させる。

「すごい……こんなの、初めて見た……!」

 ルシアンは赤い魔法陣を前に、興奮で目を輝かせた。

 心の中でジャスティーナが念じると、続けて小さな黒竜が姿を現す。

「ルシアン、彼が以前話したヴィムよ。かつては魔王の配下だったけど、今は私の友人といった感じなの」

「……すごい、本物竜だ……!」

 衝撃と感動でさらに大きく目を見開くルシアンを一瞥して、ヴィムはゆっくり羽ばたくとジャスティーナの手の上に降り立つ。

「ヴィム。こちら、幼馴染のルシアンよ」

 大人しくしているヴィムの様子にホッとして、ジャスティーナはヴィムを乗せた手をルシアンに近づけた。


「ルシアンもあなたに会いたいって言ってくれていたのよ。ほら、あなたが心配してるような人じゃないでしょ?」

「心配って……?」

 ルシアンが怪訝そうな顔をする。

「えっと……人間は敵じゃない、ってことよ」

 不埒な人間だと散々言われているとは言えず、ジャスティーナは言葉を濁す。

「そうか。それなら大丈夫だよ。俺は君に害を与えるつもりはない」

 ルシアンも微笑んでヴィムに向き直ると、少し控えめに手を差し出した。


 ヴィムも戸惑いの表情を浮かべていたが、やがてジャスティーナの手から飛び立ち、ゆっくりとルシアンの手元へ羽ばたいていく。

(ヴィムったら、あれだけルシアンのことを気に入らないって言っていたのに、歩み寄ろうとしてくれているのね。ルシアンは誰でも分け隔てなく接することが出来る人だから、ヴィムもきっと打ち解けるわ)

 ジャスティーナもその光景を微笑ましく見つめていたのだが。


「おい、人間」

 ヴィムが低く唸った。

 次の瞬間、ヴィムの後ろ足がルシアンの手を思いきり蹴る。

「えっ⁉」」

 ルシアンは痛みより驚きで、思わず手を引っ込めた。

「ちょ、ちょっと、ヴィム!」 

 ジャスティーナは慌ててヴィムの体を掴むと、自分の元へ引き寄せる。

「襲っちゃだめ、って約束したでしょ!」

「あれは我らの挨拶の一つです。自分より下の者へ対しての。お約束には反しておりません」

 ヴィムは悪びれず堂々と言い放った。

「え、下の者……?」

「そうだ」

 ルシアンの問いかけに、ヴィムは胸を張って答える。

「いいか。良く聞け、人間。私は魔王様直々の配下である。そして魔王軍精鋭の竜部隊の長にして忠実な僕、ヴィムである! 貴様がジャスティーナ様のつがいとして相応しいかどうか、しっかり見極めさせてもらうからな!」

 ヴィムは鼻息を荒くし、赤い目でルシアンをギロリと睨みつけた。


 もしこれが元の大きさなら直ちに縮み上がってしまうところだが、小さいサイズでは迫力に欠ける。ルシアンの口から「う、うん……」と戸惑い混じりの声が漏れた。

 ジャスティーナに小さく囁く。

「俺はどうやら彼に良い印象を持たれていないようだね……」

「違うの。ヴィムはちょっと心配性なところがあって……私を守ろうとしてくれているだけなの。ルシアンのことが本当に気に入らないなら、今日こうして会うことも承諾してくれなかったはずだから」

「そうか……」

 ルシアンは再びヴィムの方を向いた。

「君は昔から魔王に忠誠を尽くしているんだね。俺は君のことを知りたいし、互いに認め合っていけたらと思っているよ。少しずつでいいから君と仲良くしたい」

 穏やかな顔で、めげずに再度ヴィムに手を差し出す。

 さすがはルシアンだ。いきなり手を蹴られた挙句、下の者扱いされたというのに怒る素振りもない。

(きっとヴィムも寛容なルシアンに心を開いてくれるわ)

 友好的な彼の内面に、ジャスティーナが感動していたのも束の間。

 ヴィムがルシアンに向かって大きく口を開いて炎を吐き出そうとしているのを察知し、慌ててその口を手で塞いだ。


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