あの目が、フラウは嫌いだった。見透かすように、ぐっと何かをこらえるようにこちらをただ見つめる目。
ただただ怒りが沸く。
あの目が苦しそうに歪むのを思い出し、フラウはくすりと笑った。
「身の程知らずの女だわ」
「……ああ、あの無能だな」
上機嫌に歌うように言うフラウは、カリアンが何故かクローディアを気にかけている事に気が付かなかった。
「ええ、無能だわ。ずっとずっと。お父様も、あの女には全く興味がないの」
「一緒に、憎んでいたのではなく?」
「ええ、無関心よ。産まれた事にも気が付かなかったんじゃなかったかしら。それ程にクローディアは、無能なの」
「そこまで無能だと逆に気になるな」
にやりと笑うカリアンの膝に、フラウは乗った。
「カリアン様、まさかクローディアに興味があるとでもいうの?」
不快感をあらわにそう言えば、カリアンは冷たく嘲笑した。
「どうしてあんな女に? 所詮はあのルシウスと一緒にいるような女だ」
「そうよね。あなたは王になるべき人。……あなたの為になら、私は何でもするわ」
「そうか……何でも、か。愛情を感じる、嬉しいよフラウ」
彼の声は囁くように低くなった。
フラウは頬を赤らめて、カリアンの胸に顔を寄せた。
「ええ、何でも」
あなたの為なら何でもできるわ、私の王子様。私は何もかもを手に入れる。
そして、クローディアには何もかもを失ってもらう。
「いい子だ、フラウ」
二人の距離が縮まり、部屋の空気が熱を帯びた瞬間、ノックの音が響いた。
「失礼します」
扉が開き、カリアンの執事が恭しく頭を下げながら入ってきた。フラウはすぐにカリアンから離れ、不満そうな表情を見せた。
カリアンは執事を冷たい目で見ながら、フラウの腰に手を回す。
フラウは、恥じらうように下を向いたが、心は浮足立った。
そうだ、婚約者なのだから見せつけてやればいい。
けれど、カリアンは次期王として威厳を見せたかったのだろう。
それでも離れがたい、と、今フラウの腰を抱いているのだ。
なんて可愛いのかしら。それぐらいは許容してあげなくては。
フラウは愛おしい気持ちでカリアンを見つめた。
「何だ、話の最中だというのに」
カリアンは不機嫌そうに執事を見た。
「申し訳ありません、カリアン様」
執事は深く頭を下げ、銀の盆の上に置かれた封書を差し出した。
「もういい、なんだ」
「お待ちになっていた、お手紙が届いたので」
「……ああ、こっちに寄こせ」
カリアンは楽し気に封書を受け取った。執事は素早く礼をして立ち去る。カリアンは待ちきれないように手紙をあけた。
「さあ、どうだったかな」
「まあ、嬉しそうになんですか?」
「面白いものだ」
烏の紋章が押された封蝋。フラウは見たことがないものだった。
顔をくっつけるようにして横から除くと、報告書の様だった。
「……予想通りでは、あるが」
カリアンが持つ手紙が、ぐしゃりと音を立てた。
「だが、不快であることには変わりがないな」
カリアンの声は冷たく、部屋の温度さえ下げるようだった。
「何かあったの?」
フラウが不安そうに尋ねた。
カリアンは手紙を握りしめ、短く答えた。
「ビアライド家で魔物が暴れたという報告はなかった」
彼の顔には険しい表情が浮かんでいた。
「えっ。私は間違いなく魔物寄せをかけたわ!」
疑われているのかと思ったけれど、カリアンはフラウをただじっと見つめた。
「クローディアかもしれない」
「クローディア……あの、無能の姉がなんだっていうの?」
「ルシウスの獣化は、間違いなかった。けれど暴れたりはしていない。魔物寄せがあれば、引き金になったはずなのに……新しい要素はクローディアぐらいだ」
実際、カリアンには幾度も獣化しているルシウスの報告が来ていた。徐々に酷くなっていくそれは、もう終わりが近いに違いなかった。
しかし、舞踏会でも今回も、魔物寄せが聞かなかった。
魔物付きに魔物寄せは、文献にあったので間違いはないはずなのに。
それならば、あの聖女の娘が疑われるのは当然だ。
カリアンは手紙を再び開き、内容を確認した。
「クローディアがそんな力があるはずがないわ……」
フラウにはとてもじゃないが、信じられなかった。無能でしかないあんな女に、特別な力があるだなんて事は、とても認められない。
「絶対にないわ! ただの無能なの! お父様だって!」
フラウは思わず声を上げた。
「まだわからない、落ち着くんだ」
カリアンは冷静に、フラウの肩に手を置いた。
「ただ気をつけねばならない。クローディアがルシウスの獣化による狂暴化を止められたとなれば、彼女の評価は一気に高まる。それに、獣化が安全だと、ルシウスの評価が上がるかもしれない」
「それは絶対に阻止しないといけないわ」
私が手に入れるものを、クローディアは狙っている。それは当然許されない事だった。
カリアンはフラウの頬に触れた。
「ああ、当然だ。だが焦るな。まずは状況を見極めよう」
優しい口調のカリアンに、フラウはゆっくりと口づけた。
「そうね……きっと、二人なら大丈夫よね」
「……ああ、何もかも手に入れよう」
甘い声で囁かれる言葉に、フラウはうっとりと目をつむった。
「だが、今は何よりも、力が必要だ」
カリアンの声は静かに部屋に響いた。
それに冷たい響きを感じ、フラウは媚びるようにカリアンの服をつかんだ。
「ええ、私がいるわ。ドートン家もあなたについているし」
「ああ、そうだな」
気のない素振りのままフラウの髪を優しく撫で、彼は窓の外の空を見つめる。
「そうよ。カリアン殿下には私が必要だわ」
「フラウ、君のおかげで状況は整理できた。だが、クローディアが何者なのか、まだわからない」
フラウはその言葉にカッとなったりフラウはルシウスに詰め寄った。
「騙されないでください、カリアン様! お姉様は何物でもないわ。ただの無能よ」
フラウの声は確信に満ちていたけれど、内心では不安が渦巻いていた。
「聖女の力……魔獣化に秘密があると思っていたが、案外違うかもしれないな。興味がある」
嬉しそうに笑うカリアンの瞳は、フラウを映していなかった。
フラウは、それに気が付いてぎゅっと手を握り締めた。
「クローディア……気になるな」
歌うように、カリアンはクローディアの名前を口にした。