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第十八話 耳削ぎ


水桶いっぱいの水を叩きつけられてリーンエレは目を覚ました。


両手首を頭上で拘束され、踵のつかない高さで吊り下げられている。


薄暗い石壁の空間をロウソクの明かりがぼんやりと照らしている景色には既視感があった。


過去に数十年ていど同様の扱いを受けていた時期がある。


空になった水桶を放り投げて男が意気揚々と的ハズレな挨拶をする。


「御機嫌よう!」


記念日を祝うかのように両手を広げて笑うのはケルクス・パーチクス、サランドロの後任を務める港町の責任者だ。


リーンの意識は混濁していて男の正体に気付かない。


「……」


彼女は失踪中と聞いたエルフ部隊の行方を探していた。


エルフからは忌避され、人間からは迫害される、そんな半エルフたちを放っておけなかった。


海賊に襲撃を受けての失踪ということで残念ながら戦死者もいるだろうが、精霊と対話できる彼らが道に迷うということは考えられない。


半エルフたちにとってルブレ商会は破格の待遇だ、生存していれば戻っているはずだった。


捕虜にされたか保護されたか、手がかりを探していた。


そのはずが、ここにいたるまでの記憶がない──。


「おーい、聞こえてる?」


男は無反応なエルフの頬を叩いて確認した。


「……私になにをしたの?」


気分が悪い、視界はかすみ、音は遠く、精霊の気配をとらえられない。


鋭敏な感覚を持つリーンが人の気配を察知できたのは声をかけられてからだ。


カラダが明らかな異常を訴えている。


「無駄な抵抗をされないように【精霊魔法】が使えなくなる薬を盛った」


【精霊魔法】はエルフ族特有の魔法。


エルフは稀少種族であるため遭遇することは珍しく、あまりにも用途の限られた薬といえる。


「そんなものが……」


「海賊たちから譲ってもらったんだ」


それは他では手に入らない。


例外として人間の中にも【精霊魔法】を使える者がいる、それがダラク族で呪術師と呼ばれる者たちだ。


精霊と協調するエルフの【精霊魔法】と違い、彼らがあやつるのは精霊を催眠状態にする魔術だ。


呪術師は部族内の立場が低く、彼らを制御する目的で開発された『毒薬』がダラク族由来の特産品。


知覚を奪うことから薬は【耳削ぎ】と名付けられ、鋭敏な感覚をもつエルフ族には効きすぎるほどに効いた。


「人間にはせいぜい耳が遠くなる程度の効力しかないけど、エルフ相手には嗅がせるだけで卒倒する威力だ」


この場には三人の姿がある。


拘束されているリーン。

この部屋の主らしき男ケルクス。


そして、床に寝転がされている全裸の女性。


彼女は行方をくらませていたルブレ商会の半エルフ、ぐったりとしているが息はしているようだ。


──思い出した。


捜索の末にリーンは真相にたどり着いた。


行方不明のエルフたちは戦死していたわけでも逃亡したわけでもなく、人間に拐われていた。


犯人を問い質すため、リーンはケルクスに所有権の移った旧サランドロ邸をたずねてきた。


警戒していなかった訳じゃないが、匂い一発で意識が飛んだのは誤算だった。


「人身売買は人間にとって大衆的な商売だから驚かないけれど、ずいぶマニアックな商品を扱うのね」


専用の毒薬とはいくらなんでも用意が周到すぎる。


エルフを雇用している外国の商船が海賊の襲撃にあって漂流する、そんなレアケースに遭遇していなければ使い道のなかった薬だ。


「キミを売っぱらったりなんてするもんか」


「……あなたは誰、なにが目的なの?」


リーンはケルクスの姿を記憶していなかった。


他種族の顔を見分けるのが難しいこともあるが、リーンは人間に対して皆無といえるくらいに興味がない。


「嘘だろ、最近会ったばかりじゃないか!」


男はリーンの前髪を乱暴に掴んで固定すると自分の顔を近づける。


「──僕はケルクス・パーチクス、この町の支配者だ」


沈黙。


「…………!?」


ケルクスはとうとつにリーンの顔面に拳を叩き込み、ゴツリと硬質な音を鳴らしてまぶたを裂いた。


白い肌を鮮血が滴っているが彼女の表情は微塵も揺るがない。


「──目的を聞けてないのだけど?」


冷たい眼差しで男を見た。


「……なぜそんなにも落ち着いていられるんだ?」


「知っている痛みだもの」


肉体的にも精神的にも過去に上限まで痛みを味わっている、泣いたりわめいたりするのは体力の無駄でしかない。


「怒らせないでくれ、キミを傷つけたくない」


彼は女子供に限定して怒りのコントロールができない性質の人間だった。


当たりどころが悪く殺してしまった場合、リーンの代わりを見つけるのは困難だ。


「──マダムのところで挨拶したじゃないか、『闇の三姉妹』のファンだって伝えたはずだ」


サランドロの後任だと紹介された小男。


愛想も気前も良い男だったが、気が高ぶると娼婦を殴るということでマダムから説教をされていた。


冷静だったリーンの頭にはじめて困惑が過ぎる。


「ファン──?」


彼女の認識によると人間は自分に迎合しない者、弱い者を弾圧する種族だ。


激昂して暴力を振るう、昏睡させて犯す、それくらいはごく一般的な行動だと思っている。


隣人や家族にだってできることを異種族に遠慮する道理はなく、人間の行うどんな非道も彼女にとっては想定内だ。


それなのに、何故だか『闇の三姉妹』のファンを名乗られたことに想定外のショックを受けた。


「ファンさ、あの芝居のおかげでエルフの良さに気づけた。希少価値が高く、それでいて透き通るような美貌は永遠で人間の女みたいに醜く劣化することがない」


『闇の三姉妹』はほぼ史実だ。


人間にとって未知の存在だったエルフという異種族の存在を身近にする内容だった。


エルフは獣や家畜ではなく人なのだと知らしめる作品だ──。


なのに、ファンを公言する人間がそこから得た気付きは、老いを知らない種族は性欲を発散する道具として都合がいいというその一点のみ。


──それ、だけ……?


それは永らく忘れていた絶望だった。


演目を批判されて腹を立てたこともない、世の中が変わる期待もしていない。


だとしても、あまりにも虚しい。


「異種族をあなたにとって都合の良い道具と誤解したり、同種の異性を尊敬できないことは不幸なことよ」


種族の隔たりは人間が思うよりはるかに大きく、同種の男女というだけで埋まらないものを異種族が埋められるなんて発想は歪だ。


「女は老けたらおしまいだ、ババアにはゴミほどの価値もないからな」


彼は老いた女性の価値を認めないが、老いるのは女性だけではない。


限られた時間に焦る気持ちはわからなくもないが、短命種が異性の老化を気にする意味が分からない。


「短命は人間の美徳でしょう?」


エルフの人生が長距離走だとしたら、ドワーフは中距離、人間は短距離走だ。


短命だからこそ些細なことに一喜一憂し、全速力で駆け抜けられる生き物だ。


リミットを意識しているからこそ長命種であるエルフが感じられない感動を享受することができる。


成功に喜び、失敗を嘆く、それが物語性だ。


人間はその輝きに惹かれ合う生物なんだと思っていた、だから演劇が流行った。


先延ばしのきくエルフ族に『創作』は不向きだ、急いで完成させる意味がないのだから。


何人、何万人の人間が死のうと感情が動かない、そこは幾度も通った道だから。


目の前の男はこの町の支配者を名乗った。


しかしエルフには彼が誇るその権力、財産、そして人格すべてに興味が無い。


数千年を生きる彼女たちにとって、人間は通り過ぎる景色にも満たない存在だ。


人間はなりふり構っていられない、エルフは達観しすぎている。


そういう意味でドワーフはバランスがいい、情熱を失うほど長寿でもなく倫理観が歪むほど焦ってもいない。


「拐ったのは、そこにいる彼女と私だけかしら?」


「オスは全部処分してメスが二匹手に入った」


よく見れば半エルフの耳は切り落とされ、瞼を上下で縫われている。


「──薬の効果が切れても魔法を使えないようにしてある」


顎を掴んで口を開かせると歯が一本も残っていない。


「噛みちぎらないように抜いておいた。実に使いやすい、店ではこういう楽しみ方はできないんだ」


ケルクスの目的は自分用の玩具が欲しかっただけ──。


「なんておぞましい……」


「僕は良識的なほうだ、人間相手には我慢していたんだからね」


彼の言うとおり、それ以上のことをしている人間はいくらでもいる。


次の瞬間、ケルクスは足元にあるエルフの頭を踵で踏み割った。


頭蓋骨のひしゃげ割れる音が響いて中身が外に漏れだした。


「何をしてるの!」


リーンははじめて大声を出して非難した。


人種が違えば見下し、思想が違えば敵認定する、そんな人間が亜人を対等に扱うわけがない。


他者の痛みに鈍感で、命を奪うことにカケラほどの呵責もない。


「本物が手に入ったから代替品は用済みってこと」


代替え品などない、命の替えなどありはしない。


リーンは息耐えた半エルフの女性を見る、頭部は平たく潰れて原型を止めない。


──なんて名で呼ばれていただろう。


それは自分の子供だったかもしれない。


「唯一不満なのはカラダが貧相なところだ、次にほしいのは胸と尻がデカいエルフだな」


舞台でエルフという存在を知り、刺激された所有欲を満たしたいだけ。


──心底くだらない。


人間に与えられた猶予は短い、だから現在の立ち位置を重んじる。


いま得をしているか、いま損をしているかに過敏になる。


欲望に駆られた行動が将来、どんな悲劇を招くか考えられない。


それで種族が滅ぶとしても、百年後には関心がない。


大した理由もなくただ衝動に逆らえない。


「嬉しいなぁ、本物のエルフが手に入るなんて。みんな羨ましがるだろうなぁ、自慢ができるなぁ」


気分が良いか、自分だけが損をしていないか、それがすべて。


カラダにむしゃぶりついてくる小男は、まるで枝を登るナメクジのようだ。


──ああ、なんて人間らしい。



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