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76 平穏な日々の終わり

 ルシウス様のお休みの数日間。


 私たちはカリアンやフラウを忘れるかのように、ゆっくりとした日々を過ごした。

 私たちの話題には、彼らはあがらなかった。


 ……多分、考えなければいけない日が来るから、今だけでものんびりしたい気持ちが二人の仲にあったのだと思う。


 それでも、私はルシウス様の色を変える練習だけはしたかった。あの文献から読み取れることが、違うかもしれないということも確かめたかった。


 だから夜になると、私はルシウス様の部屋を尋ねた。


「あの、今日も心の色を変える練習をしたくて」


「……クローディア」


 部屋に入った私を見て、ルシウス様は戸惑った顔をしている。

 当然だろう。私は夜伽でもするかのように薄いドレスをまとっている。


「接触の為に、なるべく薄い服のが良さそうだったので! 気にしないでください」


 自分の意思で着ているとはいえ、ルシウス様の視線気になって心臓がひどく跳ねる。

 けれど、今さらやめますとは言えず、ぎゅっと手を握りしめる。

 私は何とかすまし顔っぽいものを作った。


「気にしないことあるか」


「目をつむるのはどうでしょう」


「……その方向性ではない気がする」


 ルシウス様は呆れたように言った。

 私は、ルシウス様の空気が弛緩したことに、心の中でほっとする。

 ……私は気が付いていた。

 身体への負担。それは、決して魔法を使用した反動ではないのだと。


 心へ働き掛けた結果、それを快楽と認識し、更に自分を求めるようになっていく、そういう魔法を使った結果なのだと。


 そして、それはルシウス様も気が付いているようだった。


「そこは、ええっと……忍耐力とかで」


「君は俺の事を何だと思っているのだ」


「うう、で、でも……」


 私はそれでも諦めたくなかった。それに……私が望んでいる事でもあった。

 ルシウス様の為に、というのも当然本当だが、ルシウス様に求められることを望んでいるのもまた本当だ。私はルシウス様をだましているような気持になる

 。

 罪悪感から目をそらした私に、ルシウス様は呆れたように笑った。


「まったく、クローディアは……。少しだけ、から、はじめようか……」


「はい! お願いします」


 欲望だけではない。ルシウス様に何かあったときに助けられるのは、間違いないのだから。

 私はそう言い訳しながら、ルシウス様のベッドにもぐりこんだ。


「じゃあ、お願いします」


「……わかった」


 まったく気乗りしていないように眉間にしわを寄せるルシウス様。ごめんなさい、と思いつつも手を伸ばす。

 ルシウス様の色は、やっぱり安定していて少しだけみえるだけだ。


 私の指先がルシウス様の肌に触れた。そして少しだけ魔力を流す。ほんの少しの接触なのに、彼の色が揺らいだ気がした。


「……クローディア」


 ルシウス様の声が低くなる。私は、自分の魔力が確かに作用しているのを感じた。まずは少しだけ見える色を変えることが目標だ。


「頑張ります!」


「……お手柔らかに。君の言うように、俺の忍耐力が強いといいんだが」


 実際、ルシウス様の忍耐力はすごく、私は魔力がなくなって結局ルシウス様の部屋に泊まることになるのだった。

 色は、変わったような変わってないようなぐらいだった。接触の低さの問題かもしれない、と思ったけれど次に進むのはためらわれた。


 ……ルシウス様と私は、契約婚だ。しかし、夫婦なのだ。


 そうはいっても、ルシウス様の為になるからと、こういう風に進めていいのかわからない。こうやって試して、知れば知るほど、色を変える事と肉体的な接触との関係が確信に近づいていく。


 私はまだ迷っていた。ルシウス様が、理性が失われてしまえばいいのになどという自分勝手なことが浮かぶしまつだ。


 ……なにか、他にないかまた書物を見たい。


 私たちの夢のように平穏で素敵な日々を破ったのは、一通の手紙だった。

 私たちはその日、庭園でティータイムを過ごしていた。

 私はパンケーキを焼き、ルシウス様に振舞った。前回よりも少しだけ手際が良くなったそれを、ルシウス様と一緒に食べた。


 甘くておいしくて、目線をあげればルシウス様と目が合って、私たちはくすくすと笑いあった。


 そんな素敵な時間を邪魔しないようにか、眉を下げたグライグが、ルシウス様にそっと寄ってくる。

 彼がこんな時にくるだなんて、急ぎの用だろう。

 ルシウス様もそう思ったようで、すぐにグライグに向く。


「カリアン様より、急ぎの伝言にございます」


 カリアン、という名前に自然と体が跳ねる。


「……ありがとう」


 ルシウスに、控えめに一礼したグライグがゆっくりと文を差し出す。

 差し出された封書には、漆黒の封蝋が施されていた。王家のものだと、すぐにわかる。


「クローディア」


 硬い声に呼ばれ、私ははっとする。ルシウス様に手招きされ、私は立ち上がってルシウス様の隣に移動した。


「君も読むといい」


 ルシウス様に渡された手紙を受け取り、素早く目を通す。

『今宵、城の庭園にて茶会を催す。君と、クローディア嬢にもぜひご参加願いたい。互いの理解を深めるために——カリアン』

 誘いの言葉の裏に、何かが隠されていることは明白だった。


「自分がやった事を、知らしめるため……?」


「俺の状態を実際に確かめるためでもあるかもしれない」


 ルシウス様は私が読んだことを確認すると、手紙をすっと奪うように取った。ルシウス様の手の中で、手紙はあっという間に燃えた。


「どっちにしろ、不快極まりないな」


「……でも、出ないわけにはいかないですよね」


「ああ。……クローディアは」


 ルシウス様はそこで言い淀んだ。


「私も行きます」


「大丈夫か。名前は書かれてはいないが、きっと君の妹も参加するだろう。城の中で何かするとは思いたくないが、不快なことになるのは間違いない」


「それでも、大丈夫です。私は彼女を許しません。……けれど、その為には敵の事を知らないといけないです」


「……怖がる必要はない。君が望むなら、俺が必ず守る」


「心強いです。とても」


 私とルシウス様は、お互いに手を取った。


「戦場に向かう時とは、また違うものだな。同じく戦うのに」


「どっちが大変ですか?」


「今のが、面倒だ」


「ふふふ、確かに面倒ですね」


 ルシウス様の憮然としたいい方に、思わず笑ってしまう。確かにカリアンもフラウも面倒だ。


 私たちの生活には、入ってきてほしくないなとつよく思った。

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