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第二十二話 でたらめ


順調だった劇団活動は唐突に崩壊を迎える──。


『鉄の国』の観光客がなぞの感染症で死亡したとの噂が港町で拡がったせいだ。


採掘場の環境が。とか、亜人種の集落だから。だとか、人々は不安を口にした。


噂が立ってからは人が倒れるたび『鉄の国』に行ったのが原因ではないかと疑われるようになった。


命の危険がある限り様子見をするのは当然、客足はピタリと止まってしまった。


「ドワーフ族にだけ免疫のある病とも言われているみたい……」


ニィハの言葉にイーリスは頭を抱える。


「おかしいじゃん、二年も住んでるボクたちの誰ひとりとしてそんな病気にかかったことないのにっ!」


大勢の移住者や観光客と交流してきたがそんな気配は微塵も感じられなかった。


複数名の死者が出たと報告されているが具体的に誰が亡くなったかは分からない。


ノロブが吐き捨てる。


「やられたんですよ、渡航客がこっちに流れると稼ぎの減る連中が根も葉もない噂を流したんだ」


港町の運営にかかわっていた彼の考察にはそうなのだろうという説得力があった。


「そいつを引きずり出して公衆の面前で、嘘でした。って白状させるか?」


オーヴィルが信頼回復の方法を提案したがノロブはそれを突っぱねる。


「やるだけ無駄だ、大衆は醜聞のあがった人間を糾弾することでを楽しんでいるだけで真相には興味がないからな」


イーリスたちにも覚えがある、女王ティアンは処刑されたことで愚王であったというのが定説だ。


後に側近だった者たちが声を上げ、功績を検証した学者が否定することもあったが評価が覆ることはなかった。


「──他人の成功を妬み足を引っ張ることで結束を深める、それが大衆の娯楽なんだよ」


無理もないがノロブはあからさまにふてくされている。


「そんなことないって、みんな応援してくれてたもん!」


イーリスは観客との信頼関係を主張したがノロブは憤りを抑えられない。


「そいつらが手のひら返してんだろうが! 成功するための努力はしたくない、だから成功者を自分のところまで引き摺り下ろしたい。そんな大多数のクズどもが大喜びしてんだよ!」


ニィハが加熱した話題の鎮静を図る。


「噂の出どころを特定しようがないですしね……」


この話はここまでだ。


広まりきった噂の出所を特定するのはむずかしい、それに妨害を企てた人物と噂をまいた人物が同一とは限らない。


「悪評が風化したときに、また見に行きたい。って思ってもらえる演劇をやるしかないよね」


イーリスの出した結論ではノロブを納得させることができない。


「無駄無駄っ! それまで劇団を維持できるわけがない。離れた客は戻らない、もう変わりの贔屓を見つけて我々のことなんて忘れ去ってる!」


人の行き来がなくなったことで居着いていた旅芸人たちは解散、すべての公演は中止、運ぶ客のいない馬屋をいつまでも雇用してはおけない。


「──おしまいだ、もう解散ですよ」


「そんなこと言わずにさ、また力を合わせて積み上げてこうよ」


『劇団いぬのさんぽ』は港町から締め出しをくらい一度は活動不能においこまれた、それでもどうにか公演にこぎつけ一定の人気を獲得するに至った。


「落ち込んでても仕方ない、できること考えましょうよ」


ギュムの言ったとおり奮起するしかない。


しかし積んで崩れての不毛な繰り返しにノロブは意義を感じられない、損切りのすみやかな判断こそが成功の秘訣だ。


演劇に限った事ではなく何にでも代替品はある、地盤が悪くて家を建てられないのならべつの土地に移動すべきだ。


それは商売に限らない、女と別れたら次の女をさがす、行きつけの飲食店が潰れたら新しい店を開拓する、ずっとそうやってきた。


より座り心地の良い椅子を求めて移動する、主人が失墜したからべつの主人の下についているだけ──。


「面白い脚本書くからさ!」


イーリスは景気づけを込めて言った、面白い本があれば役者は奮起できる。


しかし、それは客が入ることを想定しているからだ。


「……人間の作るものにたいした差なんてないでしょう、みんな近場の流行ってる舞台を見に行くだけですよ」


港町にこそ大きい小屋、優れた脚本、人気の役者、なんだって揃っている。


馬車移動の必要もない、謎の感染症に怯える必要もない、変わり者が一人二人来たところで状況は変わらない。


少し考えれば集客がないことは分かりきっている、準備に労力を割くだけ時間の無駄。


そう、時間は有限なのだ。


「──あんたの演劇なんて誰も待ってないってさ」


無人の客席に向かって芝居をするつもりか、いったいなんの意味がある。


そのための準備にどれだけの時間と労力を要するか知っているはずだ。


観客のいない演劇に価値はない。


「そう、だね。ごめん……」


イーリスはそう言って口をつぐんだ。


雰囲気を変えようとして解決策にならない無駄な発言をしたと自覚したからだ。


「ギュムベルトさん!」


ニィハが呼び止めると同時、ギュムがノロブを殴り飛ばしていた。


衝撃で机や椅子がひっくり返る。


「……っんだ、とつぜん!」


前兆もなく振り抜かれた拳にさすがの人狼も反応できずに面食らった。


「おまえはもう黙ってろ!」


「ああッ?」


ギュムは彼の言葉を師に対する侮辱と捉えた。


それも最大級の、存在否定に等しい侮辱だ。


誰も待ってない──。


そう聞いたイーリスの目が微かに潤んだのを見て反射的にカラダが動いた。


「見限ったならグダグダ言ってないで黙って出てけばいいだろ!」


「ッのガキ!」


二人はつかみ合いの喧嘩をはじめる。


手加減のない凄まじい剣幕での衝突、それを引き剥がすことに難儀して会議は中断された。



オーヴィルが力づくで引き離したあと二人は別室に隔離された。


「ギュムくんは?」


ノロブをなだめていたイーリスが戻り際にリーンと遭遇する。


「ニィハがなだめているわ」


適任だろう、長い付き合いのなかで自然と役割分担ができている。


イーリスはリーンの隣に並ぶ。


「ゴメンね」


「なぜ謝るのかしら?」


持ちつもたれつ頼りたよられでやってきた、いまさらすこしの甘えや迷惑を気にする間柄でもない。


「偉そうなことを言って勧誘しといてこの結末はガッカリさせたよね……」


リーンはイーリスがくりかえし熱烈な勧誘をしたことで劇団に招き入れられた。


そのくせ【闇の三姉妹】公演のあとは長期の休業、ようやく回り始めたかと思えばまた休業だ。


情けないし、付き合わせて申し訳ないと思っている。


「ノロブはもうお終いだと言ったけれど、今日明日に結果が出ないくらいのことで私は失望したりしない」


うつむいたイーリスの頭をポンポンと叩く。


「──千年後に訪れる和解の日を一日でも縮めてくれたなら、あなたは約束は果たしてくれたと言えるもの」


【闇の三姉妹】初日、リーンはイーリスのその言葉に感化されて入団を決意した。


先日の半エルフの失踪事件を鑑みて、やはりその未来は儚い願望でしかないのかもしれない。


けれどそれで構わない。


ただあの言葉が嬉しかったから、いまも力を貸している。


「ボクがその結果を知ることはないわけだけど」


人間の寿命はたかだか数十年だ。


「墓標に報告してあげる、恨み言を聞かせることになるかもしれないけれど」


気まずそうに頬を掻くイーリスをリーンはジッと見つめた。


「どうしたの?」


「あなたの子供を産めたら良かった──」


イーリスは驚いて目をまん丸くする。


「……と、とつぜん何を言いだした?」


同性である二人のあいだに子は成せない、けれどリーンはふざけているわけではなかった。


「あなたがいなくなったあとの世界を彷徨うのは、あまりに孤独だもの」


彼女にとっては切実だった。


長い年月をかけて孤独が苦痛ではなくなったのに、すっかりこの賑やかさに慣れてしまった。


かといって誰にでも心を許せる訳じゃない、きっと彼女以外には許せない。


イーリスの忘れ形見と生きれたらいい、それが半エルフならより長くいられるという意味だ。


「心残りができちゃうよ……」


「あなたが千年生きてくれたらそれが最良なのだけれど」


イーリスにもその願望は強くあった。


「そうしたら未来の人間はどんな娯楽を楽しんで、どんな美味しいものを食べて、世界は平和に近づけているのかもこの目で確かめられるのになあ」


物語を紡ぐということには人の未来を信じる側面がある。


人間という生物の可能性への期待がある。


どんな進化をたどっていくのかを知らずに終わる、それは未練だ。


けして叶わぬ夢──。


ふたりが話し込んでいると平静を取り戻したノロブが声をかける。


「さきほどは感情的になってしまい申し訳ありませんでした」


「んにゃ、ぜんぜん気にしてないよ」


言葉とはうらはらに正直かなり動揺した。


彼に悪気はなかったが、その一言は作家の心を折るのに十分だった。


誰にも必要とされない無意味な活動、そこにエネルギーを燃焼させ続けられるほど人生は暇じゃない。


ギャラリーのいない大道芸、ゴールのない長距離走を正気では続けられない。


だからこそギュムは激昂したし、動揺したイーリスは二人の乱闘を止められなかった。


「八つ当たりしてしまっただけで言葉自体にはなんの意図もなかった、本当です」


狙ったわけではない、それが禁句だと思いもしなかった。


「わかってるって、それだけ真剣に参加してくれてたってことだもんね」


ノロブもすっかり劇団の一員だ。


積む作業は楽しかった、丹念に積み上げたからこそ崩されたことへの怒りも大きい。


「客が来なくなったことは事実として受け入れて、傷が深くなるまえに次の行動を起こしましょう」


ノロブはすっかり冷静だ、派手に怒りを発散したことで気持ちの切り替えができたように見える。


「──重要なのは、とにかく我々が人前に出続けることです。それによって『鉄の国』の安全性をアピールすることにもなる」


人の出入りのない『鉄の国』に閉じこもっていてはすぐに存在を忘れられてしまう、港町の住人に健在であることを見せつけなければならない。


「行進でもする?」


イーリスは首を縦にふって耳を傾けた。


「ただ歩き回るだけではなく、他と競えるだけの演劇を見せる必要があるでしょうね」


「でも、ボクたちじゃ劇場を押さえられないよ、そもそも空きがないだろうけど」


港町では屋外での公演は禁止されている、道端で宣伝をしたくらいで集客が戻るはずもない。


根本的な問題に対してノロブは思い切った提案を掲げる。


「海上でやるんです」


「海上で?」


すぐには腑に落ちない。


「往来ではやるな劇場を使え。とされていますが、海上でやるな。なんてルールはまだ、ありませんからね」


「なにそれ、めちゃ楽しそう!」


イーリスは興奮した、洞窟の劇場も熱かったが海上での公演には更なる妄想が膨らんだ。


「さいわい港町だ、観客には乗船して貰えばいい」


「船はどうするの?!」


収支に合う集客力を確保できる規模の船、それを購入する余裕はない。


妄想はするが夢物語と諦める類の提案だ。


しかし目的は『鉄の国』の悪評を払拭するための宣伝である、一時期でも確保できればそれでいい。


ノロブにはその当てがある。


「名声泥棒にそろそろ恩を返してもらうべきなのでは?」


それは本人が手を下すことなく『竜殺し』の称号を手に入れた人物、アーロック・ルブレ・テオルム元第三王子のことだ。



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