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66【SIDEルシウス】失われてしまう

 熱が上がっていく。


 意識が混濁していく。獣の気配が、自分を飲み込んでいこうとしている。

 獰猛な目線が、主導権を狙っている。


 獣はこの身体は自分のものだと、お前など出る幕はないと、圧倒的な力でわからせようとしてくる。

 ルシウスは必死にあがいてあがいて、何もかも自分のものだと、この身体は決して渡さないとあがく。

 獣には負けないと抗いあがく。


 自分はルシウスと名のある、この身体は誇り高いビアライド家の人間だと。

 それなのに、獣は心の隙間をするりと入ってくる。


 ”ギルジードとこの父は、お前が殺したのだ”


 獣が父の声で囁く。

 その声に、あっという間に納得してしまう。


 ……そう、その通りだ。だから自分は獣になる。


 獣になって、力を手に入れる。それが、我を失うようなことだとしても。それが、自分に課された使命なのだから。これが、ビアライド家の誇りなのだから。


 兄だって、父だって、何もかもを失った。


 自分だけが、それから逃げることなどできない。許されるはずもない。


 にやりと、獣が笑った気配がする。

 それは、もう自分の深い内側にいた。


 獣になるしかないという気持ちに支配されていく。獣になってしまう自分に、抗うことができなくなっていく。


 ……いつだって、負けてきた。


 今回は、もう戻れないかもしれない。

 遠くで、そんな予感がした。


 けれど、そんな事はもうどうでもいい。

 圧倒的な力を手に入れ、それをふるう。


 そうだ、その事実の前には何もかもが些細な事でしかない。

 ぐぐぐ、と身体が変化していく音が、遠くに聞こえた。


 このまま混濁した意識のまま……。


「……ルシウス様!」


「……?」


 声が、父の声の代わりに響いた。


 必死で自分を呼ぶ声。悲痛に響く、その声。


 ……この声を、俺は、知っているような気がする。


 ……俺?


 俺は……誰なんだ……?


 *****


 私はルシウス様の手を引き、部屋に向かって走った。ルシウス様の手を引くのはとても重いが、そんな事は関係ない。


 ルシウス様は、黙ったままだが、何とか私の引く手についてきてくれている。熱を帯びた手は、じわりと嫌な予感をさせる。

 荒い息遣いが聞こえてきて、涙が出そうになる。


 ルシウス様が魔獣化して暴れてしまえば、大変なことになるのはわかりきっていた。

 誰かに怪我をさせるようなことがあれば、ルシウス様は自分を責めてしまうだろう。


 それでなくても、魔獣の姿は恐怖の対象だ。姿を見られるだけでも、大変だ。


 いくら公爵家の人間とは言え、誰かに話してしまえば貴族社会に広まるのはあっという間で、何をされるかわからない。


 ……そもそも、魔物寄せがどういう効果があるかわからないのだ。


 ルシウス様の中の魔獣を引き起こすこと自体は間違いない。けれど、そのまま魔獣になってしまう可能性だって、きっとある。


 そもそもが、魔物付きは危ういバランスで成り立っているのだから。

 嫌な事ばかりが、どんどん頭をめぐっていく。


 ぐぐっと、歯を食いしばり耐える。

 今は泣いている場合なんかじゃない。


「はぁはぁ……大丈夫よルシウス様、大丈夫……!」


 自分に言っているのか、ルシウス様に言っているのかわからないままに大丈夫だと繰り返す。

 二階に上がると、グライグが扉の前に居た。ちょうど書類を持って来たところのようだ。


 驚いた顔のグライグと目が合う。


「ル、ルシウス様!?」


 彼は手にしていた書類を投げ捨て、私たちに駆け寄ってくる。


「いったい何が!?」


「ルシウス様に魔物寄せがかけられたわ!」


 私は端的に状況を伝えた。


「まさか……先程のフラウ様が……?!」


 それでも私の硬い声とルシウス様の様子に、彼は事態を察し青くなった。


「私が居たのに目の前で……ごめんなさい」


 あの時の事を思うと後悔してもし足りない。私達の事を、何をしてもいいと思っている相手。グライグは見たこともないぐらいに怒りを露にした。


「許せない……!あの女……!」


「ええ、私も許さないわ」


 私の言葉に、グライグははっとしたように私を見た。私ははっきりと頷いて見せる。

 ルシウス様をこんな風にした人を、許せるとは到底思えなかった。


 ただ、今はそれどころではないだけ。


「……良かったです。ルシウス様は私が支えます。急いで部屋へ!」


 グライグはルシウス様を私から受け取り、支えるようにして一緒に部屋に向かってくれる。

 ルシウス様の息は荒く、ぐったりとしている。力の入らない様子の主人に動揺しているグライグに、私ははっきりと伝える。


「大丈夫! 安心して! 私はルシウス様を助けることができるわ」


 私が強くそういうと、グライグはぎゅっと目をつむり苦しそうにした。


「……ルシウス様を……完全な魔獣には、しないでください」


「ええ、だから念のため皆に避難を」


 本当は、ルシウス様は絶対に大丈夫だから、避難など必要ない、そう言いたい。


 けれど、何かあったときに傷つくのがルシウス様だから。

 魔獣の姿を見せて、恐がらせたとなると傷ついてしまうから。

 優しい彼の為に、避難させなければいけない。


 そしてなにより、私が、ルシウス様が酷い目にあうと嫌だから。


 ……失いたくない。

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