治療を開始して約1ヶ月経った。最初の頃は副作用を感じたことはなかったが、治療が進んでくると顕著に感じるようになった。身体の重さなどは、本当に病人ということを自覚させる。風貌も変わってきた。これでは入院前のほうが健康体だ。
毎日見舞いや身の回りの世話のためにやってくる母親は、息子に余計な心配はかけまいと、元気そうね、という言葉が口癖になっている。
しかし、御岳自身は自分のことだからこそ、今どういう状態かは熟知していた。もともと、伊達のところで修行し、自身の感性を磨いている。だからこそ、ガンを自分で早期発見できたのだ。自分の体調くらいは十分分かる。
だからこそ、逆に母親に余計な心労をかけまいと、御岳も気を使い、一緒の時は努めて明るくふるまっている。
実際、身体の動きが悪くなっている今、母親の助けはとてもありがたい。これも肉親ゆえなのだが、東京にいたならば他の内弟子にやってもらっていたはずだ。そしてそのことは、御岳の心の重荷になっていたかもしれない。親には申し訳ないが、やはり実家に戻って治療して正解だった、と改めて思っていた。
ただ、いくら親といっても、必要以上に甘えるわけにはいかない。ちゃんと医者の言いつけを守って、一刻も早く退院することが今の自分のなすべきことだと思っていた。
ところで入院後、たしかにガンそのものは好転しているのかもしれないが、その自覚はない。もし、痛みがあればそれが減少することで治っていくのが分かるだろうが、治療を始めた段階では痛みを感じるレベルではなかったからだ。
腹部のしこりの状態は指の触覚で感じることができる。だが、もともと大変小さなものだった。体調に何も問題がない時は指先に意識を集中し、しこりの様子を感じることができただろうが、今は抗ガン剤の副作用のため、自分の感覚が信じられない。当然、お腹を触れてもどう変化しているのか分からない。
しかし副作用は、目に見えてはっきり分かる。
外見的には抗ガン剤の影響で髪の毛が抜けてきた。最初の頃は朝起きた時、枕に付着する抜け毛が少し増えた程度だった。何もなくても自然に抜ける分があるが、薬の副作用でその数は日に日に増えていった。そしてしばらくすると、頭髪がほとんど抜け落ちてしまった。若干残っている部分もあるが、これならいっそのことすべて抜け落ちたほうが良い、と思えるような状態だ。
風貌の変化は精神的にダメージがある。鏡を見る度に、頬のこけた自分の顔を見ることで、病人らしくなっていくのを自覚する。大丈夫、きっと良くなる、という気持ちだけは持っているつもりだが、変化していく自分の姿を見ているとその気持ちが揺らいでいくのが分かる。
そして、肉体的な辛さは心も直撃する。入院する前にガンと闘うと強く思っていたことにしても、後悔する時も出てくる始末だ。
そんな時、思い出すのが東京での内弟子生活だ。他のメンバーのことを思い出したり、いろいろ学んだことなどが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。そこにあるのは、たしかに大変なこともあったが、それも含めて良い思い出になっている。そして、そこで培ったことを改めて心に刻みつけ今、一生懸命ガンと闘っている。
それはもう一度、みんなと一緒に稽古をしたい、という思いからだった。今、御岳の心の支えになっているのは、これまで数年間、伊達のもとで稽古をした思い出と、退院後の希望なのだ。
御岳の中では、担当医から退院の日を聞くことが一番大切なことになっていた。