港町と『鉄の国』のあいだに位置する商人ギルド所有の屋敷は長らく倉庫として利用されていた。
しかしドワーフとの取引が消滅した現在はその役割を失っている。
サランドロが私物化していた頃はご機嫌うかがいの商人たちが絶え間なく出入りしていたが、現在は施設維持のための限られた使用人しか出入りしていない。
「こっちだ、音を立てるなよ」
二つの人影が屋敷の裏側へと回り込んだ、先行するノロブにギュムベルトがついて行く。
「おい、どこに行くんだ。おれはここの主人に海賊から【耳削ぎ】を仕入れている理由を聞きに来たんだぞ」
ダラク族の友人から情報を得たギュムベルトは、ケルクスから真偽を確かめるためにここまで来た。
ノロブは深いため息を着く。
「まさか正面から乗り込むつもりじゃないだろうな……?」
少年のまっすぐな眼差しはそれを肯定している。
毒薬の用途を考えればタイミング的にもエルフたちの失踪に関わっている可能性が高い、二人はそう考えた。
しかし犯人ならば正直に白状するわけがない、正面突破は徒労に終わるだろう。
真相を知るためには現場を抑えるしかなく、幸か不幸かノロブはこの屋敷を熟知している。
「門前払いを食ったらどうする、強行突破か?せっかく落ち着いたギルドとの関係がまた悪化するぞ」
商人ギルドを敵に回したら港町では生きていけない、十分に思い知ったはずだ。
「そもそもがおまえらのせいで悪化したんだけどな!」
劇団いぬのさんぼを劇場から締め出したのは彼の主人だ。
「取り立てようとしたのに後ろ足で砂をかけるようなマネをするからだ」
「取り込もうとしたの間違いだろ、おれはまだオマエを信用してないからな!」
「……昔の話をネチネチと」
半殺しにされた方は昔のことでは済まされない。
「このッ──!」
いまでこそ活動も軌道にのってきたが、商人ギルドの嫌がらせで一年遅れたと言わざるを得ない。
ギュムにとってはイーリスを毒殺されかけたことこそが重要だったが、本人が納得している様子なのがもどかしい。
「そんなものを腰に下げやがって、そんなにオレが怖いのかね」
一年前からギュムは用心として銀の短剣を持ち歩いている。
寝食を共にしていまさら敵意も無いが、いざというときソリの合わない相手にまったく歯が立たないのは悔しい。
「怖いもんかよ!ここであの時のお返しをしてやってもいいんだぞ!」
「思い上がりが過ぎるな小僧!」
一触即発の雰囲気を断ち切るようにして、エマが二人を引き剥がす。
「ちょっと、喧嘩してる場合じゃないでしょ!」
「「……!?」」
前触れもなく女性が割って入ってきたことに男たちは硬直する。
──いつからそこにいた?
接触するまで一切の気配を感じなかった。
護衛から暗殺までを務めていたノロブにとってありえないことだ。
ここまでたしかに二人しかいなかった、なにも無いところに【黒犬】が実体化したことに混乱している。
「そんなことよりリーンエレの無事を確認しなきゃ!」
エマの声に失われていた記憶が徐々に蘇っていく、彼女はギュムベルトの母親で劇団の一員だ。
「……母さん、なんでここに?」
「なに言ってるの、朝からずっと一緒だったよ」
たしかに『鉄の国』を出て港町を散策した記憶はある。
「そう……だった、うん」
しかし、そこからここまでの記憶はない。
違和感は拭えないが、リーンの安否確認を優先すべきいまにおいては些細なことだと納得する。
「──まず姉さんをさがさなきゃ」
ノロブが煽る。
「おまえと違って、リーンエレは劇団にとって換えが利かないからな」
照明、音響、効果を一手に担う彼女の存在は大きい、専属としてやってきてイーリスとも深い信頼関係ができている。
ギュムはナイフに手をかける。
「怪しい動きをしたら躊躇なく刺すからな!」
できるものかとノロブは鼻で笑う。
「こっちだ」
ノロブについて行くと裏口にたどり着いた。
「都合よく鍵を持ってるんだな」
「いつか空き巣に入ることもあるかと思ってな」
元警備責任者は本気か冗談か判断の付きにくい回答をして鍵を差し込んだ。
微かな解錠音が聞こえる。
「──まだ有効とは不用心だな」
現在は用途がなく不便な立地ということもある。
「ほとんど使ってないのかもな」
ノロブは足音どころか衣擦れの音ひとつさせずに侵入し、ギュムとエマはドタドタとそのあとに続いた。
人狼に任せてしまった方が速やかなのはあきらかだが、主導したギュムが見届けないわけにもいかない。
陽はまだ高く室内は明るい。
「おーい、誰もいませ──!?」
痺れを切らしてエマが声を上げたと同時、ノロブが弾けるように駆け出した。
瞬時に獣人化し人間離れした瞬発力を発揮すると、進行方向から人影が現れる。
それは屋敷を維持するために残った使用人の一人、ギュムたちがその存在に気づいたのはノロブが床に押さえつけたその後だ。
振り上げた腕が膨張し人狼は鋭い爪をむき出しにした。
叩きつけられた衝撃で意識を失っている女性に向かって鋭利なそれを振り下ろす。
「馬鹿、殺すな!」
ギュムは慌ててその蛮行を腕にしがみついて阻止した。
「侵入していたことを告げ口される危険性があるんだぞ!」
「無抵抗の人間を簡単に殺していいわけないだろ!」
ノロブはギュムを連れてきたことを後悔した、戦場に道徳を持ち込む奴は足枷いがいのなにものでもない。
「毎日どれだけ人が死んでると思ってる、事件、事故、病、はては戦争、一々気に病むほど無駄なことがあるか、赤の他人の死なんて誤差ですらないんだよ!」
一人殺したところで自分にはまったく影響はない。
「この人にも悲しむ家族がいるかもって考えないのか?!」
「思わないし、オレには関係ない!」
エマがギュムに加勢してノロブを使用人から引き離す。
「やめようよ、あたしもギュムベルトに賛成する!」
「こんなこと先生は絶対に許さないぞ、劇団にいたいなら絶対に殺すな!」
まったく譲る気配のない二人をまえにノロブはこれ以上は時間の無駄だと断念する。
「どうなっても知らないからな……」
そう言って舌打ちをした。
「バレたらその時は、事情を話して許して貰えるように誠心誠意あやまるよ」
ここの主人がエルフたちを拐っているなら咎められる言われは無い。
そうでなかったら緊急を理由に不法侵入したことを謝罪するまでだとギュムは主張した。
「……正しい正しくないは関係ない、非を認めたらおしまいなんだぜ?弱みに付け込まれて絶対に割を食わされる」
「とにかく殺しはしない、姉さんの所在を確認するだけだ」
エマは二人の和解を試みる。
「きっと、突然すぎて顔の判別もついてなかったよ!」
それはなぐさめにもならない。
「どの道、姉さんを連れ戻せたら疑惑を向けられることは避けられないんだ」
ギュムの意見は正しい。
もしここに囚われていて、それを連れ帰ったとしたら無関係を装えない。
「──あとを考えたら殺さない方が都合がいい」
忍び込んだのはシラを着られないためだ、大事にせず収める立ち回りをすることが肝要だ。
「……急いで捜すぞ」
ノロブもそれに異論は無かった。
気を取り直して再度確認する。
「本当にここにいると思うか?」
聞いてはみたがギュムにもすでに確信めいたものがあった。
リーンエレはここにいる──。
半エルフたちが行方をくらませ、リーンはその手がかりを彼女なりに探していた。
同時期にケルクスが精霊術師にしか効果のない、あまりにも限定的な毒薬を海賊から購入している。
本人に問い質しても真相を明かすわけがなく忍び込むしかなかった。
ノロブは断言する。
「オレの感覚では確実につかまってるだろうな」
彼の仕事はサランドロにとって邪魔なものは消し、ほしいものは奪ってくることだった。
可能か不可能かはべつとして、人は欲望を叶えるための手段を選ばない。
「劇団のファンだって言ってたのにな……」
ギュムはそれを裏切りだと感じた。
「女優のファンだったとかな、気になる女に薬を盛って拐うなんてのはありふれた手口だ」
そう言ってノロブは一直線に進んで行く。
「どこ行くんだよ?」
当てもなく歩き回っていては先程みたいに鉢合わせが起きる。
「隠し事があるとしたら、そこから降りられる地下倉庫がうってつけだ」
この時点では疑惑でしかないことにノロブはある程度の覚悟ができていた。
──これはだいぶ血が流れてるな。
敏感な鼻で穏やかではない臭いを感じ取っていた。
ケルクスという男を知っていたし、【耳削ぎ】なんてものを入手しておいて何もしていないとは考えにくい。
──少しでも良い状態で取り戻せればいいな。
最悪の事態さえ避けられればそれでいいと考えていた。