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第18話 皇帝陛下とのお茶会 


 私はヴィンセントが好きではない。

 けれど母が亡くなった時、泣いているところを救ってくれた。彼が優しかった唯一の記憶。

 あの日を境に、ヴィンセントは少しずつ我儘わがままで、横暴な人間になっていった。自分の目的の為なら、道理をじ曲げてでも手に入れようとする。癇癪かんしゃくは年を重ねるごとに酷くなり、彼に苦言を述べた者は排斥はいせきされ、傍に残る者は、皇太子という立場を利用せんと集まるハイエナたちばかりだ。

 忠臣たちも皇帝の死後、力を失い辺境の地に追いやられるか、冤罪えんざいによって死刑となった。


 当時、婚約破棄され、平民となった私はドラーク竜王国との国境付近で、静かに暮らしており、彼の恐怖政治を遠くから見ていることしか出来なかった。いや、その時には「何もかも諦めていた」という方が正しいだろう。

 静かに暮らしていても、私の未来は処刑台行きだったが──。


「……っつ」


 あの時の記憶が蘇り、足元がふらつきそうになる。


(大丈夫、あの未来だけは絶対に変える……!)


 今年行われる陛下の生誕祭の時にでも、ヴィンセントとの婚約解消を公表してもらおう。そうすれば、必然的に魔法学院で「悪役令嬢」という役割を避けられるはず。


「こちらでございます」


 執事に案内されたのは、暖炉だんろのある落ち着いた書斎だった。たいてい相談する場所はここと決まっている。皇帝の書斎というにはこじんまりしており、飾り気はない。

 いつもならローワンも同席することがあるが、彼の姿はここには無い。


「失礼します」

「ああ、楽にしてくれ」


 部屋に入ると、使用人が紅茶や焼き菓子を運んでくる。全ての準備が終わると、使用人と執事は退出した。


 現皇帝陛下。

 金髪のオールバックは、獣のたてがみを彷彿ほうふつとし、琥珀色こはくいろの瞳は猛禽類もうきんるいのように鋭い。しかし私に向ける眼差しは、温かいものだ。すでに公務を終えた後なので外套がいとうなどは外しているが、それでも黒の軍服は着たままだった。年齢は四十代に届くだろうが、まだまだ若く見える。

 私はドレスの裾を掴んで、皇帝陛下にうやうやしく挨拶をする。


「陛下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「まったく。ここは公の場ではないのだから、そうかしこまらなくてもいいだろう」

「それを言うならば、陛下も自室では私服に着替えたらどうですか?」

「かははは、そうだな。次に来た時はそうしよう」

「そう言って私服で会ったことなんて、ほとんど無いじゃないですか」


 これが私とルイス=シグルズ・ガルシア皇帝とのお決まりのやり取りだ。何年経っても開口一番は変わらない。

 私は顔を上げると、眉間にしわを寄せている伯父を見つめた。目元にクマなどはなく、肌艶はだつやも良い健康状況だ。

 私の記憶──前回の出来事の通り進めば、これより先五、六年の間に伯父は病死する。病名は明かされなかったが、その死は唐突だった覚えがある。あまり考えたくないが、伯父の姿を見て病ではなく暗殺の可能性も出てきた。

 はやる気持ちを抑えきれず、私は弾かれたように口を開いた。


「……今日は大事な話があります!」

「ふむ、ではまず座ったらどうだ。今日はとっておきの紅茶を用意している」


 ソファに腰かけたルイス皇帝伯父は、ティーカップを手にして、紅茶の香りを楽しんでいた。

 私はそろそろとソファに腰を下ろした。豪華なソファは私の体を優しく受け止め、その座り心地に感動すら覚えた。野宿や牢屋生活が長かったからか、余計にそう感じるのかもしれない。


「ほら、せっかくお茶をれたのだ。温かいうちに飲みなさい」

「はい。それではいただきます」


 口を付けると柑橘系かんきつけいの香りと共に、茶葉の味が広がっていく。つい一口、二口と喉をうるおす。


「うん、とっても美味しいですわ」

「それは何より。……それで、少しは落ち着いたかね」


 伯父の気遣いに、私は口元がほころんだ。


「はい……。そのお恥ずかしいところを、お見せしました」

「なに。普段は礼儀正しいお前が、慌てるにはそれなりの理由があるのだろう」


 実の父親よりも私を理解している伯父に、心から感謝した。ヴィンセント第一皇子との婚約を受け入れたのも、伯父の力になりたいというのが大きな理由だった。


「今回の魔物討伐の件、報告書も目を通した。そなたの手紙にあった通り、帝国が教会に渡している寄付金の金額が合わないのは事実なようだ」

「……残念ながら、教会の大半は腐敗ふはいしきっております」


 今回起こったのは教会側での問題だが、もはや教会だけでは何とかすることは不可能だった。帝国は教皇との対立する関係ではなく、太陽と月という互いに国を支え合い、それぞれの役割を担う機関である。

 教会が行うのは裁判。唯一武装が許されるのは、魔物討伐を担う騎士団だけだ。女神信仰による加護による治療。ただし治療に関しては、金銭を設けていない。

 軍事及び政治に関しては、皇帝が執り行う関係にある。ゆえに教会側には封建制度ほうけんせいどがない。


 罪人かどうか鑑定し、判決を女神の代行者として判定する。それが大司教や枢機卿すうききょう、そして教皇聖下の役割だ。しかし近年では、その役割も形骸化けいがいかしており、国からの運営資金、魔物討伐の褒賞金、年間の祭り及び信仰行事からも収入源を得ようと画策している。さらに信仰者の寄付金を集めている。その金を元に修道院、魔法学院、騎士学院などの経営へと手を出し、素晴らしい業績を出してはいる──が、その裏では集めた金銭を着服する者が増えているのだ。

 法を守り秩序を保つ為に存在する機関が、私利私欲の亡者となり果てた。


「ここ数年、ローワンたち幻狼騎士団に来た依頼書の控えです。魔物討伐において報奨金ほうしょうきんは国から出ているのですが、額が大きく異なるかと」

「……ふむ」


 伯父は書類ではなく、私を見定めるように凝視する。その視線に戸惑いながらも、目を逸らさずに見つめ返した。


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