「いつから研究をしているかとか、母方の家系が代々そうだったのかとか、詳しいことはわからないんです。私も実際、祖父が魔獣研究をしている姿は見ていないんです。でも、祖父が代々引き継いできたと言っていたので、祖先は間違いなく魔獣研究に携わっていたのでしょう」
ロレッタは麻袋をから皮表紙の本を取り出してテーブルの上に置いた。
「祖父は私に魔獣の話をたくさんしてくれました。世間では話すことも憚られるようなことですけど、私は怖いなんて思ったことは一度もなくて。祖父から聞く魔獣の話はとても面白くて心躍ったのを今でも覚えています。母はいつもいませんでしたけど、寂しくありませんでした」
そう話すロレッタの瞳には懐かしの色が浮かんでいる。
「お母様はどちらへ……?」
「朝から晩まで働いていました。いつか自分の店を持つのが母の夢で、私には苦労はさせないから、と口癖のように言っていました。私も母の手伝いをしたかったんですけど、幼いうちは留守番ばかりで、祖父が私の面倒を見てくれていました。物心ついた頃には父はいませんでしたから。流行り病で亡くなったと聞きました」
「そうだったんですか……」
「あ、お気になさらないでください。私は父がいなくても祖父がいてくれていたので幸せでした。十歳の時に祖父が亡くなる少し前、この本を私が引き継いだんです。祖父の死は悲しかったけど、その頃、母がようやく店を構えることができて。小さな飲食店だったんですけど、私もようやく母の役に立てることが嬉しくて、店を手伝いました」
「では、ロレッタ様もお料理を作ったりしたのですか?」
「簡単な物ばかりですけどね」
ロレッタは笑う。
「でも十三歳の時に、店が強盗にあって。店は荒らされてめちゃくちゃになってしまったんです。母はショックで倒れてしまいました。回復の兆しもなく、数か月後亡くなりました」
「そんな……」
ジャスティーナは言葉を失った。
「……母は私には見えない所で相当無理をして働いていたんだと思います。その事件のせいで、身体も心も折れてしまったんです。店には借金もあって、借金取りが来て払えないなら娼館に売り飛ばすって言われて」
「何ですって⁉」
ジャスティーナは思わず椅子から立ち上がった。だがすぐに座り直す。
「ごめんなさい、大きな声を出してしまって」
「いいんです。もちろん、娼館には行かずにすみましたから」
それもそうだ。でなければロレッタは今頃ここにはいない。
「では、どうにかして借金をお返しになったということ?」
「ええ。……返したのは私ではありませんが。その時、父と名乗る人物の代理人が私の目の前に現れました。母の借金を返す上に、屋敷に引き取る、と」
「……もしかして、それがエイマーズ伯爵……?」
「はい」
ロレッタは頷く。
「……母は、元はエイマーズ伯爵家の使用人だったんです。エイマーズ伯爵には妻がいましたが、母を愛してしまい、母は私を身ごもった、と。でも母はひっそりと屋敷を出て行方をくらましてしまい、ずっと探していた、と。私は行く当てもありませんでしたし、借金も返してうらえる上に父に会えるならと喜んでその話を受けました」
「では、ロレッタ様は新しいご家族に迎えられたのですね」
ジャスティーナはホッとした。ロレッタが一人でなくて良かった。
だが、ロレッタの表情は曇っていく。
「……ええ。表向きには。でも、父もその妻も、異母兄弟達も私を歓迎していたわけではありませんでした。私は使用人同然の扱いを受けました。でも借金を払ってくれた手前、言いなりになるしかありませんでした。私は行く当てもありませんでしたから、まだ屋根のある部屋で眠れることをありがたいと思うようにしました。ですが三年経った頃、私の境遇を見かねた古参の使用人がうっかり口を滑らせてしまったんです」
ロレッタは膝の上の拳をぎゅっと握り締めた。
「私は母にそっくりなのだそうです。それで昔のことを思い出した、と。私は、母と伯爵はひそかに愛し合っていたと思っていたのですが、実際は伯爵が母に無理やり関係を迫り、母は私を身ごもり、それを知った本妻に屋敷を追い出されたと教えてくれました。伯爵は母を庇うことすらしなかった、と」
つまり、伯爵は母と自分を捨てたのだ、と。
「私は真相を確かめたくて伯爵に問いただしたかったのですが、そうすれば私にその話をした使用人が罰を受けるのではと心配になって、行動に移せずにいました。それからしばらくして、私はどういうわけか使用人部屋を出されてちゃんとした部屋を与えられました。食事も着る者も以前より格段に上がりました。私は、やっぱりあの使用人の言うことは嘘で、伯爵は私を本当の娘として認めてくれたのではないかと嬉しくなりました。お礼を言いたくて伯爵の部屋を訪ねようとした時、扉の向こうから伯爵とその妻が言い争いをしているのが聞こえました」
内容は、どうやら本妻がロレッタの環境改善に文句を言っているようだった。
「本妻は私が目障りで仕方がないことはわかっています。でも伯爵は私のことをちゃんと考えてくれていると期待して、彼の言葉を待ちました」
だが、彼女の期待は打ち砕かれることになる。
「伯爵はこう言ったんです。あれは私の道具だ。今からでも淑女としての教育を施せば、この家にとって有益な貴族に嫁がせることができる。あんな下女の腹から生まれた者でもこの家の血が入っているのは間違いないからな、と」
ロレッタの声は僅かに震えていた。