「わかりました。魔獣の時も今のこの半獣の時も、ルシウス様に見える紫や赤は、執着だと思います」
フラウにはじめて見えた色は紫だった。自分の立場を脅かす私に対しての、不快感。憎しみ。
……それは同時に、立場への執着でもあったはずだ。そして、姉という存在である私への。
赤い色は、危険な色だ。叩かれるとき、たいてい赤黒い色が見えた。ずっと赤黒い色は愉悦だと思っていた。赤は、激しい感情に混ざるのではないだろうか。
この二つの色が意味するところは……。
「……黒は、魔獣の感情。紫と赤は……ルシウス様のお父様の感情なのではないかと……」
「父上の感情……!? まさか……いや、俺が魔獣になった経緯を思えば……あり得る話だ」
ショックを受けたようなルシウス様の背中を私はそっと撫でた。
「私も確証があるわけではありません。……ただルシウス様の魔物付きにあるのは、魔物だけではないのかもしれないと、思ったんです」
ルシウス様への執着は、獣の感情だとしては不自然な気がする。
何より発情期という獣の習性の時には、色が違ったのだ。
「そうか……父上が……」
「でも、だからこそ私が」
私は立ち上がり、ルシウス様の前に立った。ルシウス様の獣の手を取り、そっと頬を寄せる。
「クローディア……?」
「私が必ず役に立てるということです」
母が残してくれた力は、感情の色を塗り替える事。……まさに、ルシウス様の役に立てる力だ。
「それが、どんな存在であろうと感情であるのならば――私が、ルシウス様を苦しみから開放することができるということです」
ルシウス様の瞳が、驚きに見開く。
「クローディア、私は君に負担をかけたくないと言ったはずだ。感情の色を塗り替えることは負担になる、……君の母上のようになってはいけない」
静かに、それでいて強い意志を感じる瞳で、ルシウス様は私の決意を否定した。私は微笑む。
「私、それでもいいんです。だって――」
ルシウス様のためになら、命をかけてもいいと思えるから。
言いかけたその瞬間、ルシウス様の腕が伸びた。獣の力強い腕に抱き寄せられ、ぬくもりが一気に体を包み込む。
「……ルシウス様?」
「もう少し……こうしていろ」
低く囁かれる声。その声には、いつもの力強いルシウス様ではなく、どこか脆さが滲んでいた。
私は、そっと目を閉じる。
この腕の中で、私は――このまま、いつまでもルシウス様と一緒に居たい。
贅沢な願いは、私の中で隠しきれないほどに大きくなっていった。
*****
朝日が眩しくて、私はゆっくりと目を開いた。
「わわわ! ル、ルシウス様!?」
驚きのあまり、私は思わず声を上げた。というのも、目の前に広がるのは、金色の瞳と無造作に寝乱れた黒い髪――つまり、ルシウス様の顔が、私のすぐそばにあったのだ。
「おはよう、クローディア」
ルシウス様は微笑みながら、ゆっくりと伸びをした。
その仕草すらも猛獣のようで、鋭い爪の先がわずかに光を反射する。
しかし、私の目を引いたのはその爪ではなく、彼の腕が――まるで当然のように私の腰に回されていることだった。
「えっ、あの、あれ? どうして私は……?」
寝る前はどうだったのか、慌てていて記憶が混乱しているのか全然出てこない。
ええと、ええと……。
「寝相が悪かったんじゃないか?」
慌てる私を横目に、ルシウス様はすました顔で嘯いた。
「そ、そんなはずは……!」
「じゃあ、俺のほうが寝相が悪かったのかもしれないな」
ルシウス様は肩をすくめて笑う。
けれど、どう考えてもわざとやっているようにしか思えない。間違いない。私の事をからかっている顔だ。
「と、とにかく離れ――」
言いかけた言葉は、不意に遮られた。というのも、ルシウス様がそのまま私を抱き寄せ、再びベッドの中へと引き込んだからだ。
あまりの事に、現実が受け止められない。
受け止められないせいか、昨日の事を思い出すことができた。
「私、あのまま寝てしまった……!?」
「残念思い出してしまったか。慌てるのを見るのはなかなか楽しかったのだが」
「もう、ルシウス様……! でも、そのままだったんですね」
「ああ、クローディアが喜ぶかと思って」
ルシウス様はまだ半獣の姿だった。……確かに嬉しい。
「その通りです」
「相変わらずこういう時悔しそうにするよな」
「ううう。触らせてください」
「積極的だな、クローディア」
私が思わず言うと、急に雰囲気が変わって、ルシウス様は低い声で囁いた。
「ルシウス様!?」
そして気が付いた時には、ルシウス様の腕に私はすっぽりと収まっていた。
ふわふわの毛に、顔がうずまる。
「もう少し寝ようじゃないか。まだ朝だ」
「朝ですけど! もう陽が……それに、ルシウス様は執務がおありではないですか!?」
「……もう、この際今日は午前中は休みにする。色々あった。たまには休んでも罰は当たらないはずだ。間違いない」
「ええ……」
まるで甘えた犬のように、ルシウス様は私を腕の中に閉じ込めたまま、目を閉じてしまう。彼の体温がじんわりと伝わってきて、恥ずかしさと心地よさが混じった妙な気分になった。
「ルシウス様、そんなことしてたら、私お昼まで寝てしまいますよ……」
「それの何が悪い?」
「いや、悪くはないですけど……」
こんなふうに誰かとだらだらと過ごしたことなんて、今までなかった。特にルシウス様のような人と、こんなゆったりと、ふざけあって……。
「クローディア、なんだか顔が赤い」
「ち、違います! これは、その、朝日が……!」
「そうか、ふふ」
まるで全てわかっている言わんばかりに、ルシウス様が小さく笑う。その笑みがあまりにも余裕に満ちていて、ますます私は余計に恥ずかしくなる。
「……もう、仕事に追われても知りませんよ」
私はそっぽを向いて目を閉じた。すると、ふわりと優しいぬくもりが頬に触れる。
「わわわ!」
「知らないかもしれないが、いつも追われているんだ。逆にもう変わらない。よし、もう一眠りしよう」
「うううう……」
こんな調子で、結局私たちは昼近くまでベッドの中で、ぐずぐずとふざけあって過ごしてしまったのだった。