海上公演、ノロブの提案を実行に移すためイーリスとニィハはルブレ商会の船に足を運んだ。
ふたりの来訪をルブレ会長は歓迎する。
「ようこそ、ちょうど気分転換がしたかったところだ」
飛竜を駆ることで本国の行き来すら苦としない彼がいつも船にいるとは限らない。
にもかかわらず、会いたいと伝えたらすぐに場を用意してくれたのは格別の計らいだ。
「貴重な時間を割いていただけたことに感謝します」
二人は丁寧に会釈をした。
知人として頼み事をしに来たとはいえ敵国の重要人物、気安く慣れ合える相手ではない。
「歩きながら話そうじゃないか、その方が頭も冴える」
ルブレは自分の部屋ではなく看板へとふたりを案内した。
空は晴れ渡りよい風が吹いている、たしかに話が弾みそうだ。
「──なるほど、それで演劇ができなくなってしまったと」
現状を掻い摘んで説明した。
「存続の危機でして」
「それでご相談があるのです」
船の貸与についての相談だ。
「そう結論を焦らず会話を楽しもうじゃないか。こんな生活だとね、部下以外の女性と接する機会が限られているんだ」
交渉相手の機嫌を損ねるわけにはいかない、世間話に付き合うべきだろう。
ふと、イーリスがたずねる。
「あれ、奥さんは?」
先日までルブレの横には護衛や船乗りとは見間違えようもない淑女がぴったりと付き添っていたが、今日はその姿が見えない。
「妻なら本国で子育てをしているよ。キミが見たのは側近のひとりだ、愛人といえなくもなかったけどね」
イーリスが「過去形?」と違和感を指摘すると、想像だにしていなかった返答がされる。
「彼女は到底看過できない失敗をしでかしたんだ、だから海に捨てたよ」
──海に捨て……。
まるで粗大ゴミかなにかみたいな言い様だ。
「冗談、だよね?」
「恥ずかしい話なんだがあまりの怒りに我を忘れてしまってね、やりすぎたと反省してる」
とはいえ顧みたのは三日も経ってのことだ。
「生きてますよね?!」
「どうだろう、運が良ければどこかに流れ着いているかもしれないね」
その口ぶりはとても可愛がっていた女性を殺したあととは思えない、あらためて彼の曲者ぶりを思い知らされた。
言葉を失ったイーリスに代わってニィハがたずねる。
「いったいどんな失敗をしたのですか?」
そこから彼の怒りのツボを知ることができる、交渉ごとにおいて地雷を避けて歩くことは機嫌を取ることにも増して重要だ。
「エルフ兵に指図をした、どうやら最近の停滞を彼らの怠慢のせいと誤解したらしい」
今日まで商会の躍進は神がかっていた、それがダラク族に手のひらを返されてからは運気が下がった。
「──俺は自分が優秀と見込んだ人材を適所に配置した、彼らは素晴らしい仕事をしてくれている。それに苦言を呈するということは俺の采配を批判したのと同じだ」
「あなたの手助けをしようとしたのではありませんか?」
改善の為、会長の側近としてなにかしらの行動を起こすのは当然のことのようにも思える。
または愛人としてもどかしく思うところがあったのかもしれない。
「彼女の仕事は俺の機嫌をとることだ。精神が乱れると体調を崩したり判断を誤ったりするからな、彼女はその役割をまっとうできなかったんだよ」
ただでさえ上手くいっていない時、彼女が役割を無視したことに腹を立てたらしい。
「けど、海に捨てるほどのことかな……?」
「部下たちは俺への尊敬から指示に従っている、愛人ごときが上から指示するのは勘違いもはなはだしい」
それがどうしても我慢のできないことだった。
どんな時間を過ごした相手かなどは考慮しない。いま役に立つこと、優秀で替えがきかないことの方が重要だ。
機嫌を損ねたということは役割に適正がないと判断できたし、ご機嫌取りの女より減少した半エルフを補充するほうが難しい。
言い換えれば愛人の変えはいくらでもいる、水準を満たしていれば誰でもいい。
「俺の功績がどれだけの人々の将来を左右するかと考えたら、彼女の軽率な行動は責任感の不足と言わざるを得ない」
より身近な存在だからこそ弱点にもなる、迅速に排除する意図もあった。
「──キミたちを後任者として歓迎したいところだけど、どうかな?」
王族の愛人ともなれば高待遇は約束されている。
魚の餌にされた彼女も姫のような扱いを受けていたが、それは必要と思われているうちだけだ。
「いまの話を聞いて立候補するわけないでしょ……」
面識はあるし貸しもある、しかし油断できる相手ではない。
「それで要件は?」
切り出しにくくなったところで本題に入った。
──お腹痛い……。
イーリスは渋い顔だ。
要求などしたら見返りにどんな難題を吹っかけられるか分からない。
「わたくしたちは海上での演劇公演を計画しています、その際にこちらの船をお貸しいただきたいのです」
物怖じせずに要件を伝えたニィハに驚かされる。
──怖いもの知らずだな!
娼館や鉄の国に劇場を設置できたのも彼女の判断からだ、この度胸がなければこれまでの公演も行えなかったに違いない。
「まえにも言ったけど演劇には興味がないんだ」
「適正な代金をお支払いするつもりです、今日は可能かどうかの確認に伺いました」
施せとは言わない、正当な取引だ。
「なぜ演劇にこだわるのかね、オーヴィルくんもそうだけど、キミたちみたいな人材を遊ばせておくのは勿体ないと感じているよ」
ドラゴンを倒せる強者を小屋に閉じ込めておくのは損失だ、他にも劇団には引き入れたい優秀な人物が散見される。
勧誘したこともある側からすると面白くもない話だった。
イーリスが意見する。
「世界は変わらなくていい。と、あなたは言いました。けど、生きることが辛いと感じている人々に世界が偏っているなら、そこには改善の余地があると思うんです」
人間が進歩するためには想像力や共感性が必要で、物語にはそれを育む力があると以前に伝えた。
それは不要というのがルブレの見解だった。
この世は弱肉強食であり、それは自然の摂理でありいたって健康な状態だからだ。
「争いがあるからこそ平和のありがたみを知れる、不幸な他者を哀れむことで自分がいかに恵まれているかを実感できるんだ」
平均化することが幸福か。否、不幸を無くせば幸福の実感も損なわれる。
弱者に我慢をさせては可哀想、だとしてそのために強者に我慢を強いるのは不公平だ。
走りたいものはより速く、飛びたいものはより高く飛べばいい。
「──人生を謳歌しているキミたちが不服に感じることはないだろう」
「不服ですよ、千年後の人間の価値観がいまと変わってなかったらダサいですもん」
たしかにイーリスたちは日々の幸福を感受して生きている、このままでも満足な人生をおくれるはずだ。
けれど、見渡せば世界は悲劇だらけ。
奪えば勝ち、騙せば勝ち、最後に残っていれば勝ち、その価値観には行き詰まりを感じずにいられない。
未来がいまより良くならないのだとしたら、人間はあまりにも無能と言わざるを得ない。
それは情けない。
ルブレは笑う。
「……ダサい! か、なるほどね。だけど悲しいことに弱肉強食は普遍の法則だ」
それは千年後も変わっていないだろう。
「でも普遍の法則をうち破れたら、超、かっこいい!」
「そして誇らしいですわ!」
ルブレはふたりの勢いにしり込みした、引いたとも言える。
ニィハが続ける。
「お言葉ですが、衛生観念や倫理観は千年前とくらべたらはるかに成熟しています。未来の人間はいまよりもずっと理性的なはずです」
法が作られ、識字率もあがり、芸術を楽しむことができる。
「──殺したり、奪ったり、騙したり、そんな原始的な行為を勝利なんて呼ばなくて済む、理性的な価値観を未来に育める、演劇はその一助になる活動だと思っています」
なるほど、未来の人々はもう少し文化的な生活をできているのかもしれない。
「未来への投資か、そんなことで世の中が変わるとは思えないけどね」
「そんなことないです、みんな人生が変わったと言ってくれます!」
ルブレは思案する。
自分の死後、人々の生活が快適になることにさしたる興味を見いだせない。
──それが、超、かっこいい。ってやつなのか?
「俺にとって演劇は退屈だ、けれど先日の『竜の巫女』は気に入っている」
自分が主要人物として登場し、活躍の流布が期待されるからだ。
「──思うに、この世のどんなものにも価値はないんだよ。どんな宝もゴミに、どんなゴミも宝になり得る。
美酒も下戸にとっては泥水だし、どんなクズ人間も親にとっては宝だろう。
そしてほとんどの宝はゴミになってしまう。正しい評価を下すには教養が必要だが、ただ貶すことはどんな無知にでもできるからね」
どこに着地する話なのかはわからないが、イーリスは首を縦にふる。
「心当たりはあります」
彼女は闘技場の剣闘士だった。
強さを競う場であるのにもかかわらず、そこには強くなるほど客ウケが悪くなるという側面があった。
技術がつくほど駆け引きが難解になっていくからだ。
攻撃はコンパクトになり、被弾が減り、試合時間が伸びる、そこには緻密な駆け引きの数々が繰り広げられているが素人目には分からない。
弱者の喧嘩はわかりやすい、大ぶりの攻撃が無造作に当たって派手に倒れる。
強くなるほど見る側の見識が求められ、価値に気づける人間は少なくなる。
観客を繋ぎ止めるため、団体戦をしたり猛獣と戦わせたりと当初の目的から離れていく。
自分は女というだけでより強い闘士より支持され、それを利用して生き残った。
最強という称号の価値を下げた、そこに罪悪感を覚えていた。
ルブレはこの話題の結論を述べる。
「思うに、作品が響くのははじめから同じ感性を持つ相手だけで、そうでない人間を変える力などないのではないかね──?」
結論、物語に人を変える力は無い、ましてや後世に影響を与えようがない。
成果の見込めない作業に貴重な時間を割くべきではないということだ。
「……やっぱり分の悪い勝負だと思いますよね」
「勝ち目のない勝負だと思うね」
ようやく諦める気になったかと安堵したところにイーリスから想定外の追撃。
「じゃあ協力してください、あなたは勝利こそが最大の娯楽だと言いました。竜殺しのアーロック・ルブレ・テオルム、強敵を打ち倒してこその勝利でしょう!」
蟻を踏み潰すことを勝利とは呼ばない、竜を打ち破ることこそが勝利だ。
それは痛快な口説き文句だった。
「誰が勝敗を判断してくれるんだね?」
これが千年後の誰かを救う物語なのだと言うなら、自分たちには確認のしようがない。
その疑問にニィハが答える。
「もちろん、あなたの優秀な部下たちですわ」
世界中からかき集めてきた半エルフたち、彼らならそれを可能とするだろう。
ぐうの音も出ない。
以前にもこうやってやり込められたことがある。
「すこし前に娼館の少女にも言われたよ。世界を変える気概のない奴が、世の中あまくないとか言ってんなってね」
それはギュムベルトの幼なじみで当時パレス・セイレーネスの従業員だったユンナのことだ。
彼女にのせられたことで『鉄の国』と取引できた実績もある。
──恩を売っておくべきだろうな。
突っぱねるつもりはなかった、安く見られたくなかっただけだ。
ルブレは申し出を承諾する。
「わかったわかった、意地になって拒否する理由もない。船を提供しよう、日程を相談させてくれ」
ふたりは深々と頭を下げる。
「「ありがとうございます!!」」
こうして起死回生の公演を打つための劇場を用立てることに成功した。