約束の5分前、高山は伊達の事務所を訪れた。道場は事務所から歩いて10分のところにあり、7時から稽古が始まるという。それまでの間、内弟子修業の流れを説明してもらうことになった。
高山は以前、伊達のところを訪れた時とは違った表情をしている。ここで伊達は内弟子生活の確認をした。
「高山君。これから学んでもらうことは空手道だけでなく、癒しの技術として整体術も習得してもらう。それによって活殺自在の境地を目指すわけだが、いずれも一般部の人たちと一緒に学ぶところと、内弟子として学ぶ専門的な部分がある。だから、道場にいる時間は結構取られることになる。その合間を縫って生活のためのアルバイトをやることになるが、これは理解しているね?」
高山の目を見て、ゆっくりした口調で話した。
「押忍。最初に説明を伺っていますので…。時間の条件にあったところを探すつもりですから、大丈夫です。事前に東京の友達に聞いて、いろいろな情報誌などを送ってもらっていたので、すでに面接の予定を入れてあります」
高山も落ち着いて答えた。
「そうか。それなら安心だ。では、稽古の内容だが、当面は一般部でやってもらう。いきなり内弟子修業といっても、まずベース作りが必要だからね。そこで武道と癒しの一般的な知識や技術を習得してもらう。高山君の場合、空手道の下地があるから3ヶ月ほどしたら他の内弟子と一緒の稽古に入ってもらおうと思っている。場合によっては、もっと早く他の内弟子と一緒の稽古になるかもしれないので、頑張って。その場合、早朝稽古と、一般の稽古時間の間の内弟子稽古がある。いずれも一般部で行なったことがベースになるので、気を緩めずやってほしい」
「押忍。頑張ります!」
具体的な稽古の予定を聞いて、高山は嬉しそうな表情をした。これで本格的に活殺自在を学べるんだ、という期待に大きく胸が膨らんだ。
「それから二つ、きちんと理解してもらいたいことがある」
伊達が真剣なまなざしで言った。どんな大切なことを言われるのか、高山は緊張した。ちょっと気が緩み始めていたので、ここで再びシャキッと目が覚めた感じだった。
「これはたった今から意識してほしいことだが、高山君は最初に私のところに来た時、『練習』という言葉を使っていたね。でも、ここでは『練習』ではなく、『稽古』という言葉になる。『練習』というのは上達のために同じことを繰り返して行なうものだが、『稽古』というのは昔のことを考え、ものの道理を学ぶことだ。武道のように先人の教えを理解し、武技の理を学ぼうとする場合、『練習』という言葉では軽すぎる。だからここでは一切、『練習』という言葉は使わないように」
高山は「練習」という言葉を当たり前のように使っていたが、これまでの意識を転換させなければならないことを理解させられた。同時に、武道・武術の意識と、スポーツ武道との違いを実感した。
「押忍」
「もう一つが、君が今言った『押忍』という返事だ。最初、君が私のところを訪れた時には、普通の人と同じような挨拶をしていたね。それでいいんだよ」
「えっ? 返事は『押忍』ではないのですか? 自分は内弟子になったから『押忍』という言葉にしなくてはと思って使いました。大学でもそうでしたし…」
この話には「稽古」以上にインパクトがあった。「押忍」という言葉こそ、武道・武術そのものと思っていたからだ。しかし、なぜこの言葉を使わないのかは、伊達の説明で理解した。
「でもね、高山君。猛々しくみせるのは本当の武道家にとっては必要ないことなんだよ。それは自ら危険を招きかねないし、普通の社会の中で『押忍』なんて返事を大声ですれば、周りの人たちに不快感を与えてしまう。それは本当の武を学ぼうとする人にとってはマイナスになるんだよ。『忍』という言葉を実践するのであれば、猛々しい気持ちすらもきちんと心の中に収める意識がないとね」
これまで当たり前と思っていたこととまったく反対のことを言われた高山は、正直驚いた。同時に、これまで自分がどう見られていたのかを反省させられることになり、改めて内弟子になって良かったと思った。