「いえ、申し訳ありません! ビアライト公爵様」
フラウは慌ててカーテシーをして見せた。
「申し訳ありません。姉に用があり、つい気が急いてしまいました」
「……私は、貸せないわ」
きっぱりと、フラウに伝える。ドートン家には、愛着も何もない。それに、ルシウス様を憎んでいるカリアン様の事を助けるつもりもない。
……そもそも、第二王子であれば資金は潤沢のはずだ。こんな風にフラウが来ることを、何故彼は許しているのだろう。何を考えているのか、わからない。それがぞっとするほどに、恐ろしい。
暗い何かを感じ、私は息苦しくなる。
「どうしてなの? どうしてお姉様はそんなに自分勝手なの?」
心から不思議そうにそう言われ、私はカッと身体が熱くなるのを感じた。
私が自分勝手……。
どうして、フラウがそんな事を。
ドートン家は私に、何もしてくれなかった。それどころか、ずっと苦痛だけを与え続けてきた。
それなのに、どうして自分勝手などという言葉が。
怒りで、言葉が出てこない。そんな私を誤解したのか、フラウが馬鹿にしたように笑った。
「家族愛ってものを知らないのかしら」
「フラウ嬢」
ルシウス様が、私の肩に手を置き、フラウの名前を呼んだ。それだけで彼女の言葉はぴたりと止まる。
私もハッとして、息を吐いた。
一体、私は何を……。母が与えてくれたものもあるのに。
「……な、なんでしょうか」
「フラウ嬢不快だ。ここは私の家だ、私の妻にそんな暴言は許さない。早く帰れ」
「なっ……!」
ルシウス様が、冷たくそう言い放つとフラウはカッとした。しかし、その後に続いたルシウス様の言葉は、意外なものだった。
「だが、フラウ。君が欲しい額を、与えようじゃないか」
「……ルシウス様!?」
私が驚いて彼を見上げると、ルシウス様は心配しなくていいとでもいうように目を細めた。
「話が分かる方で安心しましたわ。ありがとうございますビアライド公爵様」
ルシウス様の言葉に、フラウは態度をころりと変えてにこりと笑いかけた。
ルシウス様はそんなフラウをじっと見て、こちらも綺麗に笑った。
「君がクローディアから奪ったネックレスを買ってあげよう。私は妻が好きなので
」
「奪ったネックレスですって……!? まったく失礼だわ。ビアライド公爵様、残念ながら姉は虚言癖があるのです。私たち家族の事を悪く言うのです……悲しい事です。でも、許してあげてください。ネックレスは、お渡しします。姉が……私に投げつけてきたもので預かっていただけなのですが……」
内容は全くのでたらめだったけれど、可愛いフラウがそう言って涙すると、とても嘘には見えなかった。
私はルシウス様が信じないかとこわくなり、じっと床を見つめた。息苦しさにどうしようもない気持ちになっていると、背中をなでられ7思わずびくりとする。
「クローディア、大丈夫だ。俺が君の妹を信じているはずない」
しかし、その手は優しくて、囁くようなルシウス様の声が、確かに私の味方でいると教えてくれた。
「……君が知らないといった家族愛、私がクローディアに与えている。不思議だな……今までクローディアは愛というものを知らなかったのは間違いないようだったが。では、金額を言え。……これはクローディアから君への施しだ。忘れないように」
ルシウス様の言葉に、フラウの顔が真っ赤になった。ぶるぶると震えながらも、ルシウス様から大きい数字の書かれた小切手を受け取る。
「ネックレスは必ず送るように、こちらにサインを」
フラウが大人しくサインをした書類を、ルシウス様が確認し頷いた。
……やっと、帰る。
息苦しい気持ちになりながらも、フラウを玄関まで見送る。
「じゃあ、またねお姉様」
硬い表情の私とルシウス様に見送られながらも、彼女は満足げに笑った。そのまま私の事をじっと見つめ、唇をゆがめる。
その笑顔は、ぞっとするほどに暗く愉悦がにじんでいた。
「……?」
場違いな笑顔に驚いていると、フラウは何かを取り出し、ルシウス様に向かって投げつけた。
「っ……!」
私は反射的に手を伸ばしたが、間に合わなかった。
しかし、ルシウス様はフラウから投げつけられたものを、軽く掴んだ。当たらなかったことにほっとする。
これはポーション瓶……? 彼の手に握られているのは、小さな瓶だった。
「馬鹿ね」
ほっとする私たちに、フラウは甘い声で言い放った。その声は何故かとても良く、響いた。
――次の瞬間、ルシウス様の掴んでいた瓶が爆ぜた。
「ルシウス様!」
慌ててルシウス様の手を掴む。パラパラとガラスの破片が散らばる。
「……これは」
ルシウス様が眉をひそめた。その体から、ふっと黒い靄のようなものが立ち上る。そして、その瞬間――
「魔物寄せよ。あの時は失敗だったけれど、今回は成功したわ。さあ、どうなるかしらね?」
フラウは歌うように私たちに告げて、くるりと踵を返した。
「フラウ、あなた……」
「じゃあね、お姉様! 楽しいことになりそうね!」
そのまま、彼女はあっさりと立ち去った。
怒りに目の前が真っ暗になるが、後ろからルシウス様のうめき声が聞こえ、私は正気に戻った。彼女にかまけている暇はない。
私はすぐにルシウス様の方を振り返る。
「ルシウス様、大丈夫ですか!?」
「……これは」
ルシウス様は自分の手をじっと見つめていた。その瞳の中で、赤と紫の色がゆらめいている。
「……やっかいなものをかけられたな。あのときの比じゃない」
低く唸るような声。
私は息を呑んだ。
――フラウが仕掛けたものは、ただの嫌がらせなんかじゃない。これは、命に関わることになるかもしれない。
「ルシウス様、部屋へ行きましょう!」
「……ああ」
「急ぎます!」
すぐに獣化するに違いない。ルシウス様の目は濁り始めている。私は彼の手を引き、部屋に走り出した。
ルシウス様の手が、獣に変わっていくのを感じる。けれど、ルシウス様の事は絶対助ける。
母の記述。私には、母と同じ力がある。助けることができる。
そして。
「……フラウ」
私の大事な人を、酷い目にあわせた。彼女の事は決して許さないと思った。