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第二十六話 シーサーペント


襲撃の直前──。


ギュムベルトたちは船上から海中を覗き込んで硬直した。


「……なんだ、これ?」


後方に向かって黒い影がまるで船が通ってきた道のように延々と続いている。


観察していると影は船を追い越していく、それが巨大生物であることを理解するまでにはしばしの時間を要した。


──ヤバいッ!?


危険を察知した直後、水中から矢のように飛び出したのは巨大な海蛇の頭部、シーサーペントと呼ばれる怪物だった。


天に伸び上がったそれは塔と錯覚するほどのサイズ感があり、煽られた船は傾くどころか一瞬浮き上がったほどだ。


最初の犠牲者は甲板に繋がれた飛竜だった、足枷のせいで舞い上がれないところを蛇が一口で捕食し海中に連れ去った。


イーリスが叫ぶ。


「海賊島の守り神っ!!」


ギュムベルトはイバンから、彼女がルブレから聞かされていた風聞の巨大海蛇。


シーサーペントは馬の三倍ほどの体躯をほこる屈強な飛竜を一瞬で丸のみにした。


怪物が荒々しく船に巻き付いていくと船体が破裂音を鳴らして軋む。


グンガ王が警告する。


「このままだと船が沈むぞ!」


ドワーフたちが海蛇の胴体に向かって戦斧を振り下ろす、しかし不安定な足場では踏ん張りがきかず硬い鱗と弾力のある胴体に弾かれてしまう。


「だめだ、歯が立たねえ!!」「くそっ、陸地ならなっ!!」


船が大きく傾いてドワーフたちが船上を転がり落ちる。


「炎の精霊たち、焼いて」


リーンの【精霊魔法】がシーサーペントの湿った表面を焦がした、効果はあったが海蛇の動きは余計に荒々しくなり船への被害が大きくなる。


「……?」


リーンは【精霊魔法】が想定した成果をあげなかったことに疑問を持った。


──何者かが精霊との交信を妨げている。


「ニィハ!」「イーリス!」


傾いた地面にふんばれずにいるニィハをイーリスが助け起こす。


分解していく船の上で直立することすらままならない、かまわずオーヴィルが両手剣を背負ってマストを駆け上がっていく。


そして登りきると周囲が見渡せた。


「……なんだこりゃ」


快晴だった空がいつの間にか暗雲に覆われ、四方を船に包囲されつつある。


仲間に異変を知らせようと声を発しかけたが足場の揺れにあわてて体制を立て直した、それらを確かめている余裕はまだない。


沈みゆく船の上を舞うように移動するリーンに海蛇が襲いかかる。


それは飛竜が捕食された場面の再現を思い起こさせた。


「調子に乗るなよ怪物!」


ドワーフ王の戦斧による強烈な一撃が海蛇の上顎を砕いた。


そこにリーンが魔法の追撃を加えようとしたが不発に終わる。


ギュムが船にしがみ付きながら叫ぶ。


「だめだ! 沈むぞ!」


各々に手近なものにしがみつく、沈没を覚悟するしかないようだ。


このまま水中に投げ出されたら海蛇の餌になることを避けられない。


オーヴィルがマストの頂点から飛び降りる。


「おおおらあああ!!」


落下の勢いを利用しさらに回転を加えた両手剣の一撃をシーサーペントに叩きつけた。


それは完璧な角度で海蛇の首に侵入しそのまま通過、一刀両断、胴体から切り離された蛇の頭部が宙を舞った。


ギュムベルトが「やった!」と興奮気味に叫んだ。


仲間たちが巨大モンスターの撃退に安堵したと同時、あらたな異変に見舞われる。


瞬時に体感温度が下がった。


沈没していく足場がとつぜん固定されたように停止、落下した蛇の首は海面に叩きつけられて転がった。


船も蛇も水面に固定されて沈まない、海面が瞬時に氷結し分厚い氷が張り巡らされている。


イーリスたちは驚愕した。


景色が一変、快晴の海原は暗闇に包まれた極寒の世界に変わっている。


「おい、敵らしき船に囲まれてるぞ」


「一帯に魔法を妨害する力がはたらいてるわ」


仲間たちは自然と身を寄せ合うように集まってくる。


──この状況はなんだ?


とても突発的な襲撃とは思えない。


シーサーペントの襲撃、海賊たちの包囲網、環境の急激な変化。手口といいタイミングといいあまりにも手が混んでいる。


「わっ、なんだこれ?」


イーリスがみんなの頭上を指した。


一人一人にとりつくようにして光球が浮遊している、【精霊魔法】によるものだ。


「私じゃない」


誰となくリーンのほうを見たが、それが敵の仕業であることが分かった。


光球は目印だ──。


この暗がりでは見失いようがなく、一人残らず位置を特定される。


それによって海賊の狙いが金品ではなく生命であることが確定した。


一人残らず命を奪おうと、氷の地面を踏み締めて海賊たちが押し寄せてくる。


「迎え撃つか?」


オーヴィルは判断を仰ぐためにイーリスを振り返った。


「バカ言うな、非戦闘員もいるんだぞ」


敵はただの百人じゃない、暴力を頼りに略奪を生業としている殺戮集団だ。


対抗しうる一流の戦士が味方にもいるが、どう転んでも誰かが死ぬ。


ルブレの船員から増援を期待したいが船は完全に崩壊し、船内の様子はわからない。


ここにいる七人と一匹では話にならない状況だ。


「──オーヴィルはみんなを連れて逃げて、ボクはノロブたちを迎えに行く」


イーリスは海賊たちが迫るなかで崩落した船内を捜索すると言い出した。


「おい!」


大男は危険な役割を代わるために腕をつかんで引き止めた。


それは突っぱねられる。


「ニィハを頼むぞ!」


船内がどうなっているかは分からない、崩落した隙間をくぐる必要が生じた場合、オーヴィルの巨体では窮屈だろう。


それにこの状況下で重要人物の護衛を任せられるのは彼しかいない。


「──大丈夫、すぐ合流できるさ」


イーリスが崩壊した船内へとカラダを滑り込ませる。


「イーリス!」


ニィハが不安に駆られて名を呼んだが、託されたオーヴィルはその腕を掴む。


「お姫さん、行くぞ!」


ここにいては四方から集まってくる海賊たちが集結、包囲されてしまう。


戦闘になるとしても各個に遭遇したほうがいくらかマシだ。


オーヴィル、ニィハ、ギュムベルト、銀狼アルフォンス、グンガ王を含む三人のドワーフたちは船を放棄し、港の方角へと移動を開始した。



崩落した船内──。


突入したイーリスはその光景に戦慄する。


「そんな……」


船内はひどい有様だ、あちこちに船員が転がっていて出血の様子からそれが死体であることがうかがえる。


「おい、大丈夫か……?!」


駆け寄って揺すった半エルフは顔見知りだ。


「テオ……」


小生意気だったルブレの側近は首が裂け、腹部からも大量の血を流して死んでいた。


イーリスたちに取り付けられた光球が彼らの頭上にないのは、もはや生物ではないからだ。


崩落に巻き込まれたとかではない、的確な急所への攻撃で息絶えている。


鋭敏な感覚をもつ半エルフ、しかも抜け目のない性格だったテオが反撃した気配ない。


──誰がこんなことを?


海賊たちはまだ到着していないにもかかわらず船員は壊滅状態、シーサーペントの襲撃時あるいはそれより早い段階で戦闘があったと推察できる。


出航前か船上での戦闘の直前か、敵がすでに乗り込んでいたことになる。


見渡すかぎり船員の死体ばかりで敵らしき者の姿は見当たらない、ほとんどの者はテオ同様に武器を抜いてすらいない。


不気味な状況に背筋が凍る。


「オシッコ漏れそう……」


情けない声で泣き言をもらしながら、傾いた船内を手掛かりを掴みながら進む。


謎の敵を特定している暇はない、すぐに海賊たちが大挙して押し寄せてくる。


「ノロブ! ルブレ会長! どこにいるの!」


敵に見つかる恐怖に抗いながら声をはりあげた。


傾いた通路の上方からそれは勢いよく飛び出した。


「こいつはっ?!」


それはノロブを入団させた日、彼を襲撃していた【泥人形】の怪物だ。


彼を粛清するために商人ギルドがけしかけたものと認識していた、それがなぜ海賊の襲撃と重なっているのか。


マッドゴーレムは落下するように斜面を転がりイーリスに鉤爪を振りかぶる。


「わけ、わからん!」


イーリスは床に頭がかするほど上体を反って攻撃を躱し、泥人形の腹に蹴りを叩き込んだ。


相手が人間なら腹を抱えてうずくまるところだが内臓をもたないゴーレムはまったく怯まない、すぐに体制を立て直し攻撃を再開する。


これほどの窮地を想定していなかったイーリスの武器はナイフ一本。


──分が悪い!


刹那、身構えた彼女の目前でゴーレムの頭部が弾け飛んだ。


「ふえっ!?」と、イーリスは情けない悲鳴をあげた。


転がった人形の首を踏み砕きながらルブレが現れる、彼のレイピアによる一撃がマッドゴーレムの頭を砕いたようだ。


「説明しろ!」


そして怒りもあらわにしてイーリスに掴みかかる。


「──おまえたちを手伝ったせいで甚大な被害だぞ!」


「こっちだって心当たりありませんよぉ!」


口論している場合ではない、なにを置いてもまずは脱出だ。


ルブレは屈辱に歯がみしながら命令する。


「ついて来い!」


「待って、仲間がまだ見つかってない!」


船内に引っ込んでいたノロブの姿が見当たらない。


「死体をひとつひとつ確認してまわる気か? そんなことより俺の避難を手伝え!」


事実、意固地になって船内に止まるのは自殺行為だ。


ノロブは仲間内では危機察知能力も身体能力も高い、すでに外に逃げ出している可能性もある。


死んでいた場合は無駄足だ。


「……わかった」


イーリスは一瞬だけ躊躇して頷いた。



海上──。


延々と続く氷の地面を七人と一匹はひたすらに走る。


体感したことのない寒さが体力を奪っていく、極寒を想定しない薄着の肌が刺すように痛んだ。


「先に行け!」


船から脱出してしばらく走ったところでドワーフたちが団員たちを急かしだした。


「『わ』たちの歩調にあわせるな!」「全力で走れ!」


背が低く体重の重いドワーフたちとは歩調があわない、おのずと人間側が速度をセーブする必要がある。


ギュムベルトは反対する。


「そんなこと言ったってさ!」


どんなにひと気を避けて進んでも頭上の光球でこちらの居場所は一目瞭然だ、確実に追いつかれるドワーフたちを置いていくことは見殺しにするのと同じだ。


グンガ王が突き放す。


「わからねえのか、おまえたちがいると足手まといなんだよ!」


強がりではない、女子供がいない方が戦いやすいというのも本音だ。


「おれだってそれなりに戦えるさ!」


若者の成長は早い、二年の修行の成果で相手が悪くさえなければ勝負になるかもしれない。


殺し合いは恐ろしい、けれど仲間を見殺しにすることの方が耐え難い。


「ギュムベルトさん、行きましょう!」


ニィハはドワーフの意見に従った。


「だけど!」


「わたくしたちが二手に分かれることで追手を分断できるかもしれません」


全員がとどまれば四方からせまる海賊たちが一点集中する、それでは船を離れた意味がない。


標的が散れば手分けをする選択肢が出てくる、一度に対する数によってはドワーフたちが切り抜ける可能性も残っている。


「行け、人質にされたらたまらん!」


それが作戦だと言われれば従うしかない、ニィハとオーヴィルはグンガ王に頷き返して走り出す。


「みんな、また『鉄の国』で!」


ギュムは未練を断ち切ってオーヴィルたちを追いかけた。


どこまで行けば安全か、魔法の範囲を出るか、海賊が追うのを断念するか、距離を取れば助かると信じて走るしかない。


オーヴィルがリーンの不在に気づく。


「いつものことだが、どこ行った?」


「先生を迎えに行ったのかも……!」


だからといって引き返すわけにも行かない。


「前から来ます!」


ニィハが前方に海賊たちの存在を察知した、目印をつけて走っているのだから回り込まれていて当然だ。


オーヴィルが立ち止まる。


「ギュムベルト、姫さんを逃がせ!」


ひとりで足止めをするつもりだ。


「──心配するな、こういう舞台には立ち慣れてる!」


ギュムベルトは言われるままにニィハの手を引いて走り出す。


自分が残ったところでオーヴィルの足しにもならない、その圧倒的な強さを間近で見てきたし切り抜ける力があると信じている。


「氷の上で戦うのははじめてだけどな……」


剛腕の吟遊詩人は海賊たちと逆方向に逃した弟分たちを見送った。


間もなく海賊たちと鉢合わせる。


「竜殺しのオーヴィル・ランカスターだな! オレはダラク族最強の勇者ガドィだ!」


先頭の大男が大声で名乗った。


「そうだ! でっかいな、おまえ!」


巨漢のオーヴィルも彼らと比べたら平均的なサイズだ、ガドィはなかでもとくべつ大きい。


最強をうたった男にオーヴィルがたずねる。


「あんたが親玉かい?」


大将の首がとれたら大きい、戦闘を終わらせる決定打になるかもしれない。


「アタマの出来が良くないからな! 生涯一兵卒よ! ガハハっ!」


「そうか、他人とは思えねえ」


ひとめ見ればガドィという男の戦士としての年輪がわかる、一流のなかの一流だ。


──こうなってくると大将がどんなやつか気になるな。


戦士の格がすべてとされるダラク族でこの男を率いるほどの傑物ということになる。


イーリスが逃走指示をだしたのは正解に思えた。


たったひとりで集団を迎え撃とうとする男にダラク族の勇者は闘争本能を刺激され高笑いをあげる。


「ガハハっ! ここは俺がやる、おまえらは逃げた連中を追え!」


指示を受けた部下たちが動きだした刹那、先頭の男、それに続いた男のふたりが血液をまき散らせて氷上に崩れ落ちる。


オーヴィルの振るった両手剣が彼らを瞬時のうちに絶命させていた。


「それは無理だ、ここからは俺がひとりも通さん」


それが劇作家からあたえられた彼の役割だ。



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