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第二十一話 大人


「「公演の成功を祝ってぇ、乾杯っ!!」」


リーンエレの回復を待つあいだの休演を挟んで、『竜の巫女』公演は無事に全日程を終えることができた。


今夜はその打ち上げだ。


全快したリーンはあんな目にあったにも関わらず、すぐに平常運転を開始した。


カラダの傷が癒えたとはいえ、常人ならば一生立ち直れない心の傷を負う出来事だった。


あの日のことは劇団に共有されることなく、リーンは完全に口をつぐんでいる。


何事もなく振舞う姿からは彼女の半生がいかに過酷だったかが伺える。


すべての説明は、慣れているもの。その一言で完結した。


本人が語りたがらないことを無理やり聞き出そうとする者はこの劇団にはいない。


リーンが黙っているのは自分と同じ理由からだろうとギュムベルトは察している。


リーンにとって【闇の三姉妹】という演目は絶望した世界に見いだした微かな希望だった。


しかし、もたらされたのは無理解を助長していたという虚しい現実。


自分たちが世に与えた影響の一例を誰にも知られなくたないという気持ちだ。


ケルクスと面識があったのはギュム、ノロブ、リーンの当事者のみ。


商人ギルド幹部の死がいずれイーリスたちの耳に届いたとして、結び付くことはないだろう。


三人が黙っていれば秘密は守られる。


劇団でいられる。


イーリスは貸切の酒場を見渡して首を捻る。


「最近までもっと賑やかだった気がするんだけどなあ?」


今公演は外部の協力者が大勢いるため数名抜けていても気が付かない。


オーヴィルが答える。


「この規模の打ち上げなんてはじめてだろ」


ニィハも「全員参加してるはずだけど?」と頷いた。


エマのことを誰もおぼえていない──。


実体化を解いた黒犬のことは人間たちの記憶から失われるからだ。


ギュムが立ち上がる。


「じゃあ、おれは抜けますね」


「えっ、始まったばかりじゃん」


打ち上げではダメ出しを要求し、朝まで反省会をするのがこれまでの彼の定番だった。


「お客さんに呼ばれてるんで」


「何人目の女だよ?!」


イーリスが咎めるのも当然、ギュムは連日引っ張りだこだ。


「彼女たちはチケットを何枚でも買ってくれますからね」


舞台に上がっていれば女は自然とよってくる。


際限なく金を使ってくれるし、頼めばなんでもしてくれる。


そこを開き直れば食うのに困ることはない。


「いつか刺されるよ?」


「大丈夫ですよ、劇団が最優先で特定の女性とは付き合わないって最初に断ってるんで」


そう言ってギュムは酒場から立ち去った。


オーヴィルが机を叩く。


「なんで俺の経験談をもとにした舞台でアイツがモテてオレに声がかからないんだ?」


イーリスが答える。


「ドラゴン役だからだろう」


「配役した人間の口でさあ!」


巨漢ゆえに悪役かコメディリリーフでしか使われない悲しさがある。


「最近のギュムベルトさんは演技も堂々として存在感がありますものね」


相手役のニィハにとってはとつぜんの変化だった。


まるで別人のように動作がダイナミックになり声は客席に響いた。


そして舞台袖では手を握らなくなった。


「いままで萎縮しすぎてたってとこもあるけど……」


イーリスも驚いている。


──でも、自信ついたのはいいことか。


孤児で娼館の雑用だった少年は自分を人よりも下に位置づけていた。


それゆえ人の目に触れることに過度な緊張をしていた節がある。


「他人を見下せるようになって卑屈さが抜けたってとこですかね」


ノロブの言うとおり、不必要に他者に遠慮することがなくなった。


緊張せずに思い切りのよい芝居ができている。


自信に満ちた人物にこそ人は惹き付けられ、評価もついてくる。


オーヴィルは浮かない顔のイーリスにたずねる。


「愛弟子の成長が嬉しくないのか?」


「なんか、可愛くなくなった!」


ギュムベルト少年は変わった。


変化の良し悪しにかかわらず、人はいつまでも同じというわけにはいかない。


人生とはあっという間に過ぎ去り、やり直しが利かないものだ──。



ギュムは軽い足取り、それでいて重い心地で待ち合わせ場所へと向かう。


そこにはひとりの女性が待ちぼうけている。


「待ってたわギュムベルト、宴会中に呼び出してゴメンねえ」


少年の逢い引き相手としては不釣り合いな中年女性。


演劇の客に老いも若いもなく、本命を探している訳でもないのだからどうでもいいことだが。


それにしてもギュムの表情は浮かない。


「人に見られたくないんで移動しますね」


少年は女性をつれて茂みの中に入って行くと、人気のない暗がりまで来て足を止めた。


「──それで、あなたがおれの母親ですって?」


女性は芝居の客ではなく、劇団の評判を聞きつけて息子を訪ねてきた母親を名乗っていた。


「ママから聞いてたでしょ、わたしがエマ。とつぜんで驚かせたわよね、わたしも我が子がこんなに立派に育っていて驚いたわ」


年齢にそぐわぬ若作りをした楽観的な性格で派手な格好を好む──。


マダムの言っていたとおりの外見、ただ想像していた姿とはまったく違う。


低質なアルコールに焼かれた気だるく枯れた声、不摂生と老いで崩れただらしない体型、実年齢よりもかなり老けて見える。


性的で露出度の高い衣装がアンバランスでグロテスクだ。


──見た目で人を判断するなとは言うけど、生き様は見た目に反映されるよな。


ギュムは漠然とそんなことを思う。


「どうかしたの?」


エマは少女のような仕草で小首を傾げた。


「いや、まあ初対面なんで……」


少しまえなら馴れ馴れしい態度に腹を立てていたかもしれないが、母親を名乗る女性の登場に自分でも意外なくらいに平静を保てた。


思い出のひとつもあれば違うのかもしれないが、共にすごした記憶がないことで見ず知らずの他人として接することができる。


「あの時はわたしも若くて子供を育てる自信がなかったのよ、でもずっとあなたの事を思ってた──」


抱きつこうとする女性をギュムは言葉で突き放す。


「金ですよね」


「えっ?」


エマは想定とことなる息子の反応に困惑した。


「産み捨てた子供にたかるしかないくらい困窮してるんでしょ?」


エマは心外とばかりに激昂する。


「そ、そんなこと言ってないでしょおっ!」


「ちがうんスか?」


女性はみすぼらしかった。


栄養が足りてないのか髪や肌は乾燥し、性を前面に押し出した服装は年季が入って随分と色褪せている。


金に変えられるものがカラダしかないが、性は歳をとるほどに値崩れを起こす、ついに底値に達したことで手段を選べなくなっていた。


「バカにしないで!」


まごうことなく金をタカリに来たのだが、なんのプライドか事実を指摘されたことが耐えられない。


薄っぺらい虚勢にうんざりとする。


「じゃあ帰ってください、おれの生活に踏み込んでこないでほしいんだ」


このまま帰ってくれたらそれでいい、足を引っ張るだけの血縁ならいないほうがいい。


自分の人生だけで精一杯だ。


エマは呪詛の言葉をつぶやく。


「冷たいね……」


「は?」


「あんたがそんなきらびやかで楽しそうな毎日を過ごせてるのは私が産んであげたおかげでしょう。少しくらい助けてくれる気になってもいいんじゃないの?」


自分の行いを棚にあげて人格攻撃をはじめた。


私がこんなに苦労しているのに、美男美女にかこまれて、大勢からチヤホヤされて、なんでも思い通りになる生活をしている。


そう考えたら憎悪すらおぼえた。


「あなたばかりズルいじゃない!」


「ズルいって……」


たしかに今の生活には満足している。


けれど、そんな言葉で片付けられるような平坦な日々ではけしてなかった。


すこしでも努力を怠っていたら、ひとつでも判断を間違えていたら今はない。


第三者からは順調に見えるかもしれないが劇団運営は綱渡りだった、すべてを失っていた可能性だってある。


現状は奇跡の産物だ、親権を振りかざされる言われは無い。


──理解をもとめても無駄だろうな。


和解ははじめから諦めている。


話し合いの体をとっていても相手は目的の達成にしか興味がない、駄々をこねる幼子と同じだ。


感情的になる大人の姿を見るたび、大人だろ。と、呆れ果てる。


人間はいくつになっても自制ができない、みっともない自分を客観視できない。


他人から自分がどう見えているかを常に意識しろ──。


演劇をはじめた初期からイーリスに言われていることだ。


人に見られる商売なのだから当然だが、自分を律するための一助となる習慣でもある。


度々、ケルクスを殺した時のことを思い出す。


光景を俯瞰で思い出すたび、あの時、激昂した自分は演技だったのではないかとの疑問が過ぎった。


ユンナが死んだと勘違いした時、幼馴染を殺されたことで哀しみの引き出しが広がることを内心ほくそ笑んだように。


あの時、凶暴性の引き出しを広げるために感情を意図的に増幅させた節はなかっただろうか。


自分の演技をより良くするための糧になると期待してはいなかっただろうか。


だとしたらあの感情は正しいものだったと言えるのか──。


「バカにするな! 子供が大人を舐めるんじゃないよ!」


エマに対する興味を失ったギュムに集り女は怒りを爆発させる。


「──母親が年老いて孤独に死んでいくことになにも感じないの! どうしてそんな冷血な人間に育っちゃったの!」


舐めるなと言われても、どう尊敬すればいいというのだ。


大人も子供も関係ない、立派ならば年下だって尊敬するし、三つ上の女性を崇拝すらしている。


その感情を洗脳はできても強制はできない。


──時間の無駄だな。


ギュムは足もとに皮袋を放り投げた、それが地面に着地すると硬貨がいっぱいに詰まっている音がした。


先程までプライドを傷つけられて怒り狂っていたのはなんだったのか、エマはぴたりと黙る。


「金が目的ならそれで解決しようって用意はしてました、ほとんど全財産です」


劇団は好調だが役者の儲けはたかが知れてる、それでも明日をも知れぬエマにとっては十分な大金だ。


「……いいの?」


──プライドはどこにいったんだよ……。


この緩急には演技力の高さを認めざるを得ない。


演技は嘘を取り繕うことじゃい、嘘を削り落としていく作業──。


それもイーリスの言葉。


──ハハッ、すごいすごい、さすが本物は迫力がある、不快感がちがう。


まさに真に迫っている、いや真なわけだと感心する。


「ただお願いがあって、これからする質問に『いいえ』と答えてください」


エマは訝りながらも頷く、ギュムは言葉を溜めてはっきりとした口調で問う。


「あなたは本当におれの母親ですか──?」


これが絶縁の申し出であることは明白。


エマは返答を躊躇する、


言ったら大物になる可能性のある息子を今後たよる権利を手放さなければならないからだ。


「たった一人の家族を無くすことになってもいいの……?」


「はい、か、いいえ、で答えてよ」


目の前の金と将来の保証を測りにかける。


迷っているうちになぜ従わないといけないのかと腹さえたてた。


──今日は嘘をついて金を持って帰って、無くなったらまたタカリにくればいいじゃないか。


エマは心の中で両取りすることに決めた。


彼女にとって約束にはなんの効力もない。


約束は相手を罵倒するための口実で、自分ではろくに守ったこともないのだから。


「い──」と答えかけた所でギュムが口を挟む。


「今夜あなたが失踪したところで誰も捜そうとしないでしょうね」


「なにそれ……?」


察しの悪い母親を少年は冷たい眼差しで眺めた。


どうやって拘束し、どうやって息の根を止めて、どうやって死体を処理するかをシミュレートする。


「おれとっては劇団が最優先なんです。あなたが迷惑な存在になるなら、それなりの覚悟があるってことです」


エマはその声から彼が自分に対して一片の情さえ抱いていないことを理解した。


泣き落としも通じない、命をとることすら躊躇しない、そんな迫力を感じ取った。


「……わかった、わたしはあんたの母親じゃない、ありません」


エマは屈辱に耐えて条件を飲むことにした。


目先の金でしばらく生きながらえられるだけでも来たかいがあった。


「そうですか。どうぞ、そんなもので良ければ持って帰ってください」


エマは地べたに膝を着いて皮袋を拾い上げると、明日からの生活が保証されたことに安堵した。


そしてポツリとつぶやく。


「わたしは子供なんて産んでない……」


とつぜんの告白にギュムは「は?」と聞き返した。


「わたしが出ていったタイミングであんたが見つかったから、みんなが勘違いして母親って伝えたんだと思う……」


これが目的を果たしたことで明かす気になった真実なのか、それとも絶縁のための虚言なのかは分からない。


「それ、本当か?」


娼館のみんなの証言からこのエマ以外に該当者は見当たらなかった。


しかしこれ以上の追求は意味がないと思える、この女の言葉には信憑性がないのだから。


「どちらにしても、二度とあんたのまえに姿は見せないわ……」


そう言ってエマは足速にこの場を立ち去った。


未練はない、ギュムにとっては仕事がひとつ片付いたといったところだ。


舞台が終演を迎えた日に、関心はすでに次の公演へと向けられている。


劇団は順調に大きくなっていて未来に希望を感じざるを得ないからだ。


しかし、結果的にこの時のエマの選択は正しかったことになる。


今後、彼女が羨ましがるような結末をギュムベルトが迎える日は来ないのだから──。




『第三部 三章  完』

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