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選挙という戦い 13

 最初の予定では不審者がいる場合にマイクを持って若林のそばに行くことになっていたが、実際に演説の場に立ってみると、最初にイメージしていた様子と随分異なる。聴衆の目線が気になってしまい、その中の不審者に注意する、という気配りまでできないのだ。

 しかし、おかしい動きをする人物がいたら、最大限の注意を払って若林のそばに立たなくてはならない。その時、浮き足立っていたら本来の役目は果たせない。そのため、この雰囲気への慣れも必要かと思い、堀田はマイクを持って若林のそばに立った。

 事前の打ち合わせでは、若林のそばにマイクを持って立つのは、不審者がいた場合の行動だ。堀田の判断を知らない高山は、一気に緊張した。

 堀田の目には誰が不審者と映ったのか、それを高山は見つけ出さなければならない。集まった聴衆は初日ということもあり、30名ちょっとくらいの人数だったが、怪しいと思えは結構な人数が怪しく見えるし、そうでないと思えばみんな一般の聴衆だ。

 だが、堀田が警戒のポジションを取っている以上、高山も気を配らなければならない。その様子は、若林の演説を聞いている状態ではないので、演台にいる堀田の目からは高山が不審者のように映っているかもしれない。

 約20分に及ぶ演説は無事終了し、聴衆からは拍手が起こった。初回としては十分な手応えだったのか、若林の表情は明るかった。後片付けが終わる時にもトラブルはなく、この回は何事も起こらずに予定の演説が終わった。

 次の場所に移る少しの間、高山は堀田に近づき、尋ねた。

「不審者がいたの?」

 まだ緊張した面持ちだった。初日から実践かという気持ちがまだ継続していたのだ。

「いや、いませんでした。でも、実際演台付近に立つと、現場での練習も必要かと思ってしまい、やっちゃいました。事前に打ち合わせをせず、すみませんでした」

 予定外の行動をしたことに、堀田は頭を下げ、素直に謝った。

「そう。初日から変な人が出てきたのかと緊張したよ。でも、たしかにそうだよね。分かったから、俺も一回やってみる。今回は練習のつもりでも、次回は本当かもしれないから、気を抜くことだけは無しにしよう」

 高山は自分への気の引き締めの意味も含め、堀田に言った。

「分かりました」

 初回は事前の打ち合わせを違えたが、その場の状況を見て現場で判断することの重要性は伊達から聞いていた。戦いの場でマニュアルが通用しないことを知っている伊達は、その場の判断で最良と思える選択をする必要性を普段から説いていたのだ。

 もっとも、それには条件があり、マニュアルをきちんとこなせることが最低限必要になる。その上で想定外のことが起こった場合どうするのかを考え、行動する大切さを叩き込んでいた。

 今回の場合、事前の話では不審者がいた場合となっていたが、こういう場が初めての2人にとっては、不審者の有無に関係なく、想定されている形を経験することが大切という現場判断だったのだ。

 午後の予定になると、堀田と高山の役目が入れ替わった。朝の話の通り、高山も演台に立った時、堀田が感じていたことと同じことを感じた。堀田が言ったことが、高山にも実感できた瞬間だった。

 この時、高山と堀田には目配せで合図できるだけの余裕があったため、今後は不審者を発見した時、壇上から誘導できることも理解した。

 やはり現場を経験することは大切であり、そういうことの積み重ねがいわゆる実践での意識になるのだと、2人は改めて感じていた。

 初めてづくしだった初日は何もなく、無事にその日の予定を終了した。

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