先ほどと同じく、伊達が若林の役をすることになった。御岳が伊達のそばに立ち、高山が箱を投げた。その瞬間、御岳が伊達を引き寄せるような行動をとった。だが、御岳と伊達の間合が遠かったために、引き寄せるタイミングがずれてしまった。それでも箱が伊達に当たることはなかったが、良かったとは言い難い状態だった。
このことが何となく分かっていても、具体的に動きを示せと言われるとなかなかできないという証明になった。そこで伊達が再度、説明を始めた。
「今、上手くいかなかったのは間合に問題があったからというのは分かったと思う。だからどうすればきちんと引き寄せられる位置にポジションを取れるか、ということを考えればいいんだ。不自然に近づきすぎると演説を聞いている人たちが変に思う。どうすればいいと思う?」
伊達はみんなに問いかけた。
「…」
だが、答えは得られなかった。再び、伊達が説明を始めた。
「演説の最中という設定ならば、マイクを持って近づくというのがいいだろう」
「でも、先生。若林先生も自分でマイクを持って演説しているんじゃないんですか?」
堀田が言った。
「その通り。いろいろな選挙を見ていると分かるように、候補者は自分でマイクを持ってしゃべっている。だから1本はそのようにしてもらえばいい」
「えっ? 1本と言いますと?」
高山が言った。
「その他のマイクを君たちが持つんだよ。いろいろなマイクで声を拾っているといった感じでね。マイク自体はダミーでもいい。要は若林さんの近くにいて、不審がられない状況にするんだ。もっとも、これは最初に言ったように、聴衆の中に不審者を見つけた時にさりげなく行なえばいい。そこに武道の稽古で培う『観の目』の必要性が出てくる」
伊達がここで教えたいことがあった。
いろいろな場面で結果を出すためには、偶然に頼ってはいけない。事前に準備ができるのであれば、自身にとって有利な状況になるように、「場」の設定の大切さを説きたかったのだ。
これは武道家が身に付けておかなくてはならない兵法の考え方で、戦いは単純な体力勝負ではなく、実は知力も関係している、ということを示したのだ。