「どうやって不審な人を見分けるんですか?」
御岳の言葉に伊達は答えた。
「注意しなければならない場面は街頭演説の時だ。聴衆をしっかり観察しなさい。話に興味がある人は視線が一定し、聞き入っている。話に興味のない人は初めから足を止めない。だから、何か変なことをやろうとしている人は、立ち止まって聞いているふりをしていても、どこか気持ちが抜けている。キョロキョロしたり、不必要に身体を動かしたりと、他の人と比べて様子が違う。そこに注目する」
実はこの観察という意識は、武道でいう「観(カン)の目」に通じる。対応する言葉として「見(ケン)の目」というのがあるが、視覚によって見ることが後者で、前者は感じて察することを意味する。武道では五感を超えた境地を求めるが、伊達の話はまさに「観の目」に通じるものなのだ。伊達は今回のことを通じ、武道の奥の部分を伝えようとしている。
伊達は続けて言った。
「では、そのような人物を特定できたらどうするか。ここからが現実の対応として大切だが、何か凶器を持っていれば十分な注意が必要になる。しかし、よほどのことがない限り脅しが目的なので、命に関わるような危険性は少ないと思われる。ただ、怪我をする程度はありえるので、何か持っていることが分かったら相手の動きに集中し、投げるなどの攻撃動作に入った時は素早く若林さんを動かなければならない。そのタイミングが難しいのだが、そこが武道の稽古で培った能力が役に立つ。まさに実戦だ。そのためには、若林さんの周りにスペースを確保し、どの方向にも逃げられるようにしておく。堀田君か高山君のいずれかは必ず若林さんのそばに立ち、とっさに対応するように」
一同、この実戦という言葉に表情が変わった。しかしそれは不安な表情ではなく、むしろ嬉しさが感じられる。もっとも、伊達は内弟子に危害が及ぶことを良しとしない。
改めて、警護する者の心構えを説いた。
「だが、注意してほしい。あくまで若林さんへの危害を避けることが目的なので、相手を叩きのめそうとか、取り押さえるまで戦うといったところまでやる必要はない。そこは警察に任せるように」