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第32話

 ロレッタが何に怯えているのかわからないが、まずは彼女の警戒心を解かなくては。

「あなたが戻ってきてくれて良かったです。この本をこのままにしておくと雨や土でいつか傷んでしまうんじゃないかと心配していたから」

 ジャスティーナは安心させるように柔らかく微笑んだ。

「心配……?」

 おずおずと聞き返すロレッタに、ジャスティーナは頷く。

「ええ。そういえば、こうしてお話するのは初めてでしたね。改めまして。私、ジャスティーナ・ラングトンと申します」

「……私は、ロレッタ・エイマーズです」


 しばらく間があって、ロレッタの返答があった。いつものように逃げ出してしまうのではないかと懸念していたが、その心配はなさそうなのでホッとする。

「さっき、おっしゃっていた『私の噂』というのは、もしかしてこの本に関係することですか? もしそうでしたら、安心してください。私は誰にも言いませんから」

 そう言ってみたものの、ロレッタは口を閉ざしている。


(誰にも言わない、なんて言葉で言っても信用されないわよね。彼女は貴族に良い感情を抱いていないみたいだし)

 でも何とかロレッタと話がしてみたい。ジャスティーナは根気よく話を続けることにした。

「さっき、ロレッタ様がこの場を走り去ったあと、土の中に何か埋まっているのを見つけたんです。何か布のような物だと思いましたが、引っ張り出すとその麻袋が出てきて。その時に、偶然口が開いて中身が出てしまったんです」

「……それで本の中を見たんですか?」

「最初のページだけ。とても興味をそそられましたけど、もしあなたの物なら勝手に見てはいけないと思って、それ以上は見ていません。すぐに袋にしまって元の場所に置いて、一旦その場を離れました。でも、そのままにしておいたことがとても気になって、私もここに戻ってきたんです。だから、ちゃんと持ち主の手に戻って、良かったですわ」


 ロレッタはジャスティーナの顔をじっと見つめていたが、地面に視線を移し、呟く。

「……埋まっていたなら、そのままにしていただいて良かったのに」

「え、でもそんなことをしたら、本がボロボロになってしまいますわ」

「こんな本、持っていても厄介なだけです。ジャスティーナ様はこの本がどういった類の物か、おわかりですか?」

「ええと……魔獣の研究書、とかですか?」

「気味悪いですよね」

「そうでしょうか?」

 ジャスティーナの返答が予想外に真っすぐすぎて面食らったのか、ロレッタは驚いて顔を上げてこちらを見た。

「昔は、それを禁忌と呼ぶ人もいたかもしれません。でも、それはその当時の人々が研究したかけがえのない遺物。周囲の目に耐えてでもそれを貫こうとした彼らの情熱と信念は、決してなかったことにはなりませんわ。それに」

 ジャスティーナはロレッタの手を取って、一緒に立ち上がる。

「さっきの『埋まっていたならそのままにしておいたら良かった』というあなたの発言、あれは本心ではないでしょう? もしそのままにしておいても良い物なら、こうして取りに戻ったりしませんもの。きっとこれはあなたにとってとても大切なものですのね」

 ジャスティーナはにっこりと微笑む。


 その顔をロレッタは目を丸くして見ていたが、やがて硬くなっていた表情を少し緩めた。

「……ジャスティーナ様は変わったお方ですね」

「え?」

「すみません。悪い意味で言ったんじゃないんです。魔獣研究をこんなに肯定的に捉える人に初めて会ったので」

 ロレッタは口元を綻ばせた。先ほどまで彼女の顔を覆っていた警戒の色は、ほぼ薄れているように見える。

「ジャスティーナ様は、私がここで何を──なぜ穴を掘っていたか、お聞きにならないんですか? ……いいえ、あなた様にはもうわかっていらっしゃるんでしょうね」

(ルシアンに聞くまで魔獣の研究のこともそれが禁忌だということも知らなかったけどね……)

 ジャスティーナはそれらを踏まえて急いで仮説を立てた。

「これはとても大切な物だけど手元に置いておくと不都合だから、手放そうと思った。でも捨てるに捨てられなくて、仕方なく誰も来ないであろう森に埋めようと思った。……そんな感じかしら……?」

「ええ。その通りです。……これは、私の祖父が遺した物なんです」

「まあ、そうだったんですね。エイマーズ伯爵家は、魔獣研究を継承している家系なのですね」

「いいえ」

 ロレッタは首を横に振った。その表情は暗い。

「祖父といっても、母方の祖父です。母は平民の出です。私は……母が他界した五年前、エイマーズ伯爵家に引き取られたんです」

(え?)

 思いもしなかったロレッタの発言に、ジャスティーナは返答に詰まる。

 もしかしたら余計な質問をしてロレッタを悲しい気持ちにさせてしまったかもしれないが、もう遅い。


「そ、そうだったんですか……。申し訳ありません。私、あなたのことを何も知らなくて」

 ジャスティーナが謝罪すると、ロレッタは少し驚いた顔をした。

「私、結構ここでは有名人だと思っていました。もちろん悪い意味で、ですけど。私みたいな半分平民みたいな出身の者、他にいませんから。ジャスティーナ様も私の噂はお聞きになったでしょう?」

「いいえ、何も」

 それは本当のことなので、ジャスティーナはきっぱりと答える。


「ロレッタ様の出自がどうであれ、この学院で一緒に学ぶ仲間ですもの。同じクラスで席も隣になったのも何かのご縁。もっとロレッタ様とお話がしてみたいです」

「……私と一緒にいると、ジャスティーナ様にご迷惑をおかけするだけですよ」

「迷惑かどうかは私が決めることですから。あ、ここでは何ですから、私の部屋に来ません? ちょうど先日実家から送ってきたおいしいお菓子がありますの」

(食堂に寄って、ティーセット一式借りてこよう。もしかして、入学して初めて学友とのお茶会なのでは……⁉)

 ジャスティーナは少しうきうきしてきた。

「……何だか嬉しそうですね」

 訝し気に呟くロレッタにも、微笑みを向ける。

「あ、分かります? でも、無理にとは言いませんので」

「……あなたは本当に変わっていますね」

 ロレッタは半ば諦めたようにため息をつく。しかし、口角は僅かに上がっているように見えた。


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