ヴィムが咄嗟に自分で炎を飲み込んでくれたおかげで、ジャスティーナの手は幸いヤケドなどのケガを負わずにすんだ。
そもそもヴィムはただ威嚇のつもりで、ルシアンに当てるつもりはなかったのかもしれないが。
初日の今日は、あくまで顔合わせだ。
ヴィムの気が乗らない以上、このまま二人を引き合わせ続けても意味がないだろう。
ジャスティーナは、ヴィムを魔法陣の中──魔族の森へ帰すとルシアンに謝った。
「今日はごめんなさい。ヴィムにも悪気があったわけじゃないと思うの……」
「いや、俺も急に距離を詰めようとして悪かったよ。でも、きっと彼とは分かり合えると思うんだ」
「また会ってもらえる?」
「もちろん。魔獣と接する機会が来るなんて思ってもいなかったから、楽しみだよ」
ルシアンがいつもと変わらない様子で快諾してくれたことに、ジャスティーナはホッとした。
同時に、彼の発言から『魔獣』という言葉を拾ってふと考える。
(私はヴィムを黒竜で魔王のかつての配下、という認識でいたけど、世間ではヴィムは魔獣扱いなのよね)
当たり前といえばそうなのだが。
「ねえ、ルシアン。あなたはヴィムを怖がらないけど、やっぱり魔獣は人にとって恐ろしいものよね?」
「え? まあ、そうだな。俺もジャスティーナの仲介がなかったら、彼を怖い存在だと思っていただろうし」
「そうよね。……でも、そんな恐ろしい存在を研究しようとする人っているのかしら」
頭に浮かぶのは、先ほど土の下から見つけた本のことだ。
「急にどうしたんだ?」
「あ、いえ、もしそんな人がいたら、何を目的にそんなことするのかな、と思って。もう魔獣なんてどこを探してもいないのに」
「……昔は研究する人、いたみたいだよ」
少し間が空いて、ルシアンが口を開く。
「俺がまだ幼い頃、父上に聞いたことがある。昔、一時期そういう研究をする人達がいたらしい。でも、そういう得体の知れない物を研究することを快く思わず受け入れない人々もいる。次第に世間から異端視されて、いつのまにか廃れていったんだ。さらにその時代の王が厳戒態勢で取り締まったこともあって禁忌扱いされ、人々の記憶から完全に忘れ去られたらしいよ」
「そう……なの……」
やっと魔王が倒されて魔獣も姿を消し平和が訪れたのに、わざわざ過去の恐怖対象を研究しようとする集団は、当時の人々の目にさぞ不気味な存在として映ったことだろう。そういう存在を排除したいと思うのは、当時の人間にとって当然の心理だ。
(では、あの本は周囲の目を恐れて誰かが埋めたということ?)
やはり、ロレッタの物の可能性が高い。土魔法を発動する前に、彼女がスコップで地面に穴を掘っていたのはまぎれもない事実だ。
「ありがとう、ルシアン。貴重な話を聞けたわ。それと、もう一つ聞きたいことがあるんだけど……」
ジャスティーナは、先ほど石から聞こえた声のことを思い浮かべる。
「この森について何か話を聞いたりしてない?」
「この森……? 特に何も知らないけど、どうかした?」
「……いえ、それならいいんだけど」
ルシアンの様子から察するに、この点に関して彼は何も知らないらしい。
石のある場所までルシアンを連れて行こうかとも思ったが、まだ何もわかっていないのにむやみに彼を振り回したくない。
「今日はもう寮に戻りましょうか」
ジャスティーナはルシアンを促して、森の出口へと足を向けた。
◇
「……でも、やっぱり気になるのよね」
それから数分後。
一旦ルシアンと別れたジャスティーナは、自室に入るなり再び転移魔法で森の中に戻ってきていた。
「ええと……あったわ」
掘り起こされたままの土の山の傍らに、目的の物を見つけて拾い上げる。
それは、例の麻袋だった。
何だかとても貴重な物のような気がして、そのまま放置しておくのが心配だったのだ。
まだロレッタは取りに来ていないらしい。
(そもそも私が思い込んでいただけで、彼女の物じゃなかったのかも……持ち主の名前がどこかに書いてあったりして)
可能性は低いが確かめてみてもいいかもしれない。
ジャスティーナが袋を開けて、中の本を取り出した時。
ガサガサと草木を分けて誰かがこちらへ近づいてくる音がした。
ハッとして振り返ると、ちょうど木々の間から顔を出したロレッタと目が合った。ジャスティーナの手にある本を見て、ロレッタの表情が一瞬にして強張る。
(しまった……! やっぱりロレッタ様の本だったんだわ! それなのに、私ったら勝手に開こうとして、絶対怒ってる……!)
ジャスティーナは慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい! あなたの物を勝手に触ったりして……!」
急いで本を麻袋にしまうと、足早にロレッタに近づき、袋を差し出す。
ロレッタは手渡されたそれに視線を落とした。しかし、その顔がみるみる青ざめていく。
「……あ、あの……この本を見ました……よね?」
心なしか、声も震えているようだ。
「ええ……最初のページだけですが……」
なぜロレッタが怯えた様子なのかわからないまま、ジャスティーナは正直に答える。
すると、ロレッタは急にその場にへたり込んだ。
「ああ、もうダメだ……」
麻袋を抱きしめたまま、うずくまる。
尋常ではない彼女の落ち込み様に、ジャスティーナは戸惑った。
「……あの……どうかなさったのですか?」
しゃがんで控えめに声をかけると、ロレッタはわずかに顔を上げた。
「私はこの学院を去ります……」
「え⁉」
何があってその発言に行き着くのか。ジャスティーナの思考は追い付かない。
「どういうことです?」
「……だって、私の噂が学院中に知れ渡ったら、もうここでは生きていけない」
ロレッタは弱々しい声で言った。
(知れ渡る……? 私が、何か彼女にとって不利になることを誰かに言う、と懸念しているのかしら)
ジャスティーナは考えたが思い当たる節がない。そのうちロレッタは鼻をすすり始めた。
取りあえず、彼女の気持ちを落ち着かせることが先決だろう。
「何をそんなに心配なさっているのかわかりませんが……私はあなたのことを悪く言うつもりはありませんよ」
ロレッタの背中に手を回して優しく声をかけると、彼女は涙目でジャスティーナを見上げた。